「次にとりかかる」と「脱力感」

今日はガチの授業まみれです。1・3・4と授業があって、5時間目は自習カントク、6時間目は放送業務。こんな時は、空きの2時間目になにをやるかを決めるのがキモです。単純にPCの前でできること…。メールの送受信とデータ集めとプリントアウトかな。
てことで、まずは金曜日にババっと書いてしまったゲンコを関係者に送付。いくら文責がわたしといっても、まぁそういうわけにはいきませんからね。
で、次のゲンコに向けてのデータ集め。というか、7月にもらったメールにあったリンクを次々に踏んでいって、とにかく脳みそのモードをそちらにしていきます。どんどん自分が本来やらなきゃならないことからそれていく気もしますが、もしかしたら、それなりに沿ったところかもしれません。でも、新しい世界を見るのはおもしろくはあります。

そんな中で、とある教員から報告を受けました。
教「こないだうちのセクションで話をした時、「これとこれは不要なのでは。他にないか」という人がいてな」
い「その「これとこれ」はなんですの?」
教「同性愛とトランスジェンダーやがな」
い「で?」
教「そんなん、今から他の人とか無理って答えておいたし」
い「ふーん」
教「ま、報告や」
こういうの、久しぶりやなぁ。このご時世に人権学習でトランスジェンダーや同性愛を扱わなくていいって
考えてる人がいるんや。しかも、教科的には扱わなくちゃならないポジションなんですけどね。まぁ、わかりませんよ。実は本人がそうで、だからイヤってのはあるかもしれない。でも、それとこれとは別やしなぁ。てか、「やらなくていい」っていう人がいるからこそ「やらなきゃならん」のですよ。
てことで、うちのセクションでその話をしたら、みなさん「はぁ?」とか言ってたから、きっと世界はそこまでは来てるんだろな。
微風であっても、逆風が吹いた時に、そんなことがわかります。

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