今日もフル稼働→「現代社会と部落問題」

朝、野菜の無人販売所に久しぶりにものが並んでました。今日は大根。あまりにも葉っぱがおいしそうだったので、思わず購入。同僚さんも購入。ふたりして大根ぶら下げて出勤したら、車で出勤してる人がみんな大根見てて爆笑しました。

昨日、1時間目の授業をどうするか悩んだけど、やはり図書室学習はやめました。その代わりにやったのは公文式(笑)。
とにかく1枚できたら次の1枚をとりにくる。
あとは苦手な子のために、黒板に解き方を書いて、それを写させる。まぁ、図書室学習での「抽出」でやってることを、集めずに教室の中でやってるってことです。もちろん効率は悪いけど、しかたないです。ここで一定できる子を増やせば、次の週がやりやすくなります。
3・4時間目は受験が一段落した3人授業です。この間、自習にしてましたが、そろそろやるかということで、確率分布をやることにしました。中には社会学に行く子もいるので「量的調査をする時は、ある程度知ってたほうがいいよ」だけアドバイス。しかしこの子、もともと社会学を目指してたけど、わたしの授業を聞いてジェンダーにも関心を持ったとか。うれしいなぁ。
昼休みの後半からは6時間目の「オリパラ」の準備です。なんか、オリパラにはお金がつくんですよね。これ、何がこわいかというと、「パラ」の人の話を聞くんだけど、これを人権学習に読み替える人が出てくるんじゃないかと。まぁもちろんうちではそんなことはないですけど、そんな学校が出てきかねない昨今です。東京都が「障害を言い訳にしない」ってポスターをつくって、抗議の声があがって撤回になりましたが、バラリンピックは基本的には人権学習のネタにはならんのですが、「障害者の話だからいいじゃん」ってなりかねないです。
で、6時間目のオリパラを聞く余裕などなく、わたしは放課後の研修の準備です。

今日の研修の講師は阿久澤麻里子さん。タイトルは「現代社会と部落問題」です。そのものズバリです。でも、そのものズバリの話を、今聞いてる人なんて、この職場にどれくらいいるんだろうか。
たぶん、年配の人は「士農工商」でとまってるだろうし、少し知ってる人は「中世起源説」あたりまではいってるかな。でも、通史で知ってる人は、たぶん各校の人権担当で、かつ長くやってる人くらいかな。さらに「今何が起こってるか」みたいな最前線の話を知ってる人はほとんどいないんじゃないかと思います。まぁ、このあたりのことをきっちり追いかけてる人は、たぶん府県レベルでカウントって感じなんじゃないかって話です。それくらい教員は知らない。というか、学校の中に閉じこもらざるを得ない状況があって、知らされてない。
なので、ここは阿久澤さんに来てもらおうと。
で、話の内容はとてもわかりやすくてよかったです。
『全国部落調査』事件の話を中心に、今、ネットの中でなにがおきてて、その何が問題なのかって話をとてもわかりやすく話してくださいました。さらに大学ではあるけど教員なんですよね。なので、学生たちのレポートを通して、そのネットの中のできごとが若者たちにどのような影響を与えているのかということも話してくださいました。
それにしても、法切れを根拠とした「部落問題は解決済み」という主張や風潮が、いかに部落差別を拡散し助長することにつながったかってことが、ほんとによくわかります。ここで出てくるのが「土地差別」なんですよね。
つまり、「人」と「土地」を結びつけ、その「土地」を「被差別」と結びつけることによって、「人と被差別」が結びつく。その後者を結ぶものが『全国部落調査』だし、そこで具体的な行動としてあらわれるのが「土地への忌避」となるわけです。
これはやはり奥田均さんかな。
てことで、充実した研修会も終了。後かたづけは若いしにまかせて、わたしは阿久澤さんと京都へ。ほんとは仕事に向かわなくちゃならない阿久澤さん、あまりにも体調が悪いので帰るとのこと。ならば、一杯だけ飲みましょうと誘うわたしはアカンやつですね。
てことで、駅中のパブでA久○さんと一杯だけビールを飲んで帰りました。
帰る途中に部落解放同盟京都府連に寄って、少し用事をしたのですが、その時聞いたのが、今年に入って差別落書きが急増したとのこと。まぁ、膿があらわになったってことなのかもしれないし、底が抜けてるということなのかもしれないし。こんな話も、知ろうとしなきゃわかりませんよねぇ。

便利になると密度が上がる

今日は午後から会議です。さらに夜は大阪で月一恒例の会議です。てことは、なにかできるのは午前しかありません。
で、今やらなきゃならんのは、月末〆の原稿がふたつと週末に使うプレゼンづくりだったりします。が、それよりも優先度が高いのが、先週の人権学習の作文読み&入力です。これは最速でやらなきゃなりません。
てことで、やろうと思ったら、某所から「書類を出せメール」が2通来てます。ひぇー。
とにかくやるしかないです。
まずは作文読み。これは地道に読むしかないのですが、さすがにふだんややこしいのを読んでるからか、飛ぶような読み方になりますね。3クラスをさくっと読んで、お次は入力です。すでにキーボードは使わなくなってます。ここは音声入力です。ちなみに音声入力の欠点は、他の教員の声を変換するところです。また、教員の声が大きい。思わず
「なんでそんなに声が大きい!」
って怒鳴ってしまいました。
で、落ち着いたと思ったら、いきなりチャイム。これがまた、チャイムの音を変換しだします。とにかく学校は騒々しいです。
それでも25本程度の作文を2時間程度で入力しちゃいました。ここから子どもたちに配布するための加工がはじまります。
さらに今日の会議の資料を準備したり、各種打ち合わせをしたり。少しできた隙間の時間で提出書類をつくってみたり。
そんなこんなで、午前の仕事は終了。
あとは会議です。
それにしても、音声入力は楽だし早いけど、そのぶんだけ仕事の密度が上がります。これ、早くて楽になったぶん余裕ができたらいいんだけど、その余裕分に他の仕事が入ってくるんですよね。ま、どこまで仕事なのかわからんけど(笑)。

で、定時にあがって夜の会議。まぁ今日定時にあがれたのは便利になったからですね。で、電車の中でもうひとつの提出書類づくり。なんとかかんとか大阪につく前にメールを送って一段落です。
会議の前に少し時間があったので、少し原稿考えましょう。

で、少しヒントが浮かぶなど。
会議は長かったけど充実してて、そのあとは恒例の晩ごはんというか飲み会というかでクールダウン。

で、10時40分くらいにお店を出て、家に帰り着いたのが0時30分。そこからおべんと詰めて、1時です。
ダウンやな。

どちらをとるか

先週末から土日にかけてのワチャワチャはいったい何だったんだというくらい日常な月曜日です。まぁそんなもんです。というか、あんなワチャワチャが続いたら身体がもちません。
てことで、授業と会議にあけくれるのですが…。
今月末が〆切の原稿が2本。プレゼンをひとつつくって、さらに先週の人権学習の感想文を読んで打って。明後日は教職員の人権研修。ぐえー。

その一方、期末試験ははるか先なのに、すでに試験範囲を終えてるという授業スピードの早さがあったりします。まぁ、工夫せずに淡々とやれば、試験範囲なんてあっという間に終わるわけで。てか、「わからん」とか言ってる子を相手に試験の1ヶ月前にコテコテやっても、わからん子はわからんままです。なので、「まぁそのうちわかるわ」と言っておいて、とりま前へ進む。で、最後までいろいろやって、できるものを探してやるって感じのほうが効率がいい。
まぁ言ってみたら、教室なんて、アレルギーがあったり、好き嫌いが激しかったり、はたまた食がメチャクチャ細かったり、ビーガンだったり、いろんな子がいるようなもんです。で、教科書なんて、何が出てくるかわからないフルコースを頼むようなもんです。それを最初からゆっくりと出して全部を食べさせるのか、とりあえず全員食べてなくてもいいから全部出してしまって食べられるものを食べさせるのか。そんなもんです。もちろん食べられるぶんを増やすのは目指すところですが、そうもいかないこともあるわけです。
問題は、図書室学習にするかどうするかです。
図書室学習のメリットは教え合いをするところです。が、あくまでも「やる気」が前提になる。これまでのクラスは「やる気のない子」と「やる気のある子」のバランスが、ほんの少し「やる気のない子」が負ける感じだったんですね。
これ、ビミョーでして。教室っていうのは、基本的に「やらなきゃならない感」が前提です。さらに「やる気のない子」の中には「メッチャ数学が苦手でやる気をなくさせられた子」が混じってるので、そういう子はわからせさえすれば「やる気のある子」になります。なので「やる気のない子」が勝つには、それなりの勢いが必要なんです。その勢いを例えて言うなら、「モグラ叩きにならない程度」という感じかな。つまり、3人くらいならなんとかなるという感じです。が、4人〜5人になると、モグラ叩きになります。ある子に教えて課題出して、その子がやってる最中に別の子に教えてってやるんですが、そこに寝てる子とおしゃべりする子が3人ほどいるとなると、起こして怒ってが入るので、無理ですね。さらに、「やる気のない子」が3人くらいだと「やる気がないわけではない子」の空気の中でなんとなく引きずられるんだけど、これが4〜5人になるとそっちに持っていかれる子が出てくるので、一気に崩壊していく。まぁ、学級崩壊の原理です。
これを避けるためには「分断を持ち込む」ことになります。ところが、人数が増えると、この分断が難しくなる。
まぁそんなことで、図書室学習にするか教室で課題学習させるかが悩みどころになります。で、今日はあえての教室での課題学習にしました。うーん、これはこれで効率が悪いな。
まぁ結局、なにをやってもどこかでほころびがでるってことですね(笑)。

「揺れ」のないしんどさ・全同教大会2日目

朝方、ものすごいいびきで目が覚めました。どうやら、F本さんが自分の部屋に帰らずに、わたしの部屋で倒れられたようです。まいった、あまりにもうるさい。てか、ふとんから出られない。と、目を覚まされたF本さん
「カギがどこかにいったので部屋に帰れない」
とのことです。まいった。
てことで、そのあとは寝られませんでした。

今回の分科会はK野さんが司会のところにしました。ちょっと気になるレポートがあるからです。
睡眠不足のまま朝ごはんを食べて、ホテルからお友だちの車に乗せてもらって会場へ。中に入ると知ってる人がいっぱいいます。みんな気になってるんだな。さらに「どこにいるの?」とかいうメールがあったりして、お友だちが続々と(笑)。
で、分科会開始。
まずは大阪の小学校の平和学習のとりくみです(笑)。
平和学習…。
いや、平和学習を否定する気はないです。てか、平和学習を通した人権学習はあると思います。が、平和学習そのものは、人権学習とはほんの少しスタンスが違います。でも、レポートからそれそのものが伝わってこない。なので、そこを質問したのですが、まぁ、当たり前のことを当たり前にされているみたいです。いや、もちろんメッチャクチャしんどい現実を抱えさせられている子どもたちがいるわけですから、ハンパないことはしておられると思います。が、それそのものは、それでも「あたりまえ」なんですよね。
さらに気になったのが、「被害の歴史」にとどまり、そこから「命の大切さ」を伝えるという手法です。というのは、とある大阪の小学校の校長さんがピースおおさかが「大阪空襲を語り継ぐ平和ミュージアム」になったことについて話されたことを聞いていたからです。
それなりに経験を積んでいる人が、あえて「被害の歴史」を使うのはいいでしょう。でも、レポーターはかなり若い人で「なぜ加害の歴史を使わないのですか?」と質問しても答えがイマイチ。たぶん「あえて」ではなさそうです。
それにしても、わたしの並び、「なんなんだ」って人ばかり。わたしの隣は三重のHやしさん。その隣が滋賀のUりんちゃん、その向こうが新潟のAらいさん。Hやしさん、ひたすら怒りまくってます。
お次のレポートは東京の外国人にかかわる実践です。ようがんばってはります。昨日K畑さんから聞いたとおり、孤軍奮闘です。が、とにかく「当事者を闘わせる」ことに特化しておられるようにしか思えません。そのあらわれが「名のらせる」という表現です。さらに
「本名(民族名)を名のらないのは差別する側にまわること」
という発言が出てきて、わけがわからなくなりました。なので
「なんだかよくわからなくなってきました。あなたにとっての「差別」ってなんですか?」
という「終わってる」質問をしてしまいました。
ただ、ここで時間切れ。昼食休憩です。
午後は質問への答えから。
「わたしにとっての差別とは「ありたい姿ができない」こと」
とのお答え。そうか、やはり個人のことに還元してるんだ。根本的に違うみたいやな。
てことで、意見交流の時間は「加害の歴史を扱うこと」や「自らの立場を社会化すること」なんていう話をしましたが、イマイチやったかな。てか、サポーターが多いわ。ピースおおさかの関係者が出てきて「被害の歴史でもいいものはいい」とか言ってみたり。まぁそりゃそうですよ。「沖縄地上戦の図」も「原爆の図」もいいですよ。でも、そこにどういう視点を持ち込むかです。いみじくもHやしさんが「自分につなげ、親とつなげる」と言ってたけど、そこですよね。
そしてもうひとつ。実践を行う側に揺れがない。別に自らが被差別の立場である必要なんてないし、自己批判をする必要もないです。でも、揺れはあるんだと思うのです。でも、それがない。自信があるのか、逆にガードが固いのか。よくわかりません。
ということで、なんとなくもやもやを抱えた不発なまま今年の全同教も終了。K野さん、ごめん。

分科会が終わったところで、A井さんとふたり、Uりんちゃんの車に乗せてもらって京都までドライブ。京都に着いたところで、せっかくなので崇仁新町へ。

京都に帰ってきた感がやってきました。が、ちょぼ焼き屋さんのおねえさんに完全に顔を覚えられてしまったみたいです。おかしいな。まだ3回くらいしか来てないのにな^^;。
軽くおなかも満ちたところで、さぁ帰りましょう。今日は静かな環境でゆっくりと寝たい。

当事者性を前面に出すのはやはり性にあわん・全同教1日目

今日〜明日、滋賀で全同教大会です。てことで、朝から膳所に向かいました。会場に向かっていると「いつきさん」と声をかけられました。北河内のお友だちとした。会場につくと「A久○さんだぁ(笑)」
ということで、全体会場へ。
会場では初級学校の子どもたちのアトラクションです。元気やな。前に徳島で初級学校の子どもたちの演奏を聞いた時も感じたけど、ほんとうに「見せる」「楽しんでもらう」ことをきちんとやる感じです。すごいな。
で、全体会スタート。

相変わらずバランスが悪い(笑)。なんでも太鼓の時は女性が多かったらしいです。うがった見方をするなら、歌舞音曲は女性も参加。でも、政は男の世界ってことかなと。
阿○Zさんは「見解を知りたい」とのことで会場におられましたが、わたしはロビー活動。と、H本さんだぁ。しばし話。さらにK畑さんもおられたのでしばし話。と、S田さんもおられてしばし話。お、T橋さんだ。久しぶり!
で、ロビー活動終了。楽しみにしてたシンポジウムです。会場の後ろのほうで座り込んで聞いてると、地元のH田さんが来られました。なんでも「若手」を出してるとか。なるほどな。滋賀って人材豊富やなぁ。
で、話を聞いてたのですが。イマドキそんなことがあるのか?って一般的に思われそうな「あるある差別話」もあったりして、なるほどなと。「部落差別は解消過程にある」なんて、どこ見て言ってるねんと思います。そんな中で、やはり「先輩」なんかとの出会いがあったり、出会い直しがあったりして、今の活動に結びついてる。いまやってる活動も、いわゆる「居場所づくり」です。それも理念からくるんじゃなくて、自分の前にある現実からスタートしておられます。
まぁ、そんなところはとてもおもしろいなと思うのですが、一方で目指す社会みたいな話になった時に、いきなり「上から目線」になるんだよなぁ。
確かに「経験」は「当事者」固有のものです。他の人には経験できない。なので、否定のしようのない絶対性を持ちます。そして、その経験は固有のものだから、それに基づいた「考え」もまた絶対性を持ってしまうし、「わたしたち」は聞くしかなくなってしまう。それはあまりにもおもしろくない。
一方、それは「固有のもの」だから普遍性を持たない。もちろん、他の「固有のもの」を経験している人との間に共感もあるかもしれない。でもそれは「固有の経験」をしている人の間でしか生まれないし、得てして「同種の経験」の中でしか共有できなくなってしまう。さらに、「他の経験」をしている人との間で、時としてパッティングすることすら出てくる。そしてそもそも、ある活動をしていることに「経験」は絶対的に必要なことなのかって話が出てくる。
このあたりは、当事者性を前面に出す時に陥りがちな「穴」だと思います。
もちろん、個人の話をするだけのことであれば、それはそれでありだし、そういう話をすることこそが必要なんだと思います。が、壇上に立つときは、それとは違うものが求められると、わたしは思います。
個人の経験は、あくまでも個人の経験として語る。一方、普遍を語るときは、その経験を一度飲み込む。そして、飲み込み咀嚼したうえで、「他の経験」に思いを馳せながら語る。
そんなことが必要なんじゃないかなと思うんですけどね。知らんけど(笑)。

そんなこんなで、いろいろもやっとしながら、少し用事をして、夜はいつもの飲み会です。いつものように、なにがなんだかわからないけど、ここは「個人の経験を個人のものとして話す」人と、そんな経験をしてない人とがフラットにいられる場所です。とても居心地がいい。
なので、さらに部屋飲みです。
「どの部屋?」
「そらいつきさんの部屋やろ」
マジか…。
なんか、話をしながら、途中で爆睡してしまいました(笑)。

4時間12kmの先

今日も午前はてんてこ舞いです。
まずは「みだしなみ点検」。もっともわたしは支店長といろいろ話をしてたんですけどね。話をしながら、つくづく「担任という仕事」を伝承してこなかったんだなぁと痛感したり。
で、1時間目の授業を終えて、とある担任さんと話。なので「担任という仕事」の伝承です。
例えば、謹慎の申し渡しの時にどこに座るか。まぁ、やってる時はわかってなかったけど、いま振り返ると自分のスタンスはそうやったんだと思うんですよね。
通常、教員と生徒・保護者は向かい合うんですよね。でも、わたしはなんとなくお誕生席とか生徒・保護者の並びの一番端に座ってました。そのことの意味を今振り返ると、たぶん「指導する側」に入りたくなかったんだろうなと思うんです。なんなら、指導される側に自分をおいてたんだろうな。でも、そこに意味があったんだろうなと思うのです。
なので、担任さんには「怒り役は他の人に任せて、担任は一緒に怒られよう」って伝えておきました。うまくやってくれたらええなぁ。

で、午後は年休。なんだけど、勤務時間が7時間45分で、4時間年休とったら、勤務は3時間45分のはずなのに、なぜか4時間半働かなきゃならない不思議。しかも、N良線は安定の遅延。
それでもなんとか10分ほどの遅れでマダンセンター到着です。今日は熊本からのお友だちと一緒に「おさんぽ」です。今日もガチのフルコースです。
まずは南まわりから。と、エルファの前で知りあいとバッタリ。お次は北まわりですが、途中で多文化共生ネットワークサロンに行って、40番地の写真を見せてもらったり。突然なのに快く見せていただいて、感謝しかありません。
そこから光公園→崇仁です。このあたりですでに2時間経過。どんだけウロウロするねんと。
で、崇仁をあとにして、ここからはどんどん北上していきます。で、川をわたって松原通り。さらに四条寺町から、ようやく三条です。たどり着いた先は安っさんです。時間は6時。4時間か。なんでも12km歩いたらしいです。
ここでようやくビールにありついて、前夜祭の開始です。なぜかK野さんとK林さんと、さらに角岡さんも合流して、わけがわかりません。
ここを8時くらいに出て、とりあえずおたふくへ。
「鉄板の火、落としたで」
「まぁ、ひとくちだけ飲まして」
と、定番の無茶ぶりです。幸いKっくんがいてくれたので、うまく潜り込めました。
ここでひとしきり飲んで、さらに鴨川へ。ここまで来るとアホです。でも、角岡さんもTじさんもつきあってくれてます。
てことで、11時くらいまで飲んでようやく解散。
出町柳行きの京阪に乗って、気がついたら祇園五条にいたのはご愛嬌。が、明日大丈夫かなぁ。

爆笑した→前々夜祭

朝、懸案事項があったので「どないでした?」と聞くと、トラブルがあった模様です。これはヤバイ。
てことで「食客」の出番です(笑)。とりま家庭訪問。前回は玄関先だったけど、今日は子どもだけだったので
「あげてくれや」
と図々しく要求。台所の床に座り込んで話しあい。そうこうするうちにお母ちゃんが帰ってこられて、お母ちゃんも交えて3人で話しあい。話しあいと言っても、爆笑の連続でした。結局、30分くらいで切り上げようと思ってた家庭訪問が1時間半遊んでました。
深刻な話なんだけど、おもしろかった(笑)。

で、お母ちゃんに駅まで送ってもらって、そのまま京都へ。駅でK野さんともうおひとりと合流。今日は全同教大会の前々夜祭です。
まずは「へんこつ」へ。

とにかくひたすらうまいです。明日の授業のネタができたな。
へんこつを出たところで、もうおひとりと合流。4人で崇仁新町に行こうかと思ったけど、なんとなく「フィールドワークしよう」という話になって、ではやろうかと。てことで、フィールドワークの途中にある角打ちで軽く一杯。今日もお母さん、いっぱいしゃべってくれはりました。
で、フィールドワーク開始。八条通りから光公園を経由して崇仁小学校→柳原銀行です。なんか、フィールドワークコースがほぼほぼ固まってきたかな。
で、そのまま崇仁新町へ。目当てのお店は「ちょぼ焼き」と「清華園」です。ちなみに、清華園で
「崇仁のお店って、こことちょぼ焼き屋さんだけですよね?」
と聞くと
「そうやで」
と。こんな質問するわたしに、一緒に餃子を買いに行った人がビビってました。いや、こんなん日常会話でしょう。はもっとえげつなかったし(笑)。
あとはグダグダ同和教育の継承問題を話したり。
で、早くに解散です。まぁメッチャ呑んだから妥当でしょう。
まだ早い時間なので、地下鉄もバスもあります。安心して乗ったら、バスは乗り越し。乗り越し料金払って歩いて帰りましたとさ。

障害と困難

今日は1年生の人権学習です。2学期は講演会。今年も去年に引き続いて小林春彦さんです。
1年ぶりに会った小林さん、少し痩せたかな。まぁモデルなんかもやって、メッチャ忙しいからなぁ。はじめて会った時は、まだ大学生だったっけ。単なる「吐く彦」でした。でも、今は売れっ子です。ゆきみちゃんやとーますや、その他いろんな人がいるけど、自分が「この人」って思った人が売れていくのはうれしいけど、そのうち忘れられてしまって、うちの学校に来てもらえなくなるんじゃないかと、さびしくなったりもします。
でも、今年も来てくれたから「よかった」と思うことにしましょう。

校長にあいさつをしてもらったら、そのまま体育館へ。準備からつきあってもらいます。その間、小林さんは発声練習(笑)。なんでも喉がガラガラだとか。
で、まもなく講演開始。
基本的には去年の話と同じなんですけど、やはりあらためて「うまいな」って思います。去年も書いたけど「disability」で考えるのではなく「difficalty」で考えるなんですよね。で、それは「社会と人間の距離」によってもたらされる。で、その距離を近づける方法はふたつしかない。ひとつは「人間が社会に近づく」で、もうひとつが「社会が人間に近づく」であると。なるほど、前者がリハビリテーションで、後者が社会モデルなわけですね。わかりやすい。
小林さんの特徴は、「社会モデル」とか「合理的配慮」を多用しないところなんですよね。もちろん使ってるけど、多用はしない。だから、「社会モデルとは」って説明が不要になります。つまり、ダイレクトに中身が入ってきます。
そして今年、新しくつけ加えられたのが「アディクション」でした。文脈は
「自立とは依存できる先を増やすこと」
とか
「自立の反対は孤立」
とかのあたりです。でも、アディクションのことと障害の社会モデルに回路があるのは、なんとなくうすうす感じてはいたけど、あらためて「なるほどな」です。
こうやって、あることをシングルイシューで語るのではなく、あることから別のことへ、そして別のことからあることへというのは「つながってる感」が伝わってくるし、わたしも使うんだけど、勉強になりますね。
にしても
「障害の「害」をひらがなにするのが鬱陶しいので、健常の「常」もひらがなにしました」
にはウケました。もっとも広い体育館の300人オーバーの中で吹き出したの、わたし一人でしたけどね(笑)。
てことで、とてもいい話でした。終わってから何人か個人的に話をしにいってるみたいで、ほんとにジブンゴトとして聞いてくれたんだなって感じました。
講演の後は、しばしクールダウン。
「やっぱわかりやすいわ」
というと、なるほどなとわかる答えが返ってきました。
つまり、小林さん、合理的配慮とか社会モデルとかいう概念が広がる前から、自分のことを説明するためにどうしたらいいかをずっと考えてきた。で、その結果が「disability」ではなく「difficalty」だったと。そりゃわかりやすいわ。どこかから持ってきた概念ではなく、自分の中から必然的に生まれた言葉なんですね。こういう時に「これが当事者かぁ」って思いますね。
そんなこんなで、小林さんは今回はメッチャ疲れてるので帰るとのこと。去年はメチャクチャやったけどね。またみんなで集まろうねo(^^)o。

人権とcommon sence

夜、家に帰ってビールを飲んで、やれやれと思ったところで一本の電話がかかってきました。
なんでも人権啓発のなんかの審査員をしておられるとか。で、出てきたものが「イマドキ」のもので、他の審査員は「いい!」って言うけど本人的には「?」なもので、でもみんかそれを選んで、自分の感覚っておかしいんだろうかと。
で、「いつきさん、どう思う?」
と(笑)。
なるほどな。たしかにその「イマドキ」の手法、ありがちです。例えば「みんな同じ人間」とか「みんな違ってみんないい」とかなメッセージ。でも、違いますよね。前者は論外だけど、後者だって「違いの中に格差がある」が必要なメッセージですよね。それが見事になくなる。
じゃ、なぜなくなるのか。それは「考えてない」からです。すごく簡単に言うと「自分の中にあるものを表現する」ことしか考えてない。それを見たマイノリティがどう感じ、その作品がどういうメッセージをマイノリティに対して与えるか、あるいはマジョリティに与えるかってことを考えてない。なぜかというと、しょせん市民感覚は「common sense」でしかないからです。
人権獲得の歴史を考えると、「common sense」との闘いでした。例えば、「部落は忌避・排除されて当たり前」「外国人なんだから権利がなくて当たり前」というcommon senseがあった。これに対して、まずは「同じ人間だ」と同質性の主張による権利獲得の論議が出てくる。例えば「同じ赤い血が流れてる」みたいなね。同じことが同性愛者でもあって「ホモファイル運動」みたいなのがあった。でも、それはあくまでもcommon senseの土俵の上の話でしかなかった。
それに対して、その「common sense」そのものを問う運動が出てきます。それは残念ながら「一般市民」からは出てこない。なぜなら「common sense」は「common」の「sense」だからです。まさに一般市民の感覚です。そして、人権は「commonではないsence」からスタートするからです。
もちろん、なかにはすごいのはあるだろうけど、それが「すごい」ってのはやはり「commonじゃないsence」だからすごいって思うんですよね。
と考えると、「市民参加による人権啓発ビデオ作成」って、つくることそのものに啓発の意味はあるかもしれないけど、そこでできたビデオを啓発に使うのはイマイチだなと。
やはり「The crazy ones」ってことですよね。

落差はあるもののとりま脱稿

今日は単なる月曜日。というか、そもそもイベントなんてそうあるわけじゃなくて、日常のほうが多いはずなんですよね。てか、多いから「日常」なんです。こんなに毎週イベントが続くのがおかしいんです。
てことで、イベントとイベントの間の日常の月曜日です。いろんな意味で落差が激しいです。まぁとにかくヌルヌルと授業をしましょう。まぁそんな感じなんですけど、子どもたちはえらいなぁ。なんか、授業が終わってるのにわからんところを質問してきます。すると、前に座ってる子が教えはじめる。まぁそうなるとわたしは用なしなので、その子らを放ったらかして職員室にもどったり。
あとはひたすら原稿書きです。センセは直感的におもしろいことをぶっ込んできます。が、なにせ直感的なので、それを定式化するのが難しい。まぁちなみに今回の原稿の中身もそんな感じです。それでもなんとか「まぁこれでとりあえず」くらいのところまで行ったので、共同で書いてる人たちに送信。どうせリライトするからそれでいいんです。
さてと、速やかに次の原稿の方を向かなくちゃ。まぁそちらは今まで書いたものをつなぎ合わせたらできそうなので、なんとかなるかな。

夜は家に帰っておでん食べながらダラダラ。食後は録画してある鉄腕ダッシュを見るなど。おとついいた名護が映って、しかもそこにタイワンハブがいると知って、少々ビビるなど。
でも、夜ふかしは禁物です。さっさと寝よう。