そして週末

やっときた金曜日です。ようやく「考える時間」が確保できそうです。そのために今週はバタバタしてきました。
今日の授業はふたコマとも同じです。とにかく残していた解答をサックリと黒板に書いて、あとは
「こんなのつくるのイヤなんだけど」
と言いながら、「基礎問題集プリント」を配りました。まぁしゃーないです。
でも、キケンな子の中で、このプリントやるのが、また少ない。どないすんねん。なので、子どもの近くに行って、まわりの友だちにアウティングです。
い「こいつな、夏休みに学校に来なアカンかってん」
このひとことでわかるんですよね。
い「このままやったら、冬休みも来なアカンねん」
友「それ、いつなん?」
ナイストスをあげてくれました。
い「クリスマス」
友「えー!それは最低やん。みんなが楽しんでる時に学校来なアカンの!」
まぁ、これくらいのプレッシャーかけないとあきません。にしても、まわりの子らよくわかってくれてます。
それにしても、クラスによってぜんぜん雰囲気が違います。あるクラスは「そろそろチャイムが鳴るな」と思ったら片づけはじめる。でも、別のクラスはチャイムが鳴っても問題解いてたり質問に来たり。しかも離してくれません。それがクラス全体の雰囲気とつながるんですよね。
そんなことを感じながら、午後からは「おべんきょタイム」です。まぁ、ガチのネタじゃなくて、仕事の延長みたいな内容ですから、まぁいいでしょう。自習中にたまに教卓にもどって考えたメモを、少し文章に流し込む感じです。
そんなふうにして午後を過ごして、放課後は放送部にちょっかい出しをして、気がつくと定時です。
さぁ帰ろう。

日常にまみれると

今日はもともとは体育祭でした。でも、昨日の時点で今日が雨とわかっていたので、来週に順延です。で、今日は木曜日だけど、月曜授業。特にこの時期「ハッピーマンデー」の関係で月曜日がたてつづけに休みになるため授業進度がクラスによってまちまちになるからです。ちなみに、2学期当初は午後の授業がなかったり、昨日も午後の授業がカットになったりと、午前と午後でも進度が変わるんだけど、そこはフォローしないんですよね。よくわかんないです。
ま、そういうことで、授業と会議にまみれる1日です。こんな日は、ほんとに何もできないので、空き時間はプリントづくりとか、やがて必要になるプリントの印刷とか、そんなあたりの作業です。
でも、今朝、前のおべんきょ場所のセンセからメールがあってゲンコをひとつ忘れてることに気づきました。やばいわ。何も考えてませんでした。

日常にまみれると、ほんとに何も考えられなくなります。新聞を読むヒマもないし、というか気力がわかないし、情報はネットだけです。まぁそれだけでもないよりはマシですがね。でも、その情報を咀嚼し、考え、どこかに投げ返すことができなくなります。まぁ、やってる人はできる人なんでしょうけど、わたしはできない。
わたしにとって、どうやら「考える」ということは、それなりの時間がないとできないことのようだということが、ようやくわかってきました。まぁ、今頃気がついたのかと、それならなんとかせいやという声があちこちから聞こえてきます(笑)。でも、だからといってすぐに時間がつくれるかというと、そうもいきません。いや、土日をなんとかすればどうにかなるだろうという話は当然あるわけですが、それはどもなりません。てか、どうにかしたって、それはそれで土日に用事は入ります。まぁそんなもんです。

でもまぁ、この危機に気づいただけでもよしとしましょう。で、今日明日のリソースを、忘れていたゲンコに割り振りましょう。
ということで、ほんの少しの時間だけど、ペーパー読みです。うーん、まだ形にならない。でも、いくつかキーワードがある気がします。これをどう形にするかですね。そういえば材料があったな。とにかく集中!

やはり不摂生か→顧問の仕事→忘れられてなかった

で、授業を粛々とこなし、おべんとを食べて、出血確認(笑)。なんか、血の塊がありますね。朝はなかったのにな。なんかいやな感じです。
でも午後は体育祭の予行です。今年は吹部(すいぶ=吹奏楽部)の音を拾わなくちゃならないので、マイクがメッチャ必要です。まぁええか。ワイヤレス、ハンドヘルドが4本とタイピンが2本あるし。で、強い日差しの中、ウロウロしながら放送やっているうちに、出血箇所近辺がアカン感じになってきました。やれやれ。
予行が終わってトイレで出血箇所を見ると、血の塊がつぶれてました。やはりこれか。まぁ原因が確定されたから、その原因がどのようなときにできるかがわかればいいわけね。てか、わかるけど。

で、部室へ。
予行の片づけも終わって、なにやら雑談しています。まぁ片づけが終わったんだったらええわと外に出ると、副部長が
「知ってます?」
とやって来ました。また人間関係のもつれかよ(笑)。まぁ、文系クラブはこんなもんです。色恋沙汰じゃないのが救いです。色恋沙汰になるとドロドロになるし、
「あいつをやめさせて、わたしもやめる!」
みたいな生産性のない(笑)話になりますからね。
そこからは、子どもたちのグチの聞き役。というか、グチを言ってるのを隅っこで聞いてるという感じですか。1時間半ほど聞いたところで終了。特にアドバイスなどなく。というか、そのゴタゴタを何とかするのも含めてクラブなんだし、放送部をつぶしちゃいけないという気持ちは共通してるから、みんなでなんとかするでしょう。それを見守るのが顧問の仕事です。

てことで、疲れたので、久しぶりに「へんこつ」に行こうかなと。いや、校門近くで話をしてたら、去年担当した子が
「今日も飲みに行くんかー」
って聞いてきたので
「最近、へんこつ行ってへんし、久しぶりに行きたいなぁ」
「連れてってーな」
みたいな会話をしたからなんですけどね。
てことで、帰りにへんこつへ。ここ、会員制で「常連さんのみ」なんですよね。前に行ったの1年前やし、覚えてはるかなぁ。
「すんません、ひとりです」
大将、こちらをチラリと見て
「奥行って」
とひとこと。入れてもらえましたo(^^)o。
いちおうこの店では、なぜか女性扱いです。で、一見さんの女性はまず入店できません。いや、かつては女性がいっぱいおられたんですよね。
てことで、「そことうふとキリン」と注文。

最高です!相変わらず絶品です。
い「いつもここにいはるおじさんは?」
店「まだ時間早いからやねん。お客さん、久しぶりやね。向こうで「久しぶりやなぁ」って話てたんよ」
い「覚えてもらってたんや。ありがとうございます」
みたいな会話から、やがてわかったことは、どうやらいろいろトラブルがあってたいへんだったみたいです。そこから一見さんのカポーはお断りになりーの、一見さんの女性もお断りになりーの、一見さんはお断りになりーの。まぁ、トラブル起こす人が悪いんで、すべてのカポーや女性や一見さんの男性が悪いわけじゃないし、入店拒否はアカンというのが原則です。が、危険回避ってことなんですね。それだけのことがあったんでしょうね。でも、ここはひとりで来てもいいけど、誰かと来るのがいいんですよね。
てことで、日本酒いっぱい追加したところで終了。40分くらいでサクッと切り上げるのも、この店の作法です。
あぁ、おいしかった。また、誰かと来よう。

不摂生の続報→朝の出来事

朝、職場に行って、トイレに入って出血確認。出てました。うーん。でも今日は忙しいです。午前に授業が3発あって、午後は体育祭の予行です。てことは、今日は雑務は何にもできないな。てか、それよりも出血が心配です。

とりあえず、朝1発目の授業開始。
い「なんかな、昨日、授業中イスの上に立ったやつがいるって聞いたんだけど、そんなことするやついいひんのになぁって思ったんやわ」
子どもたちの視線が、とある生徒に集中しました(笑)。はい、犯人決定(笑)。
い「ほんで、騒いだんか?」
生1「騒いでへん。イスの上で伸びしただけやし」
い「ほな、うるさいやつ、誰やねん」
子どもたちの視線が、別の生徒に集中しました(笑)。そうか、犯人は別々だったか。
生2「おれより生1のほうがうるさいし」
い「なんか、うるさい男子がいるという話やったわ。おまえらか」
と、女子生徒の発言。
生3「でも、わたしらのほうがもっとうるさいと思うで」
おまえら、ええやつやなぁ(^^)。

不摂生とか

今日は午前は「第2のふるさと」で会議です。今日はわたしがしたい話とその場でなされた話が少しずれたかなぁ。「子どもができないところを担任はわかってるんだから、そこをちゃんとフォローしなきゃならん」という話が出てきて、それはまったくその通りなんですが、わたしはそういうのはある種の精神論的な話だと思ってるんです。で、この場はそれはあたりまえの前提条件で、そういう話をする場ではないと思っているんですよね。具体的には「勉強が苦手な子どもたちに何が不足していて、それはどのような要因から起こっていて、それにどのように対処すればいいのか、あるいはそれを未然に防ぐにはどのようにすればいいのか」ということを過去のデータと現在子どもたちをとりまく状況とを重ねあわせながら論議する場所だと思ってるんですよね。
まぁ、その前提条件が崩れてるのかもしれないけど、でも、そこまでしつこく言わなくてもええんとちゃうかなと。つまり、そこにいる人たちは「わかってる人たち」なんですからね。まぁ言うならば、ホームルームの時間に「お前ら、なんでホームルームサボるねん」って話をするのと同じで、それは来てる子らに言うなよなって話です。いやもちろん言うのはいいんだけど、来てる子らがその話を聞くことに意味があるように言わなきゃならんだろうということです。
てことで、午前の会議終了。
ガッコに行って、トイレに行くと、某所から出血してるのを発見。うーん。3年たってもアカンか。まぁ、理由はわかってます。一番修正してほしかったところは、かなりたいへんだったので、相当テンションかかってるんです。でも、そこはけっこうこすれるところなので、傷ができやすいんです。例えばUシットとかするとアウトです。たぶん、昨日の筋トレがアカンかったのでしょう。でも、落ち込みますね。
で、おべんと食べたら、すぐにK新聞の記者が来られて、1時間半ほど取材を受けるなど。写真撮られちゃいました。バックは散らかってるぞ(笑)。
その後、傷跡の処置をしてみるなど。
あとはダラダラ雑事をして、定時にあがって、先週に引き続いてカイロプラクティックです。先週は体調最悪だったので、効果は劇的でしたが、今週はメンテナンスって感じです。次回は来月。その程度まで回復したってことですね。
さぁ、家に帰ってビールを飲んで、「マツコの知らない世界」を見て寝よう。と思ったら、「マツコ」ないよ!秋の特番かよ!ったく、特番、やめぇ!

どっちもどっちじゃない

はじめに結論を書くと「玉城デニーさんが当選してよかった」と思ってます。
「ウチナーでもなく、沖縄に縁もゆかりもなく、運動もしてないお前に何がわかるねん。何を言うとるねん」という批判は、当然引き受けます。でもそれは、アメリカに縁もゆかりもなにもないわたしがアメリカ大統領選挙の結果に関心を持ったり、その結果に喜んだり悲しんだりするのと同じ程度のことです。まぁ、アメリカとは違い、沖縄の現状にヤマトンチュのお前には責任があると言われたらそのとおりで、そうなると玉城デニーさんが当選したのを喜ぶこともまたかまわんやろとも思うわけです。
で、なにがよかったか。
それは、アメラジアンであり母子家庭の知事が誕生したということです。かたや佐喜真さんは羽衣伝説の末裔です。出自的にどちらを選択するかというと、わたしは玉城さんです。なぜなら、そういった立場の人のことをきっとわかるだろうなと思うからです。
もちろん、「ある出自を持つ人しかその問題はわからない」とは思っていません。そんなことだったら、わたしがやってることはすべて不可能になります。てか、「そういう出自を持つ人」にお願いして、わたしは退散します。
ではなくて、政策見た時に「そうだよなぁ」と思ったんですよね。なにより「中高生のバス代無料化」は「だよねー」と思いました。
例えばこれ、京都府知事には思いつかない発想です。なぜならバス代の高さを知らないからです。てか、京都市内のかなりの人は均一区間なので、わからない。でも、ひとたび均一区間を出ると、バス代ってすごく高い。わたしも京都府南部にいなかったらわからなかったと思います。
これだけでどれくらいの効果があるか。
例えば、バス代のために子どもがバイトしなくてすむ。例えば、バス代のために親がその分過重な仕事の仕方をしなくてすむ。例えば、バス代を節約するために親が車を動かさなくてすむようになる。例えば、子どもたちがバスに乗ることで、バス内でコミュニケーションをとることができるようになる。例えば、バスに乗る人が増えて、もしかしたらバス運転手の雇用が増えるかもしれない。
いろんな効果がある可能性があるんですよね。
それからもうひとつはアイデンティティです。
例えば、佐喜真さんが勝ったとして、その時カチャーシーを踊っただろうか。たぶん踊らなかったんじゃないかな。誰かが「ウチナーグチを使わないことに気づいた」って書いてたけど、そこです。佐喜真さんの本心はどうかわかりませんが、少なくとも玉城さんはアイデンティティとしての沖縄をとても大切にしている。そういう人が知事になることがとても大切だと思っています。
かつて、1995年の県民大会で「人沖縄は誰のものでもなく、沖縄の人のもの」というアピールがありました。その言葉が突き刺さってきます。少なくとも、玉城さんはそう考えている。それが翁長さんの遺志を継ぐことなのかなと思います。
で、辟易ということ。特に若者の辟易ということ。そして、10代20代では佐喜真さんが勝っていたということ。いろんな人がいろんな分析をしてるので、それはそこに譲るとして。
「辟易」を持ち込んだのは誰なのか。もちろんヤマトンチュである「わたしたち」です。が、ヤマトンチュは一枚岩なのか。それは違います。どのヤマトンチュが持ち込んだのかは正確に考える必要があると思います。そこに「どっちもどっち」を持ち込むのは違うと思います。
わたしは沖縄を利用したくない。だから、利用されることを拒否し、沖縄は沖縄の人のものということを明確に打ち出してくれた玉城さんが当選したことを喜ぶのです。なぜなら、わたしが利用することを強制されなくなるからです。

そんなことを考えていたら、ノーベル賞受賞のニュースが来ました。
「基礎研究が大切」と、この間、受賞者が口を揃えて言ってます。でも、そのことを聞かない。そして「受賞」という事実のみを利用する人たちがいます。「基礎研究が大切」という発言を利用するのと、「受賞という事実」を利用するのと、それらはどっちもどっちなのかな?
たぶん違う。