いろんなことを考えてきたなぁ

明日、とある学会で話す機会をもらいました。いちおう「指定発言」という立場なそうな。にしても、指定発言っていったいなんだ?もらえる時間はシンポジストと変わりません。まぁ、抄録書かなくていいかわりに、たぶん業績にはカウントされないってことなのかな。てことは、学術的な知見に基づく必要がないから楽ですね(笑)。
てことで、先週の話をもう少し膨らませることにしましょう。
で、いろいろ考えていたのですが、「そうそう、そういえばかつて「当事者性をめぐるあれこれ」って話をした時期があったよな」と思って当時のプレゼンを見ると、なかなかおもしろい。最近これやってないけど、まぁマニアックなのでオファーは伊丹のふたりくらいしか出してくれないネタだから埋もれてしまってるけど、なんとなくもったいないです。なので、先週の話にこれを合体させようかなと。少しムリくり感はありますがね。
それにしても、今までいろんなことを考え、いろんなことを発信してきました。ほとんどスクラッチから考えて経験則で話をしてきました。でも、きっとすでに研究分野でそんなことは解決済みなんだと思うのです。単にそれを知らないだけなんでしょう。
それを思い知らされたのは、T田さんとのやりとりです。
かつて「いじりといじめ」の話をしたことがあったけど、それ、すでにやっておられるんですよね。それを知って、すごくうれしかったんです。なにがうれしいかって、研究者が研究の俎上に載せたことと同じことを思いついたってことがうれしいんです。だって、専門家レベルのことを思いつくわけですからね。そしてそれを発信する機会をもらえて、それなりに笑ってもらえるレベルで発信できる。その程度の発想力というかなんというか、そんなもんは持ててるということがうれしいんです。そして、こしばらくそれに厚みを持たせることができているんだろうな。それはなんといっても、この7年間の「おべんきょ」のおかげでしょう。なぜなら、「くやしい」じゃなくて「うれしい」と思えるようになったのもそのおかげだし、「おもしろい!」って思える幅が増えたのもそのおかげだし。
やはり今考えてるネタはきちんと育てたいな。そうすれば、もうひとつネタが広がるはずです。しんどいけどね。

食わすことを決断

それにしても数学Bの授業は楽しいです。
たしか3年ほど前にやったことがあったけど、あの時はメッチャ久しぶりで、たぶん「代数・幾何」以来のベクトルだったんじゃないかな。完全に忘れてました(笑)。でも、当時教えてた子らは「英語より数学がマシ」という子らなんですが、そのうちのひとりは「両方ともダメ」という、まぁそういうクラスで、それはそれで楽しかったけど、今とはずいぶん違います。
てことで、しっとりと落ち着いた4人の時間を2時間過ごしました。
さてと。今日の問題は「なんちゃって翻訳」です。とにかく難しいです。あちこちで単語にぶつかったり構文にぶつかったり。で、とうとう決断しました。
google先生にやってもらう(笑)。
すると、おぉ!やってくれます!だいたいだけど。まぁ、わかってるフレーズや単語なんかで「これは違うだろ」みたいなのは適当に修正かけるし、明らかに誤訳は、その誤訳をもとに元の文章をにらむと、なんとなくわかってくるし、とにかく手がかりがあるってことがとても助かります。あと、メッチャ長い文章は「これ」とおぼしきところで切ると「おお!」ってなります。それにしても、google先生に頼むのはこの時以来やな。T田さんに「いや、だから」って言われそうだけど、てか、自分の力を伸ばすことにはならないけど、とりあえず当面は「泥縄式」でいきますか。

遅々として進まない

朝、JRの情報をチェック。安定の遅延です。まぁしゃーないです。基本的に他の路線を走らせて、最後に走らせるのが、わたしが通勤に使ってる路線です。しかも単線で京都方面を優先させるので、反対方向は必然的に遅延しまくりです。なので、車出勤です。
職場に着くとめっちゃ早い。電車は時間がかかるってことです。ちなみに同僚曰く
「20分遅れで、前の電車がいつもの時間にきました」
まぁ、そんなもんです。
今日は出張日です。が、出張がない!かわりに午前中にうちの職場で会議です。まぁ外に出なくていいのは楽は楽です。それでも迎える側としていろいろ準備。
と、一本の電話。
「昨日の今日なので出校体制がとれなくて延期でおねがいします」
まぁええけどね。なので、迎撃体制を解除。
てことで、ぽかんとあいたので、いろいろ雑務をしてみたり、おべんきょしてみたり。
で、午後からは英語にご対面。
アカン(;_;)
高校英語レベルではEMとかCAとかは読めません。単語は調べたらいいけど、一文が長い。長いということは、係り結びとかがやたら多いというか修飾関係がスパゲティ的というか。さらに、コンマがやたら多い。てことは、一文の中にいろんなことがぶっこまれてるってことですよね。
てか、そもそもEMもCAも日本語がわかりにくいんだから、英語もわかりにくいに決まってます。これはつらいな(;_;)。どうしたもんだろ…。
しかたないから仕事しよう(笑)。

と、気がついたら定時をまわってます。
てことで、前のおべんきょ場所へ。いつもの4人体制のペーパーつくり会です。脳みそのリソースはこちらにはほとんど振り分けられてませんが、みなさんの話を聞いてなんとかするしかありません。
で、2時間くらいいろいろ論議。なーんとなくボンヤリと見えてきました。
それにしてもセンセの章立て、笑います。
1、問題の所在(センセ)
2、小学校の事例(小学校のセンセ担当)
3、中学校の事例(中学校のセンセ担当)
4、結論(わたし)
たぶんわたしが事例を出せないとわかっての割り振りですね。そしてそのとおりなんですよ。はじめはセンセ「アンソロジー」って言ってたけど断念みたいです。
まぁ、結論は他のおふたりの事例を受けてのことなので、しかも問題の所在に沿わせば、まぁなんとかなるでしょう。センセも
「ゴッフマンでもなんでも使ってね」
とか笑ってたし(笑)。
やれやれ…。

久しぶりの感覚

朝、出勤途中、駅から「月曜日か…」とダレダレの気分で歩いていました。同僚と3人でいつもの小道に入った瞬間、
ドンッ
と突き上げてきました。と同時に、足元の道路が
ウニャ
とうねりました。
同時に、盗難防止ブザーのついた車がビービー鳴るわ、たぶんみんなが持っているスマホが鳴るわ。あたりはピーピーピーピーとうるさいのなんの。
向こうから歩いてきた小学生が凍りついています。
「あの、どうしたらいいですか?」
と聞いてきたので、
「とりあえずブロック塀から離れて広い道路に出ようか」
と答えて、その後道まで追っかけて、そこにいた高学年ぽい子どもに
「小学校に行き。広いから」
というと、その子ども、走ってどこかへ逃げていこうとする低学年ぽい子どもに
「学校に行くよー」
と声をかけてました。その様子を見ている高校生
「わたしらどうしたらいいんですか?」
と聞いてきたので
「とりあえず学校に行こか」
と。基本的には学校は広域避難場所なんですよね。
職場に着くと、柔構造部分はそれなりに動いたけど、それ以外のところはとくになにもなし。もっとも被害が予想されるのがわたしの机まわりです。さて、どうなってるかな。
被害は甚大でした。

こないだせっかく長いチョークでそろえたのに(;_;)。
まぁそのあとはいろいろやっていたけど、最終的に休校が決定。生徒たちが喜ぶ様子が伝わってきたので、放送部員に
「お前らよう考えや。回復措置があるんやで。それでもしも終業式が一日延びたらどうなると思う?」
というと
「…あ、合宿…」
という答が返ってきたので、まぁ正常やなと。

それにしても、JRは動く気配なしです。となると帰れません。同じ方向に帰る車通勤の同僚に、帰る時に乗せてもらうように交渉。その同僚、保育園のお迎えがあるとのことで、早々に年休をとって帰ることに。
家に帰ってふとんに寝転がってパソコンを見ているうちにやたら眠くなったので、眠気に抗うのをやめてそのまま寝てしまいました。
なんか、なにもできない一日やったなぁ。でも、明日からがたいへんだろうなぁ。

闘う相手

で、控室でおべんとをいただきながら主催者の方々を交えて雑談。その中で出てくるのは、当然のことながら「理解増進」にまつわるあれこれへの批判です(笑)。もちろん、わたしもその文脈で発言したわけですが。
てことで、さらに村木さん・伊東さんと呑み。
ここでは悩める村木さんの話を聞くなど。そりゃひとつのNPOを維持するのはたいへんですよ。ほんらいビールを飲みながら仕事をしたかったはずなのに、そうもいかない現実がある。なので、こないだ元気をもらった「気づき」を紹介。
「わたしたちって、悪と闘ってるんじゃなくて、正義と闘ってるんでしょ」
村木さんの目が輝きました(笑)。アカンやつや。

当事者枠(笑)

今日は朝の9時に大阪に集合がかかってます。なので、7時過ぎにはスタートです。まぁ、少し早めに行くに越したことはないでしょう。
今日は大阪の臨床心理士の皆さんの集まりの総会があるらしいです。メインゲストで呼ばれてるのは虹色ダイバーシティの村木さん。で、わたしは村木さんから「当事者としてトークをしてくれない?」という依頼を受けました。
当事者(笑)
でもま、いちおう当事者ではあります。
こないだも、ある3人しか受講してない授業で
「わたし、ある分野の当事者なんだけど、わかる?」
と聞いてみました。
S「知らない」
い「わたしの性別、気にならへん?」
S「ならへん」
い「そうなんや。じゃ、わたしが入るトイレは男か女かどっちだと思う?」
S「…。女?」
い「まぁその瞬間の躊躇があるってのが当事者ってことだよ(笑)」
てことで、当事者らしいです。もっともなんの当事者かは言ってないのでカミングアウトではありません(笑)。
で、当事者として話をすることはなかなかないので、引き受けることにしました。が、当事者枠におさまるつもりもないので、与えられた20分のうちの半分は当事者枠で、あとの半分はトランスジェンダーの子どもたちのことを話ししようと思いました。
ちなみに、臨床心理士さんの仕事はある種のトランスジェンダーにかなり近いところにあります。例えば医療にアクセスした時の心理検査は臨床心理士さんの仕事です。あるいはトランスジェンダーの子どもたちが必要に応じて受けるかもじれないカウンセリング、特にスクールカウンセラー臨床心理士の方もやっておられます。なので、当事者としてやってきたことや、子どもたちのことをの届ける意味でも、あえて引き受けることにしたということです。

で、お座敷開始。まずは村木さんから「基礎編」です。「基礎」といっても、内容は豊富だし、多岐にわたっています。つまり、セクシュアリティについて話をするだけじゃなくて、同性パートナーで起こる諸問題やトランスジェンダーのことなんかも網羅されながらも必要最小限に絞り込んでおられます。そして、ところどころに挿入される「自分の話」が、話にリアリティを感じさせます。勉強になるわ。そして予定の1時間ちょうどで終了。勉強になるわ。
お次は伊東カナトさん。なるほど、村木さんが「当事者枠」をつくってるのは、「トランスのことはわからない」という正直な態度なわけですね。「よく知りませんが」と言いながら話すわたしよりもずいぶんと正直なんですね。で、伊東さんの話はなかなかよかったです。てか、わたしが話せる内容がなくなりそうです^^;
で、わたしの番。まずは写真を見てもらいながら「時期」について少し考えてもらいました。もちろん650人ほどおられるので、いちいちインタビューなんかはしません。すみやかにそれぞれの「時期」について説明して、「まぁ現実はそんなもんでして」と落としておいて、子どもたちの話です。こちらはいつもの話ですが、いつもの「ネタ」のところで笑ってもらえたので満足しました(笑)。やはりこの日をひとつの境に、たぶん自分のとるスタンスは変わったというか明確になったというか。なので、そんなあたりを「臨床心理士さん」にこそ知ってほしいと思ったんですよね。
で、村木さんに「あと何分?」って聞いたら「5分残ってるよ」と言われたけど、スライドも終わったからやめちゃいましょう。長いよりいい。
最後にしばし質疑応答。みなさんからの質問に対してことごとく蹴散らすような答えをしたのも、あえてのカウンターです。でも「配慮より権利」は、あとの控室での話題につながったな。

わたしは裏方

今日は午後から全国在日外国人生徒交流会の事前合宿です。例年は放送コンテストとかぶるのですが、今年は諸事情でかぶらないので、最初からの参加です。とは言え、これまた諸事情で自分がメインになるのはアレなので、今年は若手のAっちゃんにお願いして、わたしは裏方に徹することにしました。
てことで、午前はフリー。
とりま、しばしおべんきょして、昼前にランニング。7キロ強を6分切りで気持よく走れたのでよしとしましょうか。とにかく1週間走れなかったのはきつかった。
で、午後から事前合宿です。
とりま、参加した子どもたちのエスニシティを考えてメニューをつくるのが仕事かな。てことで、定番のアドボとか水餃子とかナムルに混じって、今年はフランス料理の「アッシェパルマンティエ」と日本料理として「油カスの炊き込みご飯」を取り入れました。
みんなでワイワイつくって、ワイワイ食べるのがここの交流会です。それにしてもえらいのが、食事が終わったら酒を飲んで論議をしてる大人を無視してかたづけをはじめるあたりかな。でもま、15年くらい前もこんなんだったかな。
なんしかいい夜が更けていきました。

中近世の「坂」の領域と風景

今日は京都部落問題研究資料センター主催の「差別の歴史を考える連続講座」です。講師は下坂守さん。内容は、なんと弓矢町と物吉村をめぐるあれこれです。
このあたりのことをはじめて知ったのは、2012年のことです。ちなみに、このブログの記事、「物吉村」でググると出てきます(笑)。まぁそれくらい知られてないってことかな。さらに、弓矢町については「弓矢町」だけでは何も出てきません。ただ、それなりに研究は進んでいるのかな。今日はその研究成果の一端を聞かせてもらえるようです。ワクワクします。
レジュメはB4が4枚。うち二枚は絵図と地図です。たまりません。
話の内容は、基本的には「物吉村がどこにあったか」という話です。わたしはいちおう宮前さんから軽く教えてもらっていたので、だいたいの場所は想像ついていますが、その根拠となる話を聞けるので、楽しみです。で、物吉村の場所を確定させるためには、弓矢町の「木戸」がどこにあるのかが大切です。なぜなら、古い絵図を見ると、西の木戸の内側すぐのところに書かれているからです。てことで、まずは弓矢町の木戸を探すところから話がはじまりました。
古い絵図や、建仁寺の地図なんかを見ると、ちゃんと木戸が書いてあるんですね。さまざまな時代の木戸の位置を確認しながら、当時の弓矢町の範囲を確定させていきます。これが大切なのは、物吉村は弓矢町の中にあるからです。そして、弓矢町は建仁寺の領地にはなかったからです。
ちなみに、東山はほとんどが建仁寺祇園社などの地頭の領地とのことです。その後、江戸幕府が鴨川に堤を築くことで、もともとの建仁寺を守る堤であった大和大路と堤の間に土地ができて、そこが宮川町になって、新たに幕府の直轄地ができます。ただ、その直轄地ができる前は、基本的には地頭の土地でした。が、弓矢町はそうした地頭の支配下になかったということです。しかも、物吉村は建仁寺との境界線上にありました。なので、弓矢町の境界線を確定することは、物吉村の位置の確定にすごく重要であるということです。
で、いろんな資料を使いながら、ほぼほぼ位置が確定できたところで、お次は物吉村の場所です。が、これが難しい。というのは、なかなか資料に出てこない。でも、いくつかの資料を用いながら少しずつ場所をつめていきます。
歴史家って、こういう緻密な作業をしておられるんだなと、あらためて驚きます。
そして、最終的に確定された場所は、やはりかつて宮前さんから教えてもらった「あの場所」でした。
ただ、単に教えてもらったんじゃなくて、そこに至るプロセスを知ったことで、「おさんぽのネタ」が、またひとつ増えました。
講演のあと、ちょっとビビリながら下坂さんに
「そのあたり、友だちに頼まれたらパチモンのフィールドワークをしてるんです」
と言うと
「それはそれは!じゃぁ、今日の資料を使ってください」
とか言われて感激です。だって、それをお願いしようと思ったら、逆に「つかって」って言われるわけですからね。歴史学者の懐の深さを感じました。

てことで、「おさんぽ」はまたまた長くなりそうです(笑)。

はじめから第2部でええんちゃうん

今日は2ヶ月に一度の滝井参りの日です。
てことで、午前にガシガシ雑務をして授業をします。考えてみると、今週はひどいです。月曜日は授業にまみれる日だし、火曜日は午後から出張。水曜日は人権学習で、木曜日は午後から受診。ほとんどあきがありません。まぁ、自業自得ですけどね。
そんな中、今日ちょっとよかったのが、いつも寝てる子が起きてたことかな。授業が終わった時「今日は起きててくれてうれしかった」って言ったら変な顔されました(笑)。
昼のおべんとは昨日食べそこねたもの。いちおう冷蔵庫に入れておいたけど、ビミョーな味がしました(笑)。
で、生徒と面談を済ませたらスタート。

診察室に入ると
O「久しぶりですねぇ」
と言われました。たしかに…。前回会ったのは…。1ヶ月前か…。
い「そういやKうさんにもずいぶん会ってない気がします」
もちろんこちらも1ヶ月。てか、1ヶ月会わなかったらずいぶん昔な気がする生活もおかしいかも。
そこからは「喪失」をめぐる考察をふたりで進めてみるなど。まぁ診察室での会話はだいたいこんなもんです。
O「それにしても、15年前にはこんなことになるとは思いませんでしたねぇ」
ほんとです。15年前と言えば2003年。滝井に来はじめた頃です。そりゃ、まさか死にかかったり(笑)、海外の賞をとったり、ましてや「おべんきょ」するなんて考えませんでしたよ。でも、後悔はしてないです。

で、買い出しをすませて「まんまるの会」です。
が、人が来ない。待っても待っても来ない。なので、そこにいた3人で「もう食べよう」ということになって、わたしひとりが飲む宴会に突入。でもせっかくなので今日のお題の「傘にまつわるあれこれ」を話しあってみるなど。
そんな中で、「正義の味方よりも悪役の方が努力している」という話を持ち出してみたり。そんな中から「いつきさんはなにと闘ってるのか」みたいな話になって
「いつきさんは正義と闘ってる」
と言われて、一度大爆笑。でもそうか。正義と闘っていたんだ。だから仲間を募って努力してアクティブに闘わなくちゃならないのか。ストンと落ちました。
そんなことをしてると、それでも人が集まりはじめて、半田そうめんを茹でてみたり、なんか最近来た人にダラダラ語ってみたりしているうちに、あっという間に9時半です。
「はい、撤収撤収!」
ということで、無事10時におひらき。さてと帰りましょう。なにせ、家まで2時間弱かかりますよ(;_;)。

ゆきみちゃん講演会

一昨年までは特殊な人権学習の組み方をしていたうちの学校ですが、去年からそれができなくなったので、まぁ「ありがち」な組み方にしました。まぁ、全学年一斉ってのはおもしろいけど、カリキュラムとしては無理があったので、それはそれでいいかなとも思ったりもしています。
で、外部講師をどの学年のどの内容で入れるかが問題です。
三題噺は「部落差別」「外国人差別」「障害者差別」です。これを各学年に振り分けて、さらに何学期にやるかを考える。3年生の2学期はリビングライブラリなんで、そうなると1・2年に外部講師となります。そんなことをいろいろ考えて、部落差別はわたしが話をしようかと。それがこないだでした。
それにしても、1学期は1年でプレゼン、2年生は講演で、3年生はプレゼン。来週は1年生のワークということで、何回人権学習するねんという感じです。
てのはおいといて…。
「障害者差別」と「外国人差別」を誰にお願いするか。もちろん鉄板の人もおられますが、あえてそこははずしたいと思ってお願いしてるのが小林春彦さん三木幸美さんのおふたりです。でも、このおふたり、ここ3年でメッチャビッグネームになってしまって、そのうち相手してもらえなくなるかもなと(笑)。でも、わたしに先見の明があったということにしておけば、少しうれしいかもです。
そんなわけで、今日はゆきみちゃんの講演会。対象は2年生です。
1・3・4と授業をやって、昼休みに準備をしてると、同僚が迎えに行ってくれたゆきみちゃんが到着。そこからふたりで準備したりしていたら、生徒が体育館に入ってきました。マジか…。まだ10分前だぞと思ったけど、こいつら10分前行動をしてるんだった^^;。
で、ゆきみちゃんが話しはじめたんだけど、やはりいいな。淡々としてます。「大きな差別」を語らない。ほんとうに身のまわりで起こったことを淡々と話す。だから伝わります。そしてもうひとつ。受け身ではない。なぜなら「ダンス」という形で子どもたちの居場所づくりをしているからです。だから、教員サイドのことも語ってくれます。これは大きい。なぜなら、例えばうちのガッコの子らの中には保育の道に進む子もいます。そんな子らが将来出会うであろう子どもたちの話をしてくれているからです。それからもうひとつは仲パレ〜ダイバーシティパレードという「運動」もやっています。そういう多彩さが、子どもたちのどこかに引っかかります。
終わってから、なんでもひとり会場の外で質問に来た子がいたとか。さらに職員室でダラダラしようと思ったら、ひとり相談に来た子もいました。そうこうしていると、ある担任さんが感想文を持ってきてくれました。そこにも自分のことを書いてる子がいました。すごいな。ほんとに響いたんだ。
今年もゆきみちゃんに来てもらって、ほんとうによかった。来年も来てくれるかなぁ。

その後、しばらく職員室で話をして、4時に年休をとって、ゆきみちゃんと京都駅へ。近くの居酒屋に入って、反省会です。でも、とくに反省することもなく。仕事のことやプライベートなことなどいろいろ話。そうか、ゆきみちゃん、仕事に投入しながらも、少し客観的にみられるようになったんだ。そこから、今の仕事の魅力なんかもわかるだろうし、だから仕事の意味や価値がわかるようになる。
わたしもわたしでいろんな話。
あっという間に時間がたって、気がつくと、ゆきみちゃん、次の仕事に遅刻だとか。ごめん^^;。
それにしても、おなか減った。
家に帰るとたらこパスタ。これは食べなければ!