何もしないのは難しい・インフルエンザ(3日目)

今朝もボーとしています。昨日の夜もあまり寝られなかったのかな。やはり、背中が痛いことと、「何かが不安」という精神的なことが原因な気がします。決して「お酒を呑んでないから」ではありません。
が、なんとなくそこのところが不安になったので、「アルコール依存 断酒 不眠」で、ちょっと検索。すると、「睡眠障害、寝汗、大量の発汗、動悸(自律神経症状)、イライラ感、不安(情動症状)」とあります。てことで、お酒を呑んでないからでした(笑)。
朝のうちに、今後のことについて副支店長に電話。
い「あの、日曜日に発症して、金曜日が5日目なんですけど」
副「あぁ、金曜日、体調よかったら来てもらってもいいですよ」
い「え?学校保健法では…」
副「まぁそらそうやけど(略)」
やるな。さすがは「アカン」仕事です。PCな観点からは「5日を守ってください」ですよね。つまり、感染予防の観点からは必要なんです。でも、それではまわらない。だって、わたしひとり欠員なだけで、わたしの授業8コマを誰かが担当にしなくちゃならなくなります。でも、みなさんキチキチに授業持ってるから代講は難しい。てか、わたしがもっとも授業が少ない人のうちの1人です。今回なんざ、非常勤の人が代講行ってくれてますから、ムチャクチャです。そんなのがあたりまえの学校現場だから、「早く来てほしい」とならざるを得ない。
まぁそりゃ、学校がパンデミックの温床になるのはあたりまえですわな。
で、あとは1日ダラダラ。なにせ、原稿書こうにも、頭が働かない。
と、facebookでいろんな人から
Fくん*1「ゆっくり休んでくださいな。こんなときくらいだよ、教員がゆっくり休めるのは」
Y姐「頭空っぽにする練習しろってことやで、多分」
と、優しいコメントが来て、うれしいなぁ。
で、夜になった、新たなチャレンジ。今日はお風呂に入る!
なにせ、前にお風呂に入ったの、土曜日の朝です。さすがにしんどいです。ただし、家族がみんな入ってからじゃないとアカンかなということで、みんなが入るのを待っていたのですが、ぜんぜん呼びに来てくれない。と、上の子どもが部屋をノックして
「もう、入ったら」
と。もしかして…。パートナー、お風呂に入らず畳の上で寝てました。そらみんな入れないわ。
てことで、さっさと入って、身体を温めて、おふとんに入ると、すんごい気持ちいい。
もしかしたら寝られるかも。

*1:『「ありのままのわたしを生きる」ために』に登場したFくんです

アジマシデオだアジマシデオだ・インフルエンザ(2日目)

朝、寝られたのか寝られなかったのかわかりません。とにかくボーとしてます。でも、記憶がない時間帯があったから、たぶん寝たんでしょう。
とりあえず朝ごはんを食べてタミフル飲んで。
それにしても頭痛がおさまりません。これがきつい。頭痛があると、何をする気力もわきません。そんなこんなで、午前はひたすらゴロゴロ。途中、昨日原稿案を送ってくれた友だちとメール。なんでも、向こうも高熱で倒れてるとか。ネット経由でうつしたか?
昼ごはんを食べたあたりから、少し変化が。頭痛が、さほどない?これはラッキーです。
でも、仕事ができるほどの頭ではありません。ましてや、おべんきょなんて不可能です。
てことで、買い込んでいた「アジマシデオ」を全部読むことにしました。まずは、教室においてあって(笑)、少しだけ読んでた『逃亡日記』です。まぁ、これはイマイチかな。続いて、『うつうつひでお日記』。これはすごい!すごすぎます。必読書ですね。で、『カオス・ノート』。なんというか、吾妻ひでおの頭の中を垣間見るというかなんというか。これはしんどいやろなと。特に最後の方ですね。まいりました。
となると、ついでに『失踪日記』と『アル中病棟』を再読か。ということで、夜までかけて、休み休みだけど読んじゃいました。
明日くらいからは仕事ができるようになるかな。そんな期待を持って寝ようもしたけど、今日も寝られません。焦るとアカンのはわかりますが、やはり焦ります。とも、そうこうするうちに、瞬間記憶がなくなる時間帯も出てきたので、この調子やなと思ってるうちに、どうやら寝たみたいです。

頭痛・インフルエンザ(1日目)

なんでも、インフルエンザの日数の数え方は、発症(高熱が出た日)を0日目とカウントするらしいです。なので、今日は1日目。
そう言えば、前にインフルエンザになったのは4年前のことでした。その前が3年半前って書いてあるから、だいたいそれくらい周期でかかるってことですね。
で、前回と同じく、今日はすでに熱が下がっているものの、頭痛がひどいです。「刺すような痛み」です。これはきついです。とにかく動く気がしないのですが、やらなきゃならないのは「仕事の手当」です。仕事がはじまる前に、これから1週間の仕事や授業の段取り考えて、お願いすべきことはサックリとお願いする。そのためのメールを早朝に出して、始業前に欠席連絡して、ようやく一安心です。
あとはしんどいので、ずっと寝ていると、今度は背中と腰がパンパンになってきます。でも、食欲だけはガッツリとあります。これも前回と同じですね。
そんなこんなで、でもこんな機会はそうそうないからさっさと寝ようと思ったんですが、友だちから、ある原稿の案が来たので、それへの返事だけして寝ようかと。おかげさまで多少頭を使ったから寝られるかなと思ったのですが、ダメです。なにが邪魔してるんだろう。結局、朝までうつらうつら…。

で、急展開でピンチ!

地下鉄に乗って最寄りの駅に行くあたりで急激に体調が悪化してきました。これ、アカンのチャウの。最寄りの駅から歩きはじめたら、皮膚が服を嫌っています。あー、これ、熱があるときのパターンやわ。
家に帰って熱を測ったら39.7℃(笑)。はい、インフルエンザ決定!
しかしこれからの一週間を考えたら、マジで休めない一週間です。少し青ざめますね。
やがてパートナーが帰ってきて、体温聞いた瞬間に隔離です。でも、「病院に行く?」と。日曜日の夜なんだけどなと思ったけど、救急の予約を入れてくれたのでラッキーです。で、検査をしてもらったら「インフルエンザB型ですね」とのこと。あー、いろんな人にウィルスまき散らしたな。てか、わたしももらったか。
それにしても、ほんまにピンチやな。

で、またまた姐さんと

終了は昼過ぎです。体調は決していいとは言えませんが、どうせ昼ごはんは食べなきゃなりません。なので、1時間ほど昼ごはんを呑むことにしましょうか。
ということで、三ノ宮まで移動して、お店探し。ところが、ことごとくスー◯ードライです。
「ここダメ」
というと、
「ビール基準、ありですか」
とあきれられました。それでも、なんとかヱビスをおいているお店を見つけたので、そこに入って1時間ほどダラダラ話。けっこうギョーカイ話もできたりしておもしろかったです。
帰りは姐さんと新快速でのんびり移動。少しローテンションなのが、またよかったかな。いつになくしっとりとした会話をしながら、姐さんは大阪で降りられて、わたしは京都まで。途中ウトウトして,それでも無事京都駅で降りました。

勝負の1時間半

起床は朝6時。ホテルの朝食は6時半かららしいけど「6時から軽食が出ます」とあったので、朝ごはんにはありつけそうです。ロビーに行くと、カレーがありました。カレーは軽食か?
とりあえずカレーをいただいて、駅に移動。7時前の新幹線に乗って、降りたのは新神戸。ここからポートアイランドに移動して、向かうは国際会議場。なんでも、この時の話がよかったので、聞いてくださる対象を変えてもう一度というオファーでした。
それにしても、声が出にくいのが難点です。まぁ、しゃべっているうちにテンションが上がってどうにかなるかと思いながら、会場のロビーで軽く仕事をしたりして。で、時間が来たので、PCのセッティングです。ところが、音声が出ない。まぁ、bluetoothのスピーカー持っているからどないかなりますよ。
で、お座敷開始。本来は2時間かかる内容を1時間半でという要請です。まぁ、ネタをいくつか刈り込んで、深入りしないネタを考えて、過去1時間半くらいでいけたこともあるから、なんとかなるかと。でも、一方で新しいネタが常に入ってくるから、短くしてもすぐに長くなります。なので、いつも見切り発車でスタートして、あとは時計をみながら時間調整です。
それにしても、みなさんの反応がいい!昨日今日の2日間会議をして,最後のプログラムですから、おそらくかなり疲れておられると思うのですが、すんごい反応がビビッドです。打てば響くという感じ。となると、こちらも楽しくなるのですが、いかんいかん。時間を気にしなくちゃ。それでも、出にくかった声も少しずつ出るようになってきて、なんとか10分オーバーで終了。というか、はじまるまで5分あったから、5分オーバーかな。上出来です^^;;。
最後にメッチャ大きい拍手をもらって、なんだか恐縮です。でも、うれしかった。

今日が本命なれど

今回九州に来たのは、今日が目的です。なのに、大分に前泊するわたしはどこか変。
とりあえず、9時過ぎのソニックに乗って移動開始です。目的地は佐賀。一時期はよく来たけど、最近ぜんぜんお声がかからなくて、久しぶりに呼んでもらいました。まぁ、今はどことも人材豊富だし、わざわざ遠方の京都から飲んだくれのおばはんを呼ばなくていいということなんでしょうね。でもま、わたしにしか話せない内容もあるし、それはそれかな。
で、移動してたんですけど、なんしか頭が痛い。それもキリキリと刺すように痛みます。この痛みは、どう考えても二日酔いではありません。もしかしたら風邪?最悪インフルエンザ?でも、インフルエンザだったら、こんなのんびりできるわけないです。たぶん風邪だな。てことで、佐賀駅について、ドラッグストアに入ってEVEをゲット。で、会場に行って体温を測ったら、37.8℃です。アカンやん。いろいろ考えたけど、たぶん原因は夜中の犬の散歩やな。いわゆる「湯冷め」ってヤツですか。
でも、しかたないです。お昼ごはんをいただいて、EVEを呑んで、しばらくごろりと横になっていました。
で、出番15分前に呼び出されて会場へ。まぁ、熱があって、授業をしたら熱が下がるってのはよくあることなんで、なんとかなるでしょう。
今日の内容はミッション3。やっぱりこれ、自分でも気に入ってるのかな。頻度が高いです。ちなみに、今日は博多のお友だちの石崎さんが来てくれています。テンションが上がります。さらに熱があるからテンションが変な方向であがります(笑)。
それにしても、佐賀の人たち、よく笑ってくださいます。まぁ、古くからのお友だちはもちろん大笑いしてくださいますが、そうじゃない人もかなりウケてます。いや、もうしわけない。となると、どんどん乗っていきます。ふだんはしゃべらないところまでしゃべってしまったりしちゃいました。
それにしても、しゃべってる間に、どんどん身体が楽になっていきます。これは熱が下がってきたか?途中美でをを上映している最中に熱を測ると、36.7℃。さがってるやん。ただ、もしかしたらEVEが効いただけかもしれません。でも、とにかくラッキーです。後半戦もひたすら突っ走って、お座敷終了。大きな拍手をもらって、とてもうれしかったです。
終わってからは夕食会。ここで松下さんが合流です。かつて佐賀で開催された全同教大会で、なぜか京都のわたしがシンポジウムに登場するチャンスをつくって下さった方です。もっとも、役まわりは「佐賀の人、まじめやから「笑い担当」ね」という、かなりな無茶ぶりでしたけどね。メッチャクチャおいしい佐賀牛をいただいたりして、しあわせです。あまりにもしあわせなので、やっぱり2次会に行くかと。いや、みなさんからは「大丈夫?」と心配してもらいましたが、まだ6時過ぎです。これで帰るのはすこし寂しいです。てことで、駅の近くの居酒屋で、鶏をつつきながら泡盛をチビチビ。もちろんチェイサーは炭酸水です。あぁ、炭酸がうまい。ここでは松下さんから大学情報をいろいろ仕入れました。どこともしんどいなというのが結論です。
で、8時前には2次会も修了。石崎さんと一緒に博多まで移動して、9時頃にホテルにチェックイン。我ながら「ええ子」やな。

今日は午後に仕事を切り上げて移動です。新幹線に乗って、特急に乗って、到着したのはなぜか別府。いつも全同教でお世話になっているHし本さんプロデュースの「懇親会」です。でも、今回の目的は従来のものとは少し違います。どういうわけか、某在日外国人教育関係の事務局として、大分のみなさんに「お願い」をするために行きました。お願いの中身は、「某グループを一緒に運営してくださいな」です。
大分は、かつて某グループの運営を一緒にやっていました。が、ものすごく熱心な人が個人として参加しておられたんですが、やはり「持続可能」ではありません。なので、数年前にグループから抜けられることになってしまいました。でも、大分は豊かなとりくみをしている県でもありますし、やはり一緒にやりたいなと思うのです。なので、無理を言って、外国人教育に携わっておられる方々に集まっていただいたということです。
てことで、到着したのは別府市内にある「いづつ」というお店。別府では有名な海鮮料理のお店とのことです。ちなみに、やっておられるのは中国人とのこと。なるほど。
とりあえず乾杯ののち、出てきたお刺身はコリッコリです。こんなに新鮮なのが出てるのかと。さすがは大分です。京都ではあり得ません。
というのはおいといて…。
集まってこられたのは、進路ガイダンスをしている人や日本語指導をしている人たち。いずれも原則的にはボランティアでしておられますが、みなさんガチです。ただ、おそらく全国の情報が入っていない。例えば、大分の外国人の国籍で多いのは、中国とフィリピンだとか。まぁありがちです。となると、在留資格は中国人は「技能」だろうし、フィリピン人は「配偶者等」です。となると、中国人の子どもの在留資格は「家族滞在」です。となると、今関東で一番ホットなテーマです。でも、その情報が入っていない。あるいは、日本語指導の人たちも、とても深いとりくみをしておられますが、蓄積が少ない。それはしかたないです。例えば10年やったとして、その人ひとりなら10年分の蓄積しかない。でも、他に20年とりくんだ人と情報が共有できたら、20年分の蓄積をもつことができる。
わたしはほんとになにもしていないけど、でも情報は入ってくるんですね。情報があれば、いざという時の対処の幅が広がります。なので、そんなあたりの話をチラチラとしたりしてました。
で、トイレに行こうと外に出たら、バックヤードに子どもがいます。どうやらここのお店の子どもらしいです。上の子どもは小学生。その子が2人の小さい子の面倒をみています。すでに時間は21時です。でも、たぶん閉店までここにいるんだろうな。かつての部落の子どもの姿とダブります。ダメダメ先輩曰く「バックドアから入った子どもはバックヤードで育つ」。なるほど。きびしい生活がつきつけられました。でも、日本語指導の方曰く「きっと小学校の先生、この状況を知らないだろうな」。もしもそうだったら、それは厳しいわ。
そんなことを感じながらも、メッチャおいしいとり天とか、メッチャおいしいお鍋をいただいて、お腹いっぱいになって1次会終了。2次会は近くのバーみたいなところですが、バーではないな。なにせ、呑んでるのは焼酎です。ここでグダグダと呑んで、お友だちのM原さんのおうちへ。別府だから温泉に入りたいけど、個人宅に泊めてもらうんだから無理だなと諦めていたら、なんと個人宅なのに温泉を引いておられる。これはびっくりです。てことで温泉に入ってのんびりしたあと、なぜか犬の散歩。夜の知らない街の散歩はおもしろいですね。
そんなこんなで、就寝は2時ぐらい。えーと、明日は…。9時過ぎスタートか…。

遅すぎ…

明日から遠出をしなくちゃなりません。でも、休みをとる時間と電車の時間がビミョーなので、乗車券はあらかじめ買っておいたほうがいいかなと。
なので、今日の帰りに職場の最寄り駅の「みどりの窓口」でゲットしようかと。
てことで、少し早歩きで駅に向かいました。到着すると、みどりの窓口にはお客はいません。やったね。
今回買うのは、ほんの少しだけ複雑です。こんな時のいずみちゃん頼みです。快く経路を調べてくださって、決定したのは次の通り。

往路が
京都→(新幹線)→小倉(途中下車)
小倉→(在来線)→佐賀
復路が
佐賀→(在来線)→博多(途中下車)
博多→(新幹線)→京都

という往復切符になります。つまり、小倉博多間がきっちりの往復にならない。こんな時のために「別線往復切符」というのがあるらしいです。
いずみちゃんからは「紙に書いていくと早いよ」というアドバイスももらいましたが、まぁなんとかなるでしょう。
さて、勝負。
ところがこれがどうやらメッチャめんどくさいみたいです。マルスって、出発駅と到着駅を入れたらいくつか経路の候補が出てきて、そこから決定すると一発なんですね。でも、その候補からはずれると手入力になるみたいです。しかも、その手入力は「路線」が変わると中継駅を入力しなきゃならないみたいです。
例えば、京都→奈良だと
京都→(奈良線)→木津→(関西線)→奈良
みたいな感じです。
すると、小倉→佐賀は
小倉→(鹿児島線)→鳥栖→(長崎本線)→佐賀
となります。ここでめんどうなのは、鳥栖を入れなきゃならない。ところが、関西の駅員さんはそれがピンとこない。なぜならJR西日本の会社員なので、他の会社(JR九州)の駅まで把握してないからです。
しかも、往復で経路が違うから、往復それぞれ入力しなくちゃなりません。つまり
京都→(新幹線)→小倉→(鹿児島線)→鳥栖→(長崎本線)→佐賀
佐賀→(長崎本線)→鳥栖→(鹿児島線)→博多→(新幹線)京都
となるわけです。
これが時間がかかる!途中やり直しも含めて時間がかかる!さらにもうひとつ乗車券を出してもらったら、所要時間は全部で10分。
快速に乗り遅れました(;_;)。

でも、これいずみちゃんの指摘通り、分割民営化がアカンのですよね。JR西日本内で仕事すればOKと思ってる人だとこうなってしまう。このあたりはプロ意識とかかわってきますよね。
つまり、国鉄なら全国ですから、プロ意識というより仕事の範疇になります。
労組つぶしがこういうところに出てくるってわけですね。

逃げた自分を反省的にとらえること

ここしばらく、ずっと2次校正をしています。この作業、たしかにしんどいけどおもしろいです。
しんどさはというと、言うまでもなく「校正はしんどいもの」ということです。
てか、トランスクリプトを作成する人が解釈を加えて文章をいじるのをやめぃ!これは「改竄」ですよ。一番ひどい「改竄」は、直接話法で話している中身を標準語的な言葉に変えてしまうことです。それは直接話法とは言わない。で、直接話法で話しているのは、そういうライブ感があって、必然として使っている。そしてそこには講演者の「意図」があるんですよね。で、この「改竄」は、その意図を踏みにじることに他なりません。
なので、結局今日はずっと音声データを聞きながら校正をしてました。でもこれ、なんのためにトランスクリプトをつくってもらったかということですよね。わたしもしんどいし、もっとしんどいのはトランスクリプトの作業をした人です。「せっかくやったのに、自分はなんのため?」って、きっと思われます。そんなふうにならないためにも、文章はいじらない。

なんてことを考えながら、K原さんの講演を読み聞きしてました。
あらためて読み聞きして、「おもしろい!」と思いました。
K原さんは徳島の方です。徳島のとりくみは、それはそれは暑苦しい(笑)。まぁそれだけ分厚い実践があるということです。京都「府」とは比べものになりません。そんな中でK原さんは子ども時代を過ごしてこられたわけです。そして「イヤや!」とそこから逃げてきた。
たいていの場合、「逃げ」は「自分の弱さ」と結びつけて考えられがちです。でもK原さんは違います。「教員のとりくみの問題だ」とバッサリ切られます。まぁそれができるのは、K原さん自身が教員ということもあるだろうけど、もうひとつは生徒時代に感じた「分厚い実践の背後にあるもの」≒「形骸化したとりくみやそこにあるホンネ」を、教員になって再確認したということなんでしょうね。そしてもうひとつは、にもかかわらずある差別の現実を目のあたりにされたとかな。
そこで、K原さんは、そういう現実を引き受ける。具体的には「差別の現実」と「「自分が逃げさせられてきた実践」をやる立場になった」というふたつを引き受ける。ここでおもしろいのは、K原さんが、やはり「教員である」ことにこだわり抜いていることなんじゃないかな。つまり解放運動に「逃げ」ない。解放運動の立場で教員を断罪するのではなく、教員として自己矛盾を引き受け、それを止揚した結果、「目の前の子にかかわる」という原点にもどる。それは、ある種、自分が「逃げ」てきたところに教員としてもどることです。ここでもしも子どもが「逃げ」たら、自分もまた自分を逃げへと追いやった教員と同じになってしまいます。
そして、子どもたちと出会いつながる。
これ、もちろん、孤独な闘いです。なので、はじめは「尖ったナイフ(K原さん談)」です。そんなK原さんが、ナイフにシースをかぶせてもええかと思わせたのがる、K野さんとの出会いだったみたいです(笑)。やれやれ。
でも、K原さんは、たぶん今も孤独な闘いをしてるな。そこにはあきらめというか、絶望というか、そんなのもあるんだろうな。だからこそ、「クズ仲間」として、わたしともつながっていてくれているのかな。
まさに「希望は、絶望をわかちあうこと」ですね。