ぁゃιぃバー

てことで、森川公園をあとにして、野入さんのおうちでおいしい手料理を食べさせてもらって、マメタとクリコと遊んで1日がおしまいです。
とはならないのが、今日です。とにかく一度行きたいと思っていた「ryuuky.com」です。ここ、いつあいているかわからないので、とにかく行くしかない。去年行ったら2日とも閉まってました。きのう行ったけど、やっぱり閉まってました。今日はどうだろう。
11時頃に恐る恐る行くと、あいてた!
ということで、やっとお店に入れました。
「ずっと来たかったんです」
「なんで来たいと思ったの?」
答えられません(笑)。まぁ、怖いもの見たさなんですが、それが言えるのは、もっと先のことですね。
「なにが呑みたい?」
「アルコール」
ということで、マスターの直感でラムコークを出してもらいました。さらに、袋菓子が飛んできて、ポリポリ食べながら、マスターのおもしろい話をひたすら聞く。ちょうどそこにおられたI-vanさんとの珍道中がおもしろい。でも、結局、お店の人たちが一度もわたしのほうを見ることもなく、約1時間の滞在終了。
それにしても、久しぶりです。こういう緊張感。ずっと昔に「第2のふるさと」にあったお好み焼き屋にはじめて入った時以来ですね。
まぁ、あと最低2回は行きたいな。そのためには、何回沖縄に来なきゃならないかわかりませんがね(笑)。

フィールドワークはまだ続く −森川公園−

で、ゼミも終わったところで、いったん野入さんのおうちへ。その後、犬の散歩がてら向かったのは「森川公園です。
ここは、沖縄の羽衣伝説があるところで、もしかしたら宜野湾では最高の拝所(ウガンジュ)かもしれません。



ちなみに、宜野湾市長の佐喜眞さんや佐喜眞美術館の佐喜眞さんは、この羽衣伝説の子孫だとか。
山頂に上がると、きれいな夕日です。

でも、振り向けば基地。

ウガンジュは、単に「そこ」というわけではなく、山全体がウガンジュです。その半分を基地にして入れなくしてしまうという…。
なんか、ものすごく複雑な気持ちで森川公園をあとにしました。

ミッション2とゼミ乱入

朝起きるとすっきりしています。たしかに昨日の夜はずいぶんと野入さんと話をしたけど、最後は泡盛の水割りをゆっくり飲んだだけだから、まぁこんなものでしょう。
ということで、おいしい朝ごはんをいただいて、シャワーを浴びたりしてダラダラしていると、Hぼん登場。今日から3日間一緒にあちこちまわりながらドライバーをしてくれます。いや、ほんと、もうしわけないです。わたしが各地でいろいろ動けるのは、こういう人がいるからだよな。てか、Hぼんが大分にいた頃から、移動手段から宿泊に至るまで、ほんとにお世話になっていました。ちなみにSんちゃんとはキャッキャうふふしてただけだな(笑)。

ということで、琉球大学へ。ここで「開学の鐘」を見て、そのまま教室へ。とりあえずPCをつないで、あとは授業がはじまる時間を迎えるだけです。そうこうするうちに、「がちゆん」のみなさん登場です。さらに、O城さんたちがお友だちと一緒に来られたり。同世代の人がいると安心です。
てことで、お座敷開始。100人弱の学生さん相手にミッション2を1時間20分でしゃべれと。なので、最初に「聞き慣れない関西弁で、しかも早口だから覚悟して下さい」と仁義を切って、いきなりフルスロットルでいきました。ところどころにはじめから寝てる人とか、スマホ触る人もいたけど、まぁ、99%の人は真剣に聞いていてくれたかな。というか、はじめから寝てたら話がいいかどうかの判断すらできないし、まぁいいです。だって、眠かったんだろうと思うんですよね。てか、聞かせるのはこちらの力です。なので、聞いてくれなかったのはこちらの問題です。ただ、おしゃべりはやめてほしいな。聞きたいけどおしゃべりの相手をしなきゃならない立場の人が、きっと困るから。幸い、ほとんど私語もなく、というかそんなヒマを与えず、トップスピードのままで1時間25分でゴール。
疲れた(笑)。

その後、みんなでお昼ごはん。食べに行ったのは「GEJOL」です。ここ、前にも来たことがあって、2回目ですが、相変わらずマニアックなオモニのおかげでメッチャ珍しくもおいしい昼ごはんをいただけました。

で、午後はゼミ乱入。
野「仕切る?」
い「いいっすか?」
みたいな軽いノリではありますが、実は真剣です。だって、だれがどんな研究をしているかも知らないままに、その場の議論をコントロールしながらどこかへと着地させるわけですからね。まぁ、ドライビングモールみたいなものです。
でも、自分の考えはフタをしたまま、いろんな問いかけをして、学生さん達の答を聞きながら、さらに次の問いかけをして、議論と議論をつなぎながら、どこか落ち着きどころへ持っていく。大切なのは、新たな知識を得ることではなくて、自分の中にある問いへの答を、自分の中にある素材で組み立てていくことのお手伝い。そんな気持ちで仕切った1時間半は、久々に脳みそフルスロットル状態で、メッチャ楽しかった。

返還跡地めぐり

今年もやってきました。琉大でのお座敷です。琉大のお座敷そのものも楽しみですが、ゼミの乱入もかなり楽しいです。そして、それよりもっと楽しみなのは、野入さん厳選のフィールドワークです。ちなみに、野入さんにわたしから行きたい場所を言ったのは初年度だけです。
野「いつきさん、どこか行きたいところある?」
い「伊波普猶のお墓」
野「伊波普猶…」
ちょうどこの年は沖縄人権学習の教材をつくった年で、それができるヒントをくれたのが伊波普猶だったからです。
その年は
アメラジアンスクール→伊波普猶のお墓→嘉数高台→ガマ
といったところをまわりました。
その翌年
コザ十字路→ヒストリート→中の町自治会館
といったところをまわりました。
その次の年はこんなことがあったから、沖縄には来られず。
で、昨年は不屈館に行きました。
さて、今年はどんなところだろう。野入さんからは
「今回のテーマは「基地返還跡地 返ってきたぜ沖縄が!?」です」
との連絡が入ってきました。さらに今回は「株式会社がちゆん」の人たちと「nuge」の人たちとともに「おもてなし班」を結成してくださっているとのこと。なんか、ものすごいんですが^^;
ということで、15分おくれの「はるか」で関西空港に着いて、ギリギリの時間で搭乗手続きをすませて、なんとかジェットスターに飛び乗って、那覇空港到着。「がちゆん」と合流して向かったのは「那覇メインプレイス」です。ここ、新都心にあるショッピングセンターです。ここで野入さんと合流。

  • シュガーローフ

向かったのは「シュガーローフ」です。
野入さん曰く「この丘は骨でできている」です。

どうやら、このシュガーローフと首里城を結ぶ線を日本軍は死守すべきラインと設定したらしく、ここでものすごい戦闘が行われたとか。そして、ここが落ちるのが5月。翌月首里城が落ちて、牛島中将は自害。形式的には沖縄は陥落しますが、そのあと司令官を失ったにもかかわらず降伏を許されなかったために、えげつないことになったとか。
そんなシュガーローフは戦後接収され、その後返還されるわけです。その返還跡地が、見事なジェントリフィケーションで新都心に生まれ変わるのですが、なんかもうえげつない。戦争のあとなんか跡形もなくなっていて、たしかに経済効果抜群そうな有名ブランド店とか高層マンションが建っていて、どないやねんと。


経済効果抜群はいいけど、そのお金は誰の懐に入るねんと。しかも、ウチナーは有名ブランド店では買い物できないとか。正確には、県外に行く航空券を持ってないと買い物ができない。まぁ、免税店なのでというのがその理由ですが、誰を相手にしてるかがにおってくる話です。
さらに、ここからゆいレールをはさんだ向こう側では、今も遺骨発掘作業をしているとか。

その落差にクラクラします。
なぜこういうことが起こるかというと、返還前より返還後のほうが経済的にプラスでないと返還するメリットがないというロジックらしいです。でも、その経済が地元の人を潤しているのか、あるいは地元であっても誰を潤しているのかということを考えると、壮大な疑問符がつく話かなと思いました。
そして、頭上にはオスプレイ

  • 佐喜真美術館

お次は「佐喜真美術館」です。
ここも実は返還跡地なんですね。
佐喜真美術館は「沖縄戦の図」で有名ですが、その成り立ちは、丸木位里・俊が「沖縄戦の図」を書くにあたって常設展示する美術館が必要で、美術収集家の佐喜真さんに「つくれ」と。そこで、佐喜真さんは米軍に「あかんやろなぁ」と思いながらも「返してくれ」と。すると、米軍は「我々は平和をもっとも重んじる」と言って、美術館に必要な土地とアプローチの道の分「のみ」返してくれたと。なので、フェンスに囲まれた美術館になったと。
で、「沖縄戦の図」の前へ。ここまでは下を見て近寄って、椅子のところで「バッ」と目を上げるのがおすすめの見方だとか。いや、絵のわからないわたしにも迫力が伝わってきます。ひとしきり見たあと、絵に近づいて細部を見ます。すると、いろんなものが書き込まれていることがわかります。右の下には石碑があって「在住朝鮮人」の文字があります。右の上には風車。沖縄のおばあ・おじいは97歳になると「ガジマヤー」を持たせてもらって子どもに帰るんだとか。「沖縄戦がなければ、みんな子どもになれたのにね」という野入さんの言葉を聞いた瞬間なみだが出てきました。
そして屋上へ。ここには6段と23段の階段が空へ向かって伸びています。6月23日には、そこにある小さな窓から日が差し込んでくるんだとか。

ひょいと下を見ると、フェンスの中に亀甲墓があります。うわぁ…。

  • 比嘉集落跡地の碑

続いて向かったのは「ライカム・イオン」。

イカムはRyCom、かつて琉球米軍司令部(Ryukyu Command headquarters)のあったところです。ここに、最近、沖縄最大のイオンモールができました。このイオンモールの土地、その前は何だったかというと、「泡瀬ゴルフ場」という、米軍専用のゴルフ場でした。では、その前はというと北中城村比嘉という集落でした。ここ、けっこう肥沃な土地だったようで、作物のできもよく、比較的裕福な村で、赤瓦の家が並んでいたとか。
そんな自分たちの集落が米軍専用のゴルフ場になり、いくら返還を要求してもかなえられず、返還されるとなったらイオンモールになったという。たしかに、イオンモールだと経済効果はあるでしょうね。でも、そのお金はどこに流れるのか。もちろん、イオンモールの土地の一部は比嘉集落の人々からの借地になっているので、土地所有者には借地料は入ります。でも、それは「経済効果」と言えるのか?さらに、イオンなんてできたら、周囲のお店はどうなるのか?まさに、お金の一極集中化だし、それは地元の人々のためとは言えないんじゃないかと思うのです。
で、碑は駐車場の端に、誰も歩かない道の方を向いて建てられています。比嘉集落の人々の無念さと、それでもある誇りがにじみ出てくる碑です。

  • プラザハウス

近くにイオンモールみたいな巨大な施設ができたら、当然のことながらまわりの商店街は大打撃を受けます。いまや、コザのお店はシャッター街になってしまっているとか。でも、そんなイオンモールに、静かな反撃をくわえているのが、沖縄、いや日本で最初のショッピングモールである「プラザハウス」です。ここ、イオンから出て、交差点を曲がったところにあります。

ここはもともとは台湾資本がつくったショッピングセンターで、当時は米軍専用、それもライカムがあっただけに、米軍の将校クラスの人が買い物に来てたとか。その後、沖縄の人の所有になって、現在は誰でも買い物ができます。
とにかく、お店のつくりが違います。イオンが店内を自動ドアで密閉して空調設備をガンガン効かせているのに対して、プラザハウスは両側にはドアがなく、風が通る設計になっています。3階なんてもう、涼しい風がヒュンヒュン通って気持ちいい。しかも、真ん中のホールにはテーブルとイスがあって、買い物しなくてもそこでゆっくりできます。

センターに入ってるお店がすごい。イオンが「全国どこでも同じものが買える」=「どこでも同じ」なら、プラザハウスは真逆で「ここでしか買えないもの」をおいています。もちろん値段はそこそこはります。が、それを超えてなお価値のあるものを置く。それは、入っている服屋さんや洋書屋さん、さらに飲食店にまで徹底しています。
さらに3階には「RYCOM ANTHROPOLOGY」なる一角があります。ここは、50年代の沖縄をモチーフにしたさまざまな写真が展示されており、プラザハウスの歴史というか、沖縄の商業史というか、そんなものを感じさせます。

ここの写真を見ていると、米軍統治下の時代と、あたかも日本に復帰したかのように見えながらも日米両者に統治されているかのような現在と、どっちがええねんと思わされます。そりゃ、米軍統治下はひどかったのはわかりますが、いまもひどい。まさに「主権を奪われた沖縄」は、今も昔も変わらない。そんなことを感じさせるスペースです。
ちなみに、ここのアートや企画を任されているのは琉大の卒業生だとか。すごいなぁ…。

  • BALI NOON BALI MOON

晩ごはんはBALI NOON BALI MOONでバリ料理です。実は、このお店も「静かな反撃」のうちのひとつだとか。イオンモールにあるお店がファストフードだとしたら、このお店はここでしか食べられない本格的なバリ料理です。

BALI NOON BALI MOONは、上質なスパイスとハーブを使用し輸出基準をクリアしたブンブの開発、冷凍輸入を成功させたこと、そのブンブを使用して調理する18年来の交流がある信頼できる調理人の招聘によって2016年2月3日に開店することができました。

とあるように、食材だけではなく、調理できる人がいてはじめて成り立つバリ料理ということです。
ここで、メッチャおいしいバリ料理と、その料理にぴったりのワインを飲んでごきげんです^^;;



でも、あしたが本番です。2014年の二の舞だけは避けなければ!

初もの

今日は、某人権研究会の夏季研究大会です。
午前は分科会。わたしもいちおうレポートは出しています。が、あまりやる気はありません(笑)。なので、てきとーにヘラヘラとレポートして終了。
今日のメインは午後の講演会です。講師はキリちゃん(笑)。ずっと前から、一度まとめて話を聞いてみたいと思っていたので、お願いしたらOKをもらえたので、ラッキーです。
いちおうお願いしている内容は、「子どもの頃に同和学習を受けて大きくなって、いま教員として子どもとかかわっている人の思い」です。さてさて、これにそった話をしてくれるかな?
のっけから、教員一年目のできごとです。なかなか自分のことを言わないなーと思ったいたら、そこで言うか(笑)?ってタイミングでネタばらしをされます。そこからは絶好調ですね。なんかもう、危険な水域ギリギリをかすめるというか、たまに危険水域に突入するというか。なにせ、途中でアブナイ手品まで披露する始末。さらに、真剣な場面にさらりとアブナイネタをぶっこんでくるあたりは、わたしも見習わなければならないなと。
そんなアブナイ話に笑ってるうちらの研究会もどうかと思いますが、まぁそれくらいでちょうどいいです。
てことで、1時間40分、楽しませていただきました。
で、わたしからの質問を。
「キリちゃん、なんでそんなに子どもたちの声が聞こえるのですか?というか、わたしたちにも聞こえてると思うんですが、聞きとれていないんだと謂うのです。なぜ聞きとれるんですか?」
答えは
「距離を半歩詰めること」
でした。意味深やな。

で、夜は飲み会です。
ここではアブナイ話はそこそこに、それでもかなり危うくもりあがって、二次会はお福。ここでもワイワイやってお母さんに迷惑かけて、なぜか崇仁の公園でマッサージしてもらって、なんとか家にたどり着きました。
それにしても、K野さん、来たらよかったのに(笑)。