当事者主権

昨日、やっとすべてのクラスが試験範囲を終えたので、今日からは学び合い学習です。とはいえ、もちろん質問は大歓迎なので、「質問に来いよ」とは言います。ちなみに、わたしはあえて子どもたちのところには行かず、こちらに来るようにします。だって、そのほうがゆっくり対面できますからね。
「せんせい」
とか言いながらやってきた子に、まずはイスを出して
「まぁ、どうぞ」
からスタートです。
「これ、割り切れるはずなのに割り切れない」
んにはずは…。あー
「これねcareless mistakeやね。よく見て」
「えー?あ!」
「うん、問題の式の写し間違いね(笑)。でもよかったね。こういうミスがあるんだよね」
みたいなの。
でも、ほんとうに苦手な子は、実は来ないんですよね。なので、たまには出張です。すると、やはりあまり進んでない。
「ほんとに質問に来てね。君が何がわからないかは、わたしにはわからない。それは君にしかわからないことだからね」
と言った瞬間に「当事者主権」という言葉が頭をよぎりました。
そうなんだよな。「教える」って「わたしにはわからない」という「無力さ」から、「学びをサポートする」ことなんだろうな。
「教え込む」ことを目的とすることが「専門家主義」であるとしたら、「学びのサポート」は、その対極にある「当事者主権」なのかな。できれば、そうありたいな。