一難去ってまた一難

まぁ別に「難」ではないんですけどね。
いま、「仕事のうちのひとつ」が火を吹いてます。が、わたしひとりではどうしようもありません。てか、「上流」からものが流れてこないので、「下流」に流せないという意味で火を吹いてます。で、たまに流れてくると、それに集中してこなして、下流に流す。流れたものは、再度わたしのところに来て、それを処理して最終加工場へと流すんですけどね。
ただ、これにかかわっていると、自分のやりたいことがまったくできなくなります。ちなみに、「やりたいこと」も火を吹いてますが、これは頭を使います。簡単に言うと、「おべんきょ」なんですけどね。
「おべんきょ」やってると、いろんなことに気づきます。本を読んでると、突然頭がブワーっと広がって応用可能性を探りはじめます。これ、楽しいけど、収拾がつかなくなります。でも、それをしないと次にはいけない。
そうやって考えていると、上流からものが流れてくる。そちらに意識を集中させる。と、某所から「1000字以内で書くこと」なーんていうメールが来ます。こちらも火を吹くわけです。
で、会議の中では、2クラス分の祭典と6クラス分の成績処理を半日でやれと。
まぁなんしかたいへんだわ(笑)。

長かった

今日の午後は会議で出張。まぁ、なにがどうということもなく、つつがなく進んで、つつがなく終わります。まぁ、紛糾する会議はおもしろいけどしんどいですわ(笑)。
で、夜は夜で恒例の会議です。
なんか、少しずつ会議の議題となる話も落ち着いてきたかな。しかし、それにしても、なんかビミョーな感じがいつも拭いきれない。なんなんでしょうね。てことで、決してもめたわけじゃないんだけど、なんかけっこう時間がかかりました。
で、呑み。こちらは楽しいし、いろいろ刺激的な話が聞けておもしろいんだけど…。ゲストで来た人が、ボケボケなので、思わずヘッドロックかましてしまいました(笑)。なんせ「わたしのこと、ちゃんと知ってるの?」って聞いたら「当事者でしょ」とかいう答えが帰ってきたのですが、それ、一番アカン答えや。なので、やはりヘッドロックものでしょう(笑)。
てことで、完全に飲み過ぎだな^^;;

打ち合わせ

来週の火曜日、某研究会の総会があって、その記念講演にM原高校の人に来てもらいます。今日はその講師さんであるI藤さんとの打ちあわせ。
今回のテーマは「合理的配慮」なんですが、もちろんこんなことを書くわたしが、いまさら「合理的配慮とはなにか?」とか「合理的配慮を実現するためにはどうすればいいか?」なんてことを話してもらおうなんて思うわけもないです。ちなみに、「1月は合理的配慮にしよう」と言った時、とある会長さんが「それはいい。どうすればいいか勉強しなきゃ」って言ったから「なに言うてますの。それは人権がやることじゃない」って反論しました。それに対して「そりゃそうだな」ってわかってくれたからホッとしましたよ。
で、今回のテーマは「合理的配慮を前提とした学校づくり」です。つまり、障害のある子どもをいかに「配慮」するかじゃなくて、障害のある子どもとともに学ぶためには学校というしくみをどう変えればいいかってことです。
合理的配慮については、すでに「黄色いくまさん」や松永さんから聞いているし、その前提となる話は牧口さん・三井さん・臼井久美子さんから聞いています。それを実践に移すためには、やはり「学校づくり」を考えなきゃならんと思うのです。
てことで、打ち合わせ。
はじめのうちはI川さんの研究がその後最優秀賞をとったなんていう、メッチャうれしい話を聞いたり、オランダの話をしたりしていたのですが、徐々に打ち合わせは深まっていきます。話を聞けば聞くほど「ほんとにすごいな」って思います。なぜそんなことができるんだろう。
もちろん、教職員集団の方向性がそろっているってことはあるだろうし、そこには教育委員会の人事の問題もからんでいるだろうけど、なんか、それだけじゃない気がします。
振り返ると、京都の状況は寒いと感じざるを得ないです。「人権教育部はないです」って言ったら「え!」って言われました。まぁそういう姿勢の違いでしょうね。ちなみに、I藤さん「いつきさんと同僚なんて、すごすぎて考えもつかない」なんて言っておられたのですが、そんなことを考えてくれる京都府立高校教員は誰もいないです(笑)。逆に「人権人権って鬱陶しい」と思ってる人はたくさんいるでしょうけどね(笑)。
てことで、10時くらいまでみっちりと打ち合わせをして、さてと、帰りますか。
来週が楽しみだo(^^)o!

さてと、帰ろう

昨日の夜はH上さんの家で、わたしはワインを飲みながら、H上さんはほんの少しだけビールを飲みながら、延々と話をしてました。まぁ「場づくり」をしている同士なので、共通する話がいっぱいあります。
で、今朝はその続き。
「語れない想いのbar」は、とてもおもしろい「場」です。もっとも、わたしはほんとうにそこにいたことはないんですけどね。というか、たぶん外部の人間が入った瞬間に変質しますし、特にわたしみたいなややこしいのが入ると変質しちゃいます。というか、今まで行ったことは2回しかなくて、一度は上映会だし、もう一回はミニbarだし。でも、そのあとの飲み会やご飯の時に、どんな雰囲気なのかは伝わってきます。
なんでこんなことができるんだろうと思うのですが、ひとつには「ゆんたく」という文化があるのかなとか。あと「〜について語る」わけではなく「語る」ということができる学生がいるのかなとか。それから、H上さんという、「見守ることができる人」がかかわっているのかなとか。
そうそう、H上さんって、精神看護学の人なので、しかも岡山で臨床経験のある人なので、そういうテイストとかスキルとかをお持ちなのかもしれません。そういや、昨日の夜「中島豊璽さんネタ」で盛り上がりました(笑)。
まぁ、そんないろんな条件があって、そこに「合致する」学生が集まってきて、うまいバランスになってるのかもしれません。
だから、それは他の人がやろうと思ってできることじゃなくて、それぞれの場所や人に応じたいいやり方を見つける以外方法はない。だからこそ、ローカライズが必要だと、わたしは考えるのですけどね。
まぁ、そんなことを話し合いながら、いまのいいバランスをどう崩すかみたいなことも話し合いながら。話は授業やゼミや実習の話にまでおよんでいったりして、気がつくと帰らなきゃならない時間になってしまいました。

ここでH上さんとはバイバイ。
「語れない想いのbar」のメンバーのRんくんの運転で那覇空港へ。途中、「やらなきゃならないことが見つかったので、さっそくあしたやります」なんていう話もあって。
せっかく送ってくれるので、それなら昼ごはんは出さなきゃならんだろうということで、高良食堂へ。頼んだのは「麸チャンプルー」です。

おいしい!てか、「刺身つき」って意味わからへんし。
なんか、お店にはひっきりなしに人が来ます。それをおばあが手際よくさばくのですが、これまたゆったりしておられるんですよね。メッチャクチャ味があります。なるほどなぁ。
てことで、空港へ。
帰りの飛行機もえらい遅れたけど、まぁ帰れたらいいや。
明日から日常がはじまります。
か…?

めまぐるしい

朝起きると、誰かが毛布をかけてくれていたみたいです。優しいなぁ。というか、学生さん、看護学科の人だからなぁ。凍えられたら困るか^^;;。
で、シャワーを浴びて、今回のメインとなる「ミニbar」です。
「語れない想いのbar」は看護学科の学生さんが主体になってつくられてますが、実は「語れない想い」を持っているのはスポーツ健康学科にもおられるわけで、今回は「スポーツにおける語れなさ」みたいな話題でゆんたくしようと。ちなみに、スポ健の教員の方もおられて、なかなかです。
はじめはみなさんの話を聞いて、いろいろ作戦をねります。やがて、教員の方も話しはじめられて、またまた作戦をねります。この教員の方も、なかなかおもしろいです。なんと、スポーツ哲学が専門で、スポーツについて語らせると、メッチャおもしろいです。多分この方、今回は「保守派」に特化して話されようとしているのかな。「いいことが悪いことかはおいておいて、マジョリティが意思決定をしていくのが現状」なんていう話をされます。となると、何らかの形で返していかなきゃなりません。作戦をねっているうちに、キーワードが浮かんできました。「ルール変更」です。つまり、マジョリティのみが楽になれるルールをどうやって変更するかって話です。その時のキーは「最大多数の最大幸福」ではなく、「幸福の総和」で考えるってことかななんてことを話してました。
いやぁでも、ほんとうに刺激的でおもしろかった。スポーツをめぐって、こんなに話ができるとは思いませんでした。やはり、専門家が入ると違うなぁ。
で、昼ごはんは近くのそば屋で肉そば。

うまいわ…。なんでも、ソーキそばの本家らしいです。
その後、今回の仕掛け人のH上さんに「腱引き」に連れて行ってもらって、メチャクチャな状態の身体の修理をしてもらいました。施術後は、気持ちがいいというよりも、クラクラでした。
で、辺野古へ(笑)。
浜につくと、誰かいます。「なにやってんのかなー」と思ってたら、気がつくとこんなことになってました^^;;。

わけわかりません(笑)。
その後「どうしよう」ということで、金武へ。

camp hunsenのゲートからまっすぐ伸びたところは飲み屋街です。あたりを歩いておられるのは米軍関係者が圧倒的多数です。あとは、道端に座り込んでおられるおばあと、タバコ吸ってる中学生っぽい子らふたり(笑)。なんとも言えません。
もやもや感をもったまま、名護に帰って、居酒屋へ。ひょいと外を見ると「心」の字が。

この、山の文字は名護の新成人式が自分たちで字を決めて点灯するものらしいです。お金がかかるから、中止という声もあるけど、今年の新成人は「ぜったいやる!」と決めてたらしいです。それは、米兵に殺された大学生が本来なら一緒に新成人になったはずだったという思いがあったからだと聞きました。
やがて、三々五々、「語れない想い」のメンバーが集まってきて、みんなでやっぱりゆんたくです。ここで、またまたいろいろぶっ込んでしまいました。でも、みんなの刺激になってくれたかな。
最後はH上さんのおうちに移動して、ワインを飲んでしゃべっているうちに、どうしようもない眠気がやってきて、爆睡です。

酒は万里を走らせる

今日は移動日です。
とりあえず、午前に仕事をさっくり終えて、最寄りの駅へ。と、列車は遅延(;_;)。なんでも、踏切の直前横断だとか。奈良からのアプローチを断念して、京都に向かうことにしました。とりあえず、ギリギリのタイミングで「はるか」に乗って、関空から飛行機に乗ります。なんか、きょうはやたら揺れます。しかも、到着予定時間を越しても、ぜんぜん降りる気配がありません。てか、普段のアプローチと違うし。大丈夫かいなと思ったら、ちゃんと着陸しました。当たり前です。さらにここからはMりさんと合流して、高速バスです。が、これもまたギリギリのタイミング。このバスを逃したら路線バスになります。あぶなかった…。
てことで到着したのは名護です(笑)。
今日は名桜大学の「語れない想いのbar三丁目」に乱入です。
とはいえ、すでにbarは終わっていて、打ち上げからの合流です。向かったのは、いつものblue tripです。ここで、なぜか阪大のみなさんと合流です。
オリオンビール、うまい!泡盛、うまい!とか思ってはしゃいでいるうちに一次会は終了。このあとは合宿です。名桜大学の研修センターにみんなで行って、ダラダラとゆんたくです。ゆんたくしているうちに、気がつくと気を失っていたのですが、わたしはいったいなにをしに8時間も移動してここに来たんだ?

「〜たち」再考

この間「「〜たち」という言葉」という記事を書きました。その後、いろんなことを考えていたのですが…。
ふと思いついたのが、「Individual model」と「Social model」のことです。
「個人モデル」は、まさに「〜たち」のない世界です。だって、「個人」だもん。と考えた時、それって、いずれの運動にもある話じゃないかなと。
もちろん、障害者解放運動はこれがもろにあるんだけど、それだけじゃないです。例えば、フェミニズムにおいても実はそういう歴史があることを思い出しました。
例えば、女性が男性並の仕事をすることが女性差別からの解放だとする時に「〜たち」はない。なぜなら、個人の力量に委ねられるから。もちろん、その背後に社会や法律の裏付けは必要だけど、逆に言えば「法整備をしたんだから、あとはあなたの力量ね」ってなっちゃう。男女雇用機会均等法は、まさにそれだった。これ、ある種の「個人モデル」です。それに対して、「男と同等とかそーゆー話じゃないよ。そもそも、この社会の構造そのものの問題じゃん」という話が出てくる。これ「社会モデル」です。で、ここに「女たち」という言葉が成立する。もちろん、前者であっても「女たちに男と同等の権利をよこせ」とは言えるけど、その後は「〜たち」とならない。
なんてことをダメダメ先輩にメールしたら「前者はリベラリズムで、後者はラジカリズム」って指摘が返ってきました。たしかにたしかに。第1波から第2波です。
で、これ、フェミニズムだけかというと、部落解放運動にもある。「融和運動」が「個人モデル」で「水平運動」か「社会モデル」という図式になるかな。前者は「丑松モデル」なんていう言い方もされてましたか。まぁ、こんな単純な話じゃないけど、でも、水平社宣言には「兄弟よ」とか「吾ら」って言葉が出てくるので、やはり「〜たち」なんでしょうね。
在日朝鮮人教育運動の世界では「帰化」と「本名宣言」という図式かな。
依存の世界では「ダメ、ぜったい」から「依存を生み出す社会を問う」という流れ。
他の運動はわからないけど、なんか、いずれの世界でも「個人モデル」から「社会モデル」へという流れが存在していて、さらにいうなら、相互の批判や軋轢や対立はありながらも、運動が成熟するに従って、あるいは課題が明確化されることで、あるいはかかわる人間が多様になることで、それぞれの必要性とかが認識されるようになって、両立するようになる。例えば、部落解放運動では融和運動の再評価がなされ、在日外国人教育運動では日本籍・ダブルによるアイデンティティ・ポリティクスが問われています。たぶん、障害者解放運動でも、リハビリテーションに対して「ダメ、ぜったい」とはなってないんじゃないかな。
でも、おそらくは権力者にとっては「個人モデル」が助かるんでしょうね。だって「法整備はしたから、あとは自己責任で」ってほうれるし、なにより自分自身を問わなくてすみます。だから、極力そちらへそちらへと誘導する。

てことで、これはトランスでも同様のことが言えるのかな。まさに「特例法」という毒まんじゅうはそれの最たるものです。そして、いまや医療全盛のこのギョーカイは個人が完全に分断されている。まさに「個人モデル」の罠にはまっている。
となると、やはり必要なのは「われわれトランスたち」という言葉が使える「社会モデル」としての運動をつくることなのかな。そして、もしかしたら、それこそが「トランスジェンダリズム」なのかなと。

なんか、世界は変わってるなぁ

最近、某所でお米のことが話題になってます。どんな人がやってるのか見に行ったのですが、アテンドやってるんだ。
わたしの友だちの「黒い軍団」の人たちもタイとつないでいたけど、それは商売じゃなかったし、当然宣伝もしてませんでした。いろいろあがいて調べて、その先に「先に行ってた人がいた」ってわかる。そして、苦労してアクセスして、ようやくつなげてもらう。でも、それはその人の優しさなんです。なぜなら、そこまでしてからのSRSだと、その人は考えているからです。逆に言うなら、途中で挫折するようではSRSしてもうまくいかないと。まぁ、特例法前夜の話です。
でも、今は違うらしい。苦労の中身はお金なのかな。もちろんお金を貯めるということ、そしてそれを使うことで安心が得られるなら、それはそれでいいです。まっとうです。が、唖然としたのは「お客様の声」の中に親がいたことです。あぁ、ここまで来たんだと。「親は最後の壁」じゃないんだ。親がお金を出してくれるんだ。まぁ、それもまたいいんですけどね。

で、さらにいくつかサイトを見に行ったのですが、なんか、唖然としました。最近ではトランスはお金儲けになるんだ…。
まぁそりゃ、わたしのところにもお座敷の声がかかるくらいだから、それなりにニーズがあるのはわかります。が、それでメシが食えるらしい。まぁそれはそれでいいんでしょうけどね。
考えてみると、わたしの知ってる人々の中で、講演でメシを食ってるのは…。ひとりかな。でも、キツキツの生活してはります。しかも、話すことで自分の過去がフラッシュバックして、たまに落ちてはります。たぶん、自分のことを話すのって、そういうしんどさがあるんですよね。もうひとりいるけど、この人は交通整理が本業やしな(笑)。ちなみに、こちらは話の内容はアップデートしてはります。さすがは10年以上話してこられただけのことはあります。なんというか、具体から一般化みたいなことが必要だと、わたしなんかは思うのですが、世の中はたぶん「個別の課題」が知りたいんでしょうね。そんな時、提供できる話とニーズが一致する。

なんか、自分が話をしてる内容は時代遅れなんだろうかと思っちゃいます。自分であげたハードルを「ハードルが高い」と言ってるだけなんだろうか。いま、性別を変えることは、そんなに難しいことじゃない時代なんだろうか。
まぁ、たしかに、医療モデルは個人の力で突破できるってことです。極端な話、SRSをすれば性別が変えられて、それを話せばお金がもらえるなら、元はとれます(笑)。
でも、そんなことじゃないと思うんですよね。それは、在日や部落の人の講演を聞けばわかります。たとえ時代遅れでも、伝えなくちゃならないこともあるんだって信じるしかないですね。

今日も校正

今日はこの日の講演の校正です。
さすがに歴史についての講演なので、漢字が多いです。「ことねりぞうしき」とか聞いて、すぐに漢字が出てくるのは、わたしには無理です(笑)。ちなみに、ATOKは変換してくれるので、よく使う言葉なんでしょうけどね。
てことで、半分くらいまで校正したところで、ちょっと待てよと。これ、スライドに出てきてたよなと。てことは、音声聞きながらやるよりも、ビデオを見ながらやったほうがいいじゃんということに気づいて、倍速でビデオを見ながら校正校正。これははかどります。
にしても、倍速でビデオ見てるのに普通に聞こえるのは、もしかしたら、わたしはお座敷の時にその早さでしゃべってるからなのか(笑)?