三人会

今日は草津でお座敷です。が、ピン芸人のわたしとしては、まだまだ経験の少ない「人権エンタメ集団「友輝」」のメンバーとしてのお座敷です。
今回のユニットは、トップバッターがシンガーソングライターのS見さん、2番手が「謎の生命体」のわたし。そしてトリが中倉茂樹さんです。与えられた時間は30分。はたしてこなせるのか?
とりあえず11時過ぎに待ち合わせをして会場に向かいます。中倉さんは、基本的に「全力投球派」です。講演会ではけっして力を抜くことはされません。なので、かなり時間の余裕を持って会場に到着して、そこから念入りに打ち合わせをされます。わたしとは真逆のタイプです。わたしなんて、30分くらい前に行って、あとはヒマにしてますから^^;;。
でも今日はシンガーソングライターがおられるので、そりゃ準備の時間は必要ですね。つかない舞台照明を火花を散らさせながらつけてみたり、アンプから抜けてるコネクタを探し出して音を鳴らせたり、得意な分野を発揮しながら、開始時間の14時を待ちました。
で、お座敷開始。
S見さん、うまいなぁ。てか、歌詞がいいです。ちなみに、わたしはS見さんが高校生の時からの知りあいで、まさかこんな形で会えるとはその頃は思いませんでした。だから、すごくうれしい。なんてことを考えながら音に身を委ねていると、あっという間にわたしの出番に。「登場の音楽」に乗せて、謎の生命体が登場します。さてと、30分。散々削りまくったネタですがはたしてどうなるのか?うーん、メッチャウケてる人もいたけど、やはりネタのつながりがイマイチなのか、全体的に笑いが薄めです。来週は20分だから、さらにネタを精選しなきゃならんですね。
で、次の中倉さんにバトンタッチ。タッチの間際に「3分オーバー」とつぶやかれてしまいました(笑)。
中倉さんの話はさすがです。したい話題をひとつに絞って、それを的確に伝えられます。
ただ、いつも思うんですけど、セクマイ系の話はライフヒストリーだけではダメで、でも「知識」の話だけでもダメで、両方話さなきゃならないんですよね。それが時間的にキツイです。ちなみに、今回は違うけど、よくある依頼が「ご自身の経験と、基礎知識と、できれば子どもたちの話も…」なんていうので、それぞれ1時間としても3時間はかかるわけです。なので、コンパクトになりにくいんですよね。まぁでも、そういう状況だからこそお座敷に呼んでもらってるわけですけどね(笑)。
てことで、三人会終了です。

5時から懇親会とのことなので、それまでプラプラあたりをお散歩。なるほどなぁ。農村的な町の場合、ほんとうに集落と集落の境界は田んぼなんだなぁ。そしてその向こうにある集落は、明らかに「囲い」がある感じなんだなぁ。おもしろい…。

で、懇親会。中倉さんがこっそりと持ち込んでくださったヱビスと赤ワインを呑みながら、しばし話。
さらに二次会はスナックです。おじさまワールドが全開です(笑)。
そんなこんなで、草津の夜はふけていくわけで…。

みなみ@高木

この「お好み」エントリは、「ムラ中カス入りお好みを食べる」というのが基本的なスタンスです。たた、これ、必然的に「ある場所」と「ない場所」が出てくるわけで、それをたどっていくと、「カス入りお好み文化」がどのあたりに分布しているかわかってくるわけです。
現在、北限はおたふく@蓮台野(京都市)で、南限が亮@芦原(和歌山市)、そして東限がうきなみ@八幡(伊賀上野市)であることが確認されています。特に、南限と東限については、それぞれその先にある新宮や徳島、そして松阪で食べられている「カス」は「油カス」ではなく「炒りカス」であることからも、たぶんこのあたりが境界線なんじゃないかと推測できます。ちなみに、なぜ「徳島が和歌山市の先か?」というと、かつて徳島には和歌山から船で行くルートがメインだったからです。
問題は西です。こまつ@津山市にはホルモン文化はあるものの炒りカスではありませんでした。また、かっちゃん@米堕(加古川市)では油カスの使い方をご存知なくて、出されたものはスジの炒ったものでした。とにかく西限を調べたいというのが、わたしの目下の関心事です。
そんなわたしですから、ムラ中に「お好み焼き」と書いた提灯と暖簾がさがっていたら反応して当たり前です。このあと懇親会はあるのですが、とりあえず食べたい!

てことで突撃です。でも、4時だからやってるだろうか…。
「かまいませんか?」
とドアを開けると、地元のおばあさまがすでにおられてビールを飲んでおられます。
「ええよ」
の声に誘われてお店の中へ。
「すんません。カスのお好み、おやつなんで、2枚だけなんですけど、いいですか?」
「はいよ、2枚ね」
と快く焼いてもらえました。
と、突然粉からタネをつくられます。あれ?と思ったら、すでに冷蔵庫の中に入っているものだけでは足りないからみたいです。ちなみに、粉は「日清のお好み焼き粉」でした(笑)。が、そこにたっぷりのとろろを投入。さらにダシも入れておられます。もちろん「混ぜ系」です。これはフカフカになりそうです。
鉄板の上に置かれた一人前が大きい!そこへカスがトッピングされます。

すばらしいo(^^)o!
片面焼き上がったところでひっくり返すと、美しい!

そして、再度ひっくり返すと、カスがしっかり残っています。

テーブルに提供するときは鉄板に乗せて出されます。

ひとくち食べると、たしかにフカフカです。そりゃお好み焼き粉にあれだけトロロを入れたらそうなりますわな。油カスは少し固めです。でも、ダシは残っています。たぶんあんまり油っぽくならないように仕上げてるのかな。
それにしても、気になっているものがあります。
「すんません、「こんごり」ひとつ」
アキレスの「こごり」です。けっこう薄味でおいしいです。口の中でコラーゲンがほろりと溶けます。と、おかあさんが
「これも食べ、サービスや」
マジッすか!出てきたのは焼きレバーです。これが分厚くておいしい。臭みもほとんどありません。
「このへんに屠場はありますの?」
「川の向こうにあるわ」
なるほど、新鮮なホルモンが手に入るわけです。でも、油カスだけは大阪から入手しておられるとか。
「ところで、ソースは何を使ってはりますの?」
「おたふくとな、あとはブレンドや。おたふくだけやと甘いからな」
そりゃそうです。
にしても、にぎわいこそ違うけど、たぶんこの店、「おたふく的」なんだろな。ここにチョコチョコ来るようになったら、もっぱらサイドメニューや裏メニューでビール飲むことになりそう、そんなお店です。

てことで、恒例のdata

カス卵 800円
ビール スーパードライ大瓶?円
スタイル 混ぜ系
その他 とにかくサイドメニューが魅力的です。たぶん、冷蔵庫の中にいろんなもんが入ってそうです。そして、お客さんのおばあさまがまたいい。ほんとにいかにも「ムラ中のお好み焼き屋さん」です。夕方に来たらおもしろいだろうなと思います。
独断的評価 ★★★★☆(生地の食感はものすごく好みなんですけど、お好み焼き粉を使ってるのが「うーん」です。あと、油カスはもう少し柔らかめがうれしいな。でも、あの生地のフカフカ感だとこっちなんだろうか…。10段階評価だと9ですけど、5段階にしたら4になっちゃったという感じです)

さらに詳細なリンクも更新しましょう。

1000人かよ!

今日は姫路のとある中学校でお座敷です。が、ふだんは「3年生だけ」とか言われるのですが、今回は「全校生徒で」とか言われました。で、会場が「大ホール」だとか。いったいどないやねん。
とりあえず姫路に着いてH江さんの車に乗せてもらって会場へ。到着すると、ガチの市民ホールです。まずは機材セットでホールに行くと…。
「なんじゃこりゃ!」

とにかく広いです。まぁ楽屋の廊下に「オーケストラピット」とか書いてあったから、オペラもやるんですね。舞台には奈落もあります。すごいわ。
てか、ここでやるのか(笑)?

てことで、中学生が900人超え+保護者の方でおよそ1000人に聞いていただくお座敷開始です。
まずはつかみ。大爆笑が起こりました。子どもたちは素直です。その素直さが残酷さも生むんですけど、そうならないようにするのが大切ですね。まぁでも、お座敷やる人間は、ある種その残酷さを受けとめて適切に投げ返すのが要求されるんでしょうね。そういう経験を子どもたちが積むことで、素直さをいいように発揮することができるようになるんじゃないかな。
まぁ、1000人もいますから、寝てる子もいます。寝てる子は寝てることを隠さない率直さです(笑)。それはそれでいいです。そしてなにがいいかというと、教員が起こさない(笑)。それなんですよね。起こすのもまたお座敷やる人間の役割です。きっと爆睡してるわけじゃない。だから、アンテナにひっかかるところがあれば反応してくれるはずです。それを探りながら話をするんですよね。そして、圧倒的多数は聞いてくれてる。だから、その反応で、また寝てる子も反応してくれる。
それにしても中学生1000人弱のパワーはすごいです。少し時間オーバーしたけど、そんなの関係なしに、最後まで真剣に聞いてくれました。
最後にステージを降りてパソコンを引き上げようと思ったら、握手を求められちゃいました。なんか、照れる^^;;

お座敷のあとは白なめしで有名な高木に連れて行ってもらって、しばし車で散策です。いやぁ、すごいです。ものすごい数の皮革工場が並んでいます。でも、そのほとんどが稼働していない。代わりに車の修理工場がいっぱいあります。複雑な心境です。
と、お好み焼き屋さんが!これは入らねば!
てことで、お好み焼き屋さんのレポートはのちほど。

その後、別のムラの懇親会に参加です。ここで、焼肉を食べて、ビール飲んで、ワイン飲んで、中学生のめまぐるしい会話を聞いて、変顔で記念写真を撮って、今日のスケジュールは終了です。
さすがに少し疲れました^^;;。

こなれてない→謀議

今日は夕方から西宮でお座敷です。
なので、その前は採点の祭典です。でも、わたしの採点はたいしたことないんだろうなぁ。2クラスを2時間半くらいで終えました。
そこからひと息ついて、移動開始です。途中、物心ついてはじめての阪神電車に乗ったりして、ドキドキしながら西宮の某所に到着。
今日話を聞いてくださるのは組合女性部の分会代表の方々です。内容はパターン3です。
このパターン3、まだお座敷にかけるようになって5ヶ月くらいです。大切な内容を扱ってはいるけど、時間配分とかまだまだつめきれていません。というか、内容的にはこの夏のチャレンジ3コマ分くらいあるのですが、それを3倍くらいに薄めたものです。ただ、問題は3倍くらいに薄めたからといって、それが単純に1時間半におさまっているかどうかですね。まだそのあたりの調整がしきれていません。さてどうするか。あとは野となれ山となれです(笑)。
てことで話しはじめたのですが、あっという間に30分たっていました。ヤバイです。次に時計を見たら、すでに1時間。あと30分で1時間分を話さなきゃなりません。えーと…。無理です(笑)。てことで、ただでさえ薄めたものをさらに薄めて45分かけて終了です。
終わってから、みなさんに「内容が薄いのに時間ばかりかかってしまって、ホントに申し訳ないです」と平謝り。でも、みなさん「よかったよ」と言ってくださる優しさです。ますます申し訳ありません。
まぁ、パターン2はなんだかんだで2年くらいかけて安定版になっています。パターン1にいたっては10年くらいかけて今のstableバージョンになりました。それに比べるとまだ5ヶ月ですから、まだまだβリリースってことなんでしょうね。でも、βリリースはβリリースなりに不安定さゆえの予期せぬ驚きがあったりするかもしれなくて、それはそれで楽しんでもらえたらうれしいなぁ(←アカンやつ)。

で、大阪へ移動。なんか、Sんさん・Eのいさん・Kよぽんが謀議をしてるとか。なぜかそこに乱入しちゃいました。
そこであーだこーだしゃべっているうちに、わたしも巻き込まれたみたいで、これはヤバイなと。てことで、最後は缶チューハイでクルールダウン。10時半くらいにおひらきです。
さてと。帰ろう…。

こなれてない→謀議

今日は夕方から西宮でお座敷です。
なので、その前は採点の祭典です。でも、わたしの採点はたいしたことないんだろうなぁ。2クラスを2時間半くらいで終えました。
そこからひと息ついて、移動開始です。途中、物心ついてはじめての阪神電車に乗ったりして、ドキドキしながら西宮の某所に到着。
今日話を聞いてくださるのは組合女性部の分会代表の方々です。内容はパターン3です。
このパターン3、まだお座敷にかけるようになって5ヶ月くらいです。大切な内容を扱ってはいるけど、時間配分とかまだまだつめきれていません。というか、内容的にはこの夏のチャレンジ3コマ分くらいあるのですが、それを3倍くらいに薄めたものです。ただ、問題は3倍くらいに薄めたからといって、それが単純に1時間半におさまっているかどうかですね。まだそのあたりの調整がしきれていません。さてどうするか。あとは野となれ山となれです(笑)。
てことで話しはじめたのですが、あっという間に30分たっていました。ヤバイです。次に時計を見たら、すでに1時間。あと30分で1時間分を話さなきゃなりません。えーと…。無理です(笑)。てことで、ただでさえ薄めたものをさらに薄めて45分かけて終了です。
終わってから、みなさんに「内容が薄いのに時間ばかりかかってしまって、ホントに申し訳ないです」と平謝り。でも、みなさん「よかったよ」と言ってくださる優しさです。ますます申し訳ありません。
まぁ、パターン2はなんだかんだで2年くらいかけて安定版になっています。パターン1にいたっては10年くらいかけて今のstableバージョンになりました。それに比べるとまだ5ヶ月ですから、まだまだβリリースってことなんでしょうね。でも、βリリースはβリリースなりに不安定さゆえの予期せぬ驚きがあったりするかもしれなくて、それはそれで楽しんでもらえたらうれしいなぁ(←アカンやつ)。

で、大阪へ移動。なんか、Sんさん・Eのいさん・Kよぽんが謀議をしてるとか。なぜかそこに乱入しちゃいました。
そこであーだこーだしゃべっているうちに、わたしも巻き込まれたみたいで、これはヤバイなと。てことで、最後は缶チューハイでクルールダウン。10時半くらいにおひらきです。
さてと。帰ろう…。

前のパソコンの使い道

現在、わたしはパソコンを4台使ってます。職場のメインマシンとサブマシン、家の母艦とこないだ買ったCF-RZ5です。ちなみに、かつてま”さんのご指導のもと自作した旧母艦は、石がCORE2DUOなのでRAMを4GBに増設してubuntuマシンになりました。で、こいつは台所においといて各種検索用です。で、あまったディスプレイが壊れたCF-J9をどうするかですね。
てことで、HDMIの切替機を買ってきて、台所の検索用マシンとディスプレイを共用することにしました。だって、ubuntu一太郎がないんだもん。もちろんかつてもっとも使っていたマシンですから、そのまま台所に置くわけにはいきません。ユーザー設定したり、あれやこれやといじくって、まぁなんとか実用レベルになったかな。
とは言え、ubuntuもかなり使い勝手がいいので、こちらもいろいろいじくって、なんだかけっこう快適になったかも。

レインボーフラッグとともに

朝、起きたくない(笑)
でも、今日はお葬式です。そりゃ、昨日行ったから「出ない」という手もあります。が、やはり行きましょう。
「てんまりの中の人」と一緒にタクシーに乗って、会場へ。すると「土偶作家さん」が目を真っ赤にして立っておられました。とにかくいたわりの気持ちを込めて無言でハグです。
やがてお葬式がはじまりました。

もう、遺影からして反則です。いつもの底抜けの笑顔の右にはレインボーフラッグ、左は「らっきょうの花の中の人」のお友だちが仲野さんのお見舞いのために書いたイラスト。あまりにも遺影じゃありません。
弔電を聞いていると、仲野さんがいかに広く深くいろんな人とかかわってきたのか、そしてひとつひとつの出会いを大切にして切らなかったかがよくわかります。
そしておつれあいさんのあいさつ。涙腺が決壊しました。

仲野さんと初めて会ったのは、おそらくは2001年に米子市で開催された「全外教セミナー」だったと思います。仲野さんはそのセミナーの実行委員長をしておられたと思います。仲野さんの方からわざわざわたしのところに来られてあいさつされて、「なんだか、若くて軽い感じの人だなぁ」と思ったのが、最初の思い出かな。その後、全外教大会で会うことが増えたのですが、その時は「物好きな人だなぁ。でも、義理堅い人だなぁ」くらいしか思っていませんでした。ちなみに、いつも会うたびに向こうからあいさつしてこられるので「よく覚えてはるなぁ」とも思ってました。
でも、やがて鳥取で会うことが増えるにつけ、仲野さんが鳥取をはじめさまざまなところでしておられることの貴重さがわかってきました。
例えば鳥取で上映会をした時も、当然のことながらからんでおられるわけです。その証拠にこんな写真があったりします。

そんなこんなで、ここ数年はセクマイ関係でしたしくおつきあいをさせてもらっていました。
実は、おつれあいさんの話の中にも弔電関係でもセクマイがらみのことはなにもありませんでした。でも、おそらく近年、すごく心の中にあったのは「虹色らくだ」のことなんじゃないかなと、勝手に想像をしています。で、セクマイについて興味を持たれたきっかけのうちのひとつが、もしかしたらわたしとの出会いなのかもしれないと、これも勝手に想像をしています。というのは、はじめてお会いした2001年は、わたしのトランス人生の中でもっともしんどかった時期なんですよね。そういう人と出会った時の仲野さんの反応は、きっと「ここに課題がある」なんですよね。そして放っておかない。それがおそらく「虹色らくだ」につながっている。
もちろんこれはわたしの勝手な妄想です。そんなこと恥ずかしくて聞けなかったし、今は聞くすべもないです。
実は、お葬式全体の中では「触れられなかった」セクシュアルマイノリティですが、でも仲野さんがレインボーフラッグを身にまとうことで「わたしたち」にご自分のスタンスを示してくださったんでしょうね。

お葬式が終わって、献花の順番を待ってる間に、「虹色らくだ社会部」の人と合流。いろいろ思い出話とこれからの話です。
そして、いよいよ出棺。

献花の時に一度はずされたレインボーフラッグを再び身にまとって旅立っていかれました。

お葬式が終わったところで、駅にもどって着替えて、昼ビールです。そして再びバスに乗って大阪へ。ここで今回のフェアウェルビールを飲もうかなと。
友だちとお店に入ると、ひとりで誰かと話をしてるおじさまがおられます。んー、きっとそこにはおられないお友だちと楽しくお酒を呑んでおられるんでしょうね。きっと幸せな時なんだろな。ふと「惑星ソラリス」を思い出したりして。
さてと、でも、そろそろ帰らなきゃ…。

鳥取へ

朝起きて階段を降りると、ダシの強い香りが漂ってきました。食欲をそそります。
朝ごはんは手づくりのお味噌でつくったお味噌汁です。キノコがいっぱい入ってるのがうれしいです。
朝ごはんを食べ終わって片づけして、白雲山荘をおいとま。そのまま母親の「妹分さん」のところへ表敬訪問です。ここでおいしい手づくりケーキとおいしい紅茶をいただいて、いろいろ話。
それにしても、このあたりでの生活は豊かです。お金の問題じゃないですね。時間の流れがゆるやかです。少しあこがれますね。
そんなこんなで家に帰って、帰りに買った鯖寿司をつまんで、再度出発です。

向かうは鳥取です。もちろん仲野誠さんのお葬式です。
実は9月の中頃に具合が悪いということを土偶作家さんから聞いていたのですが、その時は入院しておられるとのことで、「まぁええやろ」と思っていました。が、その後、自宅療養に切り替えられて「できるだけたくさんお見舞いに!」という連絡が入り、「10日に行きます」と返事をしていたのでした。でも、2日だけ間に合わなかったのです。
せっかく日〜月でお見舞いに行こうと思っていたんですから、やはりお通夜とお葬式には行こうと思いました。考えてみると、自分の意志でお葬式に行こうと思ったのは、これがはじめてかもしれません。
てことで、大阪で友だちと合流してバスで鳥取へ。途中、一緒に見舞いに行くはずだった「らっきょうの花の中の人」と連絡をとりあって、さらに「てんまりの中の人」と連絡をとりあって、お通夜で合流することに。
鳥取に着いて、とりあえずホテルにチェックインして、喪服に着替えて、すぐにホールに向かいました。
中に入ると、壁一面に仲野さんの思い出が貼ってあります。

その中にこんな一枚の模造紙が…。

自宅療養中の訪問予定です。すんごいたくさんの人が訪問されていることがわかります。と、10日のところを見ると…。

あらためて「間に合わなかったんだ…」という思いがこみあげてきました。
中に入ると、お棺の上にはレインボーフラッグがかけてあります。たぶん仲野さんは、いわゆるセクシュアルマイノリティでは、たぶんないです。でも、そんな人が最後の最後までレインボーにこだわってる。仲野さん本人は「アライ」なんて言葉は使わなかったし、本人もそんなことは思ってなかっただろうけど、こんな人がアライなんだよなって思うと、涙がこみあげてきます。
その後おつれあいさんのごあいさつ。
「明日行く予定でした。間に合いませんでした」
と話すと
「またこれからも来てください」
とのこと。ほんとだ。鳥取に来たら、また行こう。

その後、「てんまり」へ。なぜか中の人もまじえて友だちと3人で弔い酒です。弔い酒の割には、すんごく豪勢な料理と日本酒です。そんなのを飲み食べしながら、仲野さん亡き後の虹色らくだのこととか、いろんな話をしました。
で、10時半くらいにおいとま。と、値段見たら「安っす!」。メッチャサービスしてもらったみたいです。でも、うれしいなぁ。「てんまりの中の人」も、仲野さんが引き合わせてくれたようなもんです。
さてと。ホテルに帰って、もう少し飲んで寝ましょうか…。

ビール飲み放題

朝、一本のメールがありました。
鳥取大学の教員の仲野誠さんの訃報でした。あまりにも早すぎる死です。鳥取東部に行くと、いつも仲野さんがおられて、時として湖山ハウスで合宿やって、家が近くなのに泊まられたりして、そうかと思えば突然facebookで英語の文章が流れてきて、そうかと思うと学美展の映像が流れてきてと、とにかく動きまわり続けておられた人でした。そしてなにより、鳥取大学の「虹色らくだ」の顧問もされていて、そうやって、人と人とをつないでおられたんですね。いろんな複合的な意味を含ませたうえで、鳥取におけるある種のキーパーソンです。
そんな人から興味を持ってもらい、親しくおつきあいをさせてもらっていたのですが、なんか、とても大きな喪失感があります。

が、それはおいておいて、今日は母親とうちの家族の5人で「白雲山荘」というところに行くことになっています。
ここ、5年くらい前に母親に誘われて一度行ったのですが、なんかすごいところです。自家製ピザと自家製ビールの晩ごはんです。ビールは飲み放題です。ここにチョコチョコ来るというN村Iソンさんは、なんでも14杯呑んだとか。メチャクチャです。
ちなみに、別に旅館でもペンションでもない、ほんとに「山荘」です。「泊めて」の言われたら泊めてもらえる。そんな感じです。
てことで、なぜか朽木をまわって南小松へ。少し迷いましたが、無事到着。
とりあえずお風呂に入らせてもらって、いきなり晩ごはんです。楽しみです。ビールが(笑)。
まずはパエリア!

そして、パエリアを取り囲むビールたち!
あっという間に飲んじゃいますが、これがまたなぜかいっぱい飲めちゃいます。ふだんは一杯しか飲まない私が、気がつくと5杯くらい飲んでました(笑)。

そしてピザ!

さらにピザ!

あっという間にお腹いっぱいです。
ここでさらに「チェリービール」!わたしはベルビュークリークしか知らないのですが、自家製チェリービールがまた甘酸っぱくておいしい。でも、さすがにもうビールは限界です。
お腹がいっぱいになったところで、外に出てワインタイムです。

いやぁ、楽しい!
なんだかんだで、12時くらいまで宴会が続いたのでした。

講演2発

「講演2発」は、「お座敷2発」ではありません。今日は朝から一日出張です。その午前が講演というかシンポジウム。夜は「京都部落問題研究資料センター」の連続講座でした。

  • 「『足もとをほりおこす同和問題』の70年の歩み ーその継承と発展ー」

てことて、まずはシンポジウム。K都府人教の歴代の会長さんのうち4人が登壇されてのシンポジウムでした。
まず最初に「ジェンダーバランス悪っ」からスタートです(笑)。まぁでも、そんなことを考えるようになったのはここ数年なんで、それが現実のものになるにはまだしばらく時間がかかるでしょうね。だって、まずは女性が校長になるところからはじまらないといけないわけですからね。
で、シンポジウムを聞いていてつくづく思ったのが、京都府同和教育は「学力保障」を柱にとりくまれてきたんだなということでした。
京都の同和教育は、まずは京都市内からスタートしています。京都府については、北部からスタートしていて、その出発点は「今日もあの子が机にいない」とのことだったと。が、南部では「いないのは生活がしんどいからで、しゃーないな」だったとか。でも、「それはかんやろ」ということで夜学がスタートしていく。まぁそのあたりはいいんですけどね。でも、アイデンティティ保障みたいなのがないんですよね。もっと端的にいうならば、社会変革へとはいかない。やはり学力保障です。
これ、教員としてはしやすいです。だって、自分の仕事ですし、夜学もある意味、自分の仕事の延長線上にあります。「教えたくて教員になった」人にとっては、とてもハードルが低い。だからこそ、おそらく京都でも同和教育がそれなりに浸透していたんだと思います。
それはその後も続きます。法律ができて、行政も一体となりながらやっていったのは、やはり低学力の実態の改善です。そこでは、低学力の実態をアカデミックに理解し、仮説を立てて実践するって感じです。これもまた、いかにも「教師」って感じです。
いや、それそのものはいいんです。でも、それだけで解決とは言えないだろうなってことです。というか、もっというならば、そこから出てくるものとして、「本人の責任に帰す」ところが見え隠れするんですよね。だから「非行は宝」みたいな話にはなりにくい。現に、シンポジウムの中では「荒れ」の話は出てきませんでした。「荒れ」をどうとらえるかというのは、ある種の分水嶺です。「非行は宝」という言葉の裏側にあるのは、「非行」という行為を通して社会の中にある問題点を指摘しているという考えです。でも、「非行」を単なる「非行」としてとらえると、それは「本人に帰すべきこと」になってしまう。
低学力や荒れの実態はたぶん、例えば京都も大阪も変わらないんだろうけど、その原因を本人や本人を取り巻く環境にもっていくか、学校や社会のありようにもっていくかの差かな。でもこれは大きい差です。まさに、障害の「社会モデル」か「個人モデル」の差です。そしてこれが、障害のある子の教育保障の話とつながるわけです。つまり、京都の支援学校型と大阪の「みんなの学校」型の差ということです。
てなことを考えて、シンポジウム終了。
まぁもちろん、京都の教員みんながみんなじゃないです。それぞれの地で「非行は宝」と思いながらとりくむ教員はいたし、今もいます。が、大きな流れとして、京都はそういう動き方をしてきたってことです。

で、午後は分科会。なんかもう、ひたすら「特性を持つ子ども」みたいな話が出てきます。暗澹たる気分になります。いや、別に発達障害の話をしてもいいです。が、大切なのは「Aちゃんにどうかかわったか」のみに終わらないこと。「Aちゃんにかかわること」を通して、子どもたちや教職員が、あるいは学校が同価値観を変えていったのかということなんですよね。それがまったく出てこない。ここでも「個人モデル」が幅をきかせている。
きっと、発達障害系の話がいっぱい出てくるのは、具体的に教員が困っていて、「問題」の解決を欲していて、しかも自分が揺らがないからかなとか…。そう考えると、新渡日の子どもたちについては教員が困るから日本語指導を一生懸命やる。それに対して、部落問題とか在日朝鮮人問題って、教員は困らないですからね。だからやろうと思わない。そう考えると、妙にすっきりしますね。

  • 「洛北岩倉と精神医療」

とにかく、今日はこれ!夜に大阪で集まりがあるんだけど、それを振ってでもこれ!前々からものすごく興味があったないようです。講師は中村治さん@大阪府立大学人間社会学研究科です。
岩倉についての詳しい話はwikiせんせいにまかせます。が、この中にも出てくるように岩倉には精神病院がたくさんあります。そして、かつては精神病者を村全体で受け入れていたという歴史があります。なんか、こういう話を聞くと、思わず北山十八軒戸を思い出します。そう言えば、前に講演をきいた時に「このあたりでは、ハンセン病の人は普通に街を歩いたし、銭湯に一緒に浸かってた」みたいなことを聞きました。そんな感じなのかなぁ。
てことで、話を聞いていたのですが…。
なるほど。岩倉は貧困。そりゃそうです。いまでこそ地下鉄も通っているし、ちょっと避暑地気分にもなれる場所ですが、もともと「山の向こう」です。必ず峠を越えるか川を渡るかしなきゃならない。そんな貧困な、でも土地がある場所では何をするかというと、もちろん米もつくるわけですが、「人を受け入れる」ことでなんとかするという道を考えるわけですね。それが、精神病者であり里子であるというわけです。
従来、精神病者は「座敷牢」に入れられるのがあたりまえだった。でも「あそこに行けば治るらしい」みたいなところが、実は日本中にあったりします。経済的に余裕がある人はそういうところに行って「治療」をする。でも、たいていのところは「付き添い」がなかったらダメでした。ところが、岩倉では「強力」とか「飯炊き婆」を雇って、付き添いなしで預かる。これが岩倉が大人気になった理由のうちのひとつだそうです。でもこれ、地元の薪で地元の米を炊いて、地元の人が「強力」「飯炊き婆」になるわけで、おそろしく経済効果が高いわけです。
ということで、岩倉では精神病者は大切なお客さんとして存在していた。しかも、岩倉って、けっこう「エライ人」ともつながっているところみたいで「高貴な人」もかなり来ていたとか。となると、これはかなりおもしろい。
それが、精神医療行政とかいろんなからみで変遷していくんですよね。つまり、そういう「民間が預かる」みたいなのはダメとか、逆に精神病院が足りないためにキャパオーバーな預けられ方をさせられるとか。さらに「岩倉に行く」=「精神病院に入院」みたいな風評被害があったりして、精神病者受入の町としての岩倉は崩壊をしていくんですけど、その一歩手前でなんとなく踏みとどまっているのが今の状況とか。
というのは、高齢化が進む現在、認知症なんかも含めた「最大広義の精神病者」はどんどん増えていく。そういう人を施設に収容するという方向は、もうキャパの問題を考えたり経済的な問題を考えると不可能です。となると、必然的に地域の中で暮らしていくのが現実的なことです。その時のモデルが、実は岩倉のかつての姿であり、実は今の姿でもあるんですよね。今、病院に入院している方々も、基本的には開放病棟ですから地域に来られます。そして、例えばおやつなんかを買って、帰られる。それがあたりまえの風景として岩倉にはあります。そしてそのことを通して、岩倉の人々、特にかつて受入をしていた地域の人たちは精神病者の人に「慣れる」ことができる。そうやって共に生きる社会が、実はある。
きっと、こういうふうな社会があたりまえのようにあれば、あの相模原の惨劇はおこらなかったんじゃないかなぁ。