昼呑みからの玖伊屋

今日は昼から組合の特殊業務。でも、そんなものはサックリ終わります。
その後、来年度、ひとつしでかそうと思っている悪だくみへ向けた謀議です。
い「どこにしましょう?」
F「どこでも」
ということで、なぜかわかばへ。肉を食べながら、少しだけ謀議。でも、途中から謀議よりも呑み会になるのは必然です。で、呑み会になると「ハイボール濃い目」になるのも必然です。で、注文したら
「ごめん、炭酸ないし、これ呑んどいて」
って出てきたのがこれ。

これは、ハイボールとは言いません。ロックです。しかも、この量か…。まぁ呑みましたけどね。

その後、あたりを簡単にフィールドワーク。閉館時間ギリギリだけど電気がついている「柳原銀行資料館」をのぞくと、Y内さんが中から手招きされます。ラッキー。ということで、特別展の案内をしてもらったり。ちなみに、今やっている特別展は崇仁小学校の教員にスポットをあててます。これがすごくおもしろい!必見ですね。

で、そのままFさんと玖伊屋の会場へ。一息ついて、買い出しです。今日は…。チーズフォンディ的ななにかと、トマト鍋的ななにかをつくることにしました。
で、買い出しをして、わっさわっさと準備をしているうちに、続々と人がやってこられて、えらい盛況になりました。
で、玖伊屋の〆は映画上映会。にしても、「人間みな兄弟」「忘れられた皇軍」「絞死刑」の3本立てはダメですね。全部見終わったらぐったり疲れて、あとはいつもの台所前に布団を敷いて撃沈です。

ダメな一日

あまりにも昨日が楽しかったので、今日はダメダメです。昨日の夜呑んだのは…。生中→ワインボトル7合→ハイボールちゃんとした濃いめ2杯。そんなに呑んでないんだけどなぁ(笑)。
ということで、倒れそうになりながらも、少しずつ復活するのを待つ以外方法はないです。で、待ちながら、とにかくできる仕事をちょこちょこと。でも、昼過ぎにマウスがクリックできないほどの眠気が襲ってきました。これはアカン。しばし倒れよう。
まぁそんなこんなの一日でした。
夜になってようやく復活。さてと、ビールを呑もうかな(笑)。

やさぐれの翌々日(笑)

今日は「かつての生徒」と呑み。ひとりは5年前の放送部の卒業生です。こちらはまぁいい(笑)。もうひとりは、なんと28年前の卒業生。しかも担任したわけでもなく教科担当だったわけでもない。でも、とても印象的だった生徒のうちのひとりでした。
行ったのは鉄板焼き&お好み焼きの有名店。とてもおいしかった。でも、それよりもなによりも、楽しかった。
なんか、ふたりの卒業生で共通してたのは「わたしは生徒をひとりの人として見てた」ってことでした。
で、それを聞いたわたしは「へ?」って思った。だって、それって当たり前のことです。高校生ともなれば、15年なり18年なりの人生を過ごしています。その人生をどう見るかなんですよね。
教員が見ることができるのは「麸」みたいなもんです。中身はスカスカ。でも、その子の人生はそうじゃない。「生麩」のようにぎっちりと詰まっている。で、大切なのは「自分が見ることができるのは、たかが「麸」程度」ということを認識することと「「麸」から「生麩」を想像すること」だと思っています。だから、いろんな話をしたり、家庭訪問したりしながら「麸」を「生麩」へと近づけていく。そして、そうやって見ていくと、それぞれの子どもには、それぞれの人生があること、そしてその人生をつくってきた背景なんかが立ち上がってくる。そうした時、その子へのリスペクトってのは自然とわきあがってくる。だから、当たり前のこととして「ひとりの人」として対面せざるを得ない。いや、逆かな。そういうふうに対面したいから「ひとりの人」として向きあうところからはじめるのかな。まぁ、そのあたりは、ほとんど鶏・卵です。
で、そうやって見ていくと、その子の「悪いところ(笑)」はその子の背景に原因があり、その子の「いいところ」はそのご自身の力だと思うようになる。もちろん、ここで「悪い/いい」なんてあたりがすでにダメダメなんですけどね。でも、とりあえずそれをおいといて、そういうふうに見えちゃうんです。
でも、そういうふうに子どもと向きあう教員って少ないらしいです。だって、ふたりとも「そういうわたし」を覚えてくれていたということは、「他の教員とは違う」ってことですから。さらに言うならば、今回一緒に飲んだうちのひとりは、わたしが教員になった年の入学生です。つまり、なんの経験もない、青二才のわたしでした。そして、もうひとりは5年前の卒業生。で、そこに変化がないということは、もとからわたしはそういう教員だったということです。
びっくりです。だって、教員たるもの、そうやって向きあうのが当たり前だと思っているからです。当たり前のことが少数であるなら、わたしは教員らしくない教員なのか。
なんか、教員ってなんだろう。学校ってなんだろうと思ってしまいます。

まぁ、もしかしたら、学校とか教員とかって、わたしが考えているようなものじゃないのかもしれませんね。
その子の表面を見て、自分の価値観にあっていれば「いい生徒」。あわない振る舞いをする生徒は「悪い生徒」。そうやって断罪する。そして「いい振る舞い」は学校や教員の成果で、「悪い振る舞い」はその子のせい。だから自己責任。

わたしはそれは教育ではないと思うのですが、「わたし」が印象に残るのであれば、「わたし」は少数であり、「わたしではない」が多数で、それが教員であり学校である。少なくとも、それが「今」なんですよね。
わかんないです。

学校ってなんだろう。教員ってなんだろう。教育ってなんだろう。
わからなくなります。
でも、少なくとも、今日飲んだふたりが、わたしのことを覚えててくれて、しかもそれを肯定的に感じてくれていたってことは、「こんなわたしでも教員やっててもいいんだ」っていうこと。そう思わせてくれた。
それはとてもとてもありがたいなぁ。

やさぐれの翌日(笑)

朝、通勤途中の歩きの時に、同僚に昨日のやさぐれの話をしたら「誰も相手してくれなかったんですね?」と笑われてしまいました。なので、「そもそも職場に相手してくれる人がいない」とスネてみせると「そんなことないでしょう」と、またまた笑われてしまいました。
あー、たしかにいるな…。あいつとあいつと…。あり?クリスチャン系じゃん(笑)。

3年間をどう振り返るか

今日は卒業式。ま、滞りなく式はすんで、夜は呑み会。みんなはじけてましたが、わたしは一次会で離脱しました。二次会に行く体力がなかったのもあるけど、それよりも気力がありませんでした。

なんか、違う。たぶん、わたしの文化と今の学校文化は違う。
帰り際に少しだけ、もしかしたら話がわかるかもしれないクリスチャンの教員に話をしました。その教員はなんとなくわかってたかな。みんなが「全員卒業」と祝ってる中にとりこぼしてる子がいるってことを。
祝の席に水をさすのはしんどいです。でも、それができるのが担任です。そして、担任がそのことを言わない限り、そのことはないことにされてしまう。
呑み会では、「とりこぼした子」のことを、結局誰も触れませんでした。みんなわかっているはずです。でも、触れないってことは「なかったこと」にしてるってことです。
今日卒業できた子らは卒業判定会議で卒業が認められた子らです。その子らが卒業できるのは当たり前のことです。でも、そこに至らなかった子はたくさんいる。卒業式って、卒業できた子らのことを喜ぶとともに、とりこぼしてしまった子らに思いを馳せて、自分の力が及ばなかったことを悔いる日でもあるんです。
少なくともわたしはそうやって担任時代を過ごしてきました。「「今日」はたくさんの屍の上にある」って思ってきたし、その原点には、今日卒業できなかった子と同じような子をつくってしまった、はじめての3年担任の時の経験があります。もうあんな思いはしたくない。それがわたしの教員としての原点です。だから、なかったことにしない。そういう教員人生をしてきました。
そういうわたしの、おそらくは解放教育で培った文化と、今日の学校文化というか高校文化、言い換えるなら「卒業できなかった子はそこに到達できなかった子」=「自業自得」という考えは、あまりにも溝が深い。そういう適格者主義のまかり通る高校文化を、少なくとも勤務校では変えてきたはずなのに、またもやそれをひっくり返されている。そこには何人かの確信的な適格者主義の教員と、知らずにそこにはまっている「生徒を変えよう」とする情熱的な若い教員がいる。

生徒なんて教員の力では変わらない。本人が変わろうとするから変わるんです。そのためには、そういうふうに子どもたちが自ら考えるところまでのとりくみをしないとダメ。まさに卒業できなかった子らはそのとりくみが不十分だったってことです。
でも、今日はそういう空気がまったくなかった。「卒業できなかったのはしかたない。その子が悪い」。そういう空気が充満するところには、しんどくていられない。

まぁ、こんなことを考え、書いても、たぶん伝わらないですね。それは、わたしがなにもやっていない(ように見える(笑))からです。生徒を追いかけまわすわけでもなく、怒鳴りつけるわけでもなく。遅くまで補習をするわけでもなく、淡々と数学を教えるだけ。あとはなにやら、パソコンに向かって考え、やたら出張に行って学校にいない。
でも、実は担当している子らは追いかけまわさなくていいように育つし、怒鳴りつけなくてすむように育つし、遅くまで補習しなくてもいいように育つ。そのための仕掛けをつくり、子どもたち同士の人間関係をつなぐ。そんなことをしてはいるのです。で、それは目立たない。
目立つためには、もう一回担任をしなきゃならんのだろうかなぁ。