3年間をどう振り返るか

今日は卒業式。ま、滞りなく式はすんで、夜は呑み会。みんなはじけてましたが、わたしは一次会で離脱しました。二次会に行く体力がなかったのもあるけど、それよりも気力がありませんでした。

なんか、違う。たぶん、わたしの文化と今の学校文化は違う。
帰り際に少しだけ、もしかしたら話がわかるかもしれないクリスチャンの教員に話をしました。その教員はなんとなくわかってたかな。みんなが「全員卒業」と祝ってる中にとりこぼしてる子がいるってことを。
祝の席に水をさすのはしんどいです。でも、それができるのが担任です。そして、担任がそのことを言わない限り、そのことはないことにされてしまう。
呑み会では、「とりこぼした子」のことを、結局誰も触れませんでした。みんなわかっているはずです。でも、触れないってことは「なかったこと」にしてるってことです。
今日卒業できた子らは卒業判定会議で卒業が認められた子らです。その子らが卒業できるのは当たり前のことです。でも、そこに至らなかった子はたくさんいる。卒業式って、卒業できた子らのことを喜ぶとともに、とりこぼしてしまった子らに思いを馳せて、自分の力が及ばなかったことを悔いる日でもあるんです。
少なくともわたしはそうやって担任時代を過ごしてきました。「「今日」はたくさんの屍の上にある」って思ってきたし、その原点には、今日卒業できなかった子と同じような子をつくってしまった、はじめての3年担任の時の経験があります。もうあんな思いはしたくない。それがわたしの教員としての原点です。だから、なかったことにしない。そういう教員人生をしてきました。
そういうわたしの、おそらくは解放教育で培った文化と、今日の学校文化というか高校文化、言い換えるなら「卒業できなかった子はそこに到達できなかった子」=「自業自得」という考えは、あまりにも溝が深い。そういう適格者主義のまかり通る高校文化を、少なくとも勤務校では変えてきたはずなのに、またもやそれをひっくり返されている。そこには何人かの確信的な適格者主義の教員と、知らずにそこにはまっている「生徒を変えよう」とする情熱的な若い教員がいる。

生徒なんて教員の力では変わらない。本人が変わろうとするから変わるんです。そのためには、そういうふうに子どもたちが自ら考えるところまでのとりくみをしないとダメ。まさに卒業できなかった子らはそのとりくみが不十分だったってことです。
でも、今日はそういう空気がまったくなかった。「卒業できなかったのはしかたない。その子が悪い」。そういう空気が充満するところには、しんどくていられない。

まぁ、こんなことを考え、書いても、たぶん伝わらないですね。それは、わたしがなにもやっていない(ように見える(笑))からです。生徒を追いかけまわすわけでもなく、怒鳴りつけるわけでもなく。遅くまで補習をするわけでもなく、淡々と数学を教えるだけ。あとはなにやら、パソコンに向かって考え、やたら出張に行って学校にいない。
でも、実は担当している子らは追いかけまわさなくていいように育つし、怒鳴りつけなくてすむように育つし、遅くまで補習しなくてもいいように育つ。そのための仕掛けをつくり、子どもたち同士の人間関係をつなぐ。そんなことをしてはいるのです。で、それは目立たない。
目立つためには、もう一回担任をしなきゃならんのだろうかなぁ。