じりじりと

今日は原稿を書かなきゃならない日ですが、なかなか気が乗りません。なので、原稿書きと双璧である部屋の片づけに着手。でも、ずっと大阪の住民投票が気になってます。
で、9時過ぎから開票開始。一進一退の中、最終的に僅差で反対が賛成をうわまわって、「大阪市分割案」は否決されました。
にしても、開票中に「区ごと」の開票結果を見ながら「ここは反対が勝つやろ」と予想したところが、やはり反対が勝ちました。てか、その予想があまりにも簡単すぎる。結果はこんな感じになっているわけです。
まぁ、そりゃそうだろうなと。この選挙結果に大阪にいまある課題とかがはっきりと浮かび上がってきているように思います。
わたしはかつてから「大阪はしんどい人に優しい街」って思ってます。だから、全国学力テストの平均点が悪いのはあたりまえ。生活保護率が高いのもあたりまえ。
で、それに不満を持つ人がいる。基本的には「社会は互助」だと、わたしは思っているけど、新自由主義はそうじゃなくて、そういう層ももちろんいるわけで。
で、問題は、そういう状況の克服のために「しんどい人を、どうしんどくない状況にするためにサポートするか」という方向ではなく「しんどい人をいかに排除してしんどくない人だけで街をつくるか」という方向に、この間舵を切ってきたこと。

これ、わかるんですよね。学校(高校や大学)がまさにそれです。
「いかにして「いい子」を集めるか」
という発想で考える。同じことだなと。
でもねぇ。これ、根源的な解決ではない。それは例えば「葬儀場建設お断り」の住民運動と同じこと。

てのはおいといて。
でも、今回の選挙結果の意味は大きいんだろうな。
同じ日に沖縄の県民集会で35000人集まったとのこと。
沖縄もまた「大阪のミナミ」なんだろな。いや、もっと打ち捨てられた地。

闘いの炎は、そういうところからじわじわと広がっていく。

じりじりと” に4件のコメントがあります

  1. あなたの隣の しんどい人を助けるとき どうしますか?
    という問いに、

    新約聖書には 「持っているものを みな売り払って、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。」と書かれていました。

    一方で 学校に通うようになってから 「しんどい人には お金を貸し付けなさい。あるいは あなたのビジネスにその人を加えなさい。」ということを学びました。
    ( それが タルムードの説く 人の尊厳を傷つけない支援のあり方だと考えられている )

    互助のあり方は さまざまということを学びました。

    > 「社会は互助」だと、わたしは思っているけど、新自由主義はそうじゃなくて

    新自由主義については わたしはミルトン・フリードマンしか知らないけれど 、彼は「社会は互助」を否定してはいませんでした。
    わたしは知らないのですが 『「社会は互助」を否定する新自由主義』 そういうものがあるのですか?

  2. すみません。きちんと文献にあたって新自由主義の勉強していません。昨今、世間で言われていることから判断してそう書いただけです。なので、間違いであれば訂正します。
    文脈から言うなら「弱肉強食主義」と、経済的な学説とは別に書くべきでしょうか^^;;

  3. 『「社会は互助」を否定する新自由主義』

    社会保障には、大別すると「公助」「共助(互助)」「自助」の3つがあって、新自由主義が冷淡なのは「公助」じゃありませんでしたっけ。政府(や地方自治体)が何かするのに冷淡。お役人が高みから何か計画するよりも、最低限の規制や手当てだけして、後は民間に任せた方が、「共助(互助)」が機能して上手く行く、という。お役人が現場を踏まえずなにやら計画しても、無駄が生じていたり、当事者ニーズに合っていなかったり、利権が発生したり、色々不都合が起きるばかりだ、と。

    米国のようにキリスト教会など互助システムが機能している社会なら、一理あるのかも。非クリスチャンはツライのかもしれませんが。

    で、日本のようにかつて存在していた互助システムが戦前の因習などと一緒に一旦破壊されてしまった社会では、ちゃんと機能するのかしらん?

    。。。いえ、私も引用のそのまた引用くらいを聞きかじった程度で、ちゃんと勉強していないのですが。間違っていたらごめんなさい。

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