しまった!からはじまる一日

朝、パートナーがやってきてひとこと。
「あんた!こんな時間に寝てていいの?」
時計を見ると、6時半。普段なら家を出ている時間です。寝てていいわけないです。とにかく服を着替えて、家を飛び出して、なんとかいつもの時間に職場に着くことができました。
原因は、どうやら火曜日に目覚ましを解除したのがそのままになってたみたいです。

にしても眠い。1時間目はフラフラです。でも、2時間目に雑用をして、3・4時間目はp4cの時間です。
今日のタスクは「ソクラテスの対話ゲーム」の準備です。目標は「問を立てる」。絵本の読み聞かせのあと、不思議に思ったページを出しあいます。で、あるページの中の「不思議」を出しあって、それを問にする。さらにその問を一般化する。
なるほどなぁ。不思議を問いに。個別の問いを普遍的な問いに。普段やっていることから、少し抽象度をあげる。でも、ここが冒険でした。みんな「むずかしかった」と感想に書いてくれました。でも、そうやって正直に書いてくれたら、次へのフィードバックができます。
一回一回はおもしろかったりむずかしかったりダルかったりするんだろうけど、半期通して、なにか発見があればいいな。
てことで、2時くらいまで今日の振り返りと来週の作戦を練ってました。が、眠い。

午後はひたすら感想文打ち。なんとか拾いあげた作文をすべて打ちきりました。よかったよかった。
あとは家に帰って、ビール飲んで、ケンミンショー見て、寝ましょう。

総括

で、当然打ち上げです。
みなさん、なんか、盛り上がっておられます。たぶん、そういう気分なんでしょうね。
なんか、RぽたんとM木ちゃんがわたしのことを話しの中で出したとか。で、Rぽたんのセッションでは
「トランスの世界ではいつきさんはどれくらいの人なんですか?」
という質問をしたとか。で、Rぽたんの答えは
ドラゴンボールで例えるとピッコロやね」
と答えたそうな。それを聞いたAっちゃんは
「うーん。たしかに一番強いわけじゃないけど強いし、悪いし、でも後進を育ててるな。あたってる」
とか解説をしてくれました。
わたし、ピッコロだったんだ。バタコさんという話も昔あったけどなぁ。

ある語り部がこんなことを言ってくださいました。
「はっきり言って、お金のことを考えたら、この飲み会に来たら赤字やん。他のところだったら絶対に行きません。でも、この学校のリビングライブラリには来たいんです。お金の問題じゃないんです。リビングライブラリで子どもたちに話をして、この飲み会に来たいんですよ」
こんなにうれしい言葉を聞かせてもらえるって、どんだけ幸せなんだろう。
なので、うれしいお酒はどんどん進みます。
あかん、帰れなくなります。
てことで、京都駅に着いたところで、K淵さんに「第一旭に行きたい」と申告。行ってみたら長蛇の列。しかたなく最寄りの駅まで移動して、ローソンでカップラーメンを買って、店の前でズルズル。
あー、ダメな人や(笑)。

怖れとともに

今日は3年生対象のリビングライブラリ。朝から大忙しです。とにかく、やらなきゃならないことをリストアップしておいて、ガシガシ準備をします。が、ところどころで「よりよい方法」を考えて、頭の中を組み替えて、段取りの変更なんかをしちゃいます。すると、予定よりも時間がかかってしまう。
てことで、やはりひとりでやることの限界を感じたので、いろんな人に仕事を振ってしまいました。ま、みんな気ぃよくやってくれるので助かります。

やがて「語り部」のみなさんが応接室に集合。去年と違って、すごく和やかな空気です。考えてみると、みなさん一回しか会っておられない方もおられるのに、それを感じさせない親密さがあります。たぶんこれが「書庫」の空気です。
ここで簡単に打ち合わせ。そして、いよいよリビングライブラリの開始です。

今年は去年とぜんぜん違います。
去年はクラス単位に1セッションしかやりませんでした。でも、今年は完全に生徒たちの希望通り。それを2セッション。なので、60人ほどを対象に話す人と10人ほどを対象に話す人がいます。そういうアンバランスは「いい」って決めました。でも、それがよかったんでしょうね。みんな真剣に話を聞いています。
もうひとつの違いは、語り部の「慣れ」です。たぶん、伝えたいことが鮮明化されて、そのことが「わかりやすさ」を生み出している感じです。
なので、ふたつが相まって、とてもいい雰囲気です。質問も出てるみたいです。
わたしはというと、とにかく2時間、ひたすら歩きまわりました。なんだろ…。かつてキャンプでプログラムディレクターをした時以来って感じです。

無事2セッションが終わって、和やかな表情でみなさんが帰ってこられました。担当教員も、なんかいい感じです。
で、わたしは感想文の回収です。全員分を集めて、コピーをとって、みなさんに渡さなきゃなりません。てことで、コピーを語り部たちの前にドカンとおいて「仕分けして!」とお願い。だって、午後は授業がありますから。講師のみなさんに作業をさせてしまうトンデモなわたしです。なのに、みなさん、進んで仕分けをして下さいます。
てことで、なんだか、しっちゃかめっちゃかなうちに、今年のリビングライブラリも終了。

夕方、会う担任会う担任、「みんなすごく真剣に聞いてた!」「やってよかった!」「やはり希望制がよかった」と、完全に肯定的な感想を言ってくださいました。
たしかに準備はしんどかったけど、でも、それをうわまわる「ギフト」をもらえた気がしました。

今年もおしまい

朝、目が覚めると5時20分。なにが悲しくて休みの日にこんな早くに目が覚めるんだろう。まぁしかたないです。布団の中でしばしゴロゴロ。なにせ、今日は東九条マダンの後片づけがあります。
今日は天気がよさそうです。さっさとやってさっさと終わらせましょう。
なんしか、今年は当日が晴れだったのが大きいです。テント干しも必要ないし、テーブル洗いも特に必要ない。とりあえず、焼肉コンロをごしごしやればいいだけです。
ということで、あっという間に終了です。

さてと、あと半日。家のことがぜんぜんできていないから、それをやろうかな。
原稿もあるけど(;_;)

性別違和が具体化する場所

2000年からトランスをはじめて、いろんなことを試してきました。その中で、かなり初期からこだわってきたのは「望みの性別の身体の形状を獲得したい」でした。自分でも驚いたのは、2003年段階でそんなことを言っていたってことです。
ただ、実生活においてベルリンの壁のように(笑)たちはだかっていたのは、やはりトイレでした。
2000年代のわたしはランナーでしたから、毎日着替えをしてました。当時のわたしは男性ローカースペースに自分のロッカーがありましたが、外との間の仕切りはカーテン一枚、とてもではないけど使えない状態だったので、やむを得ず放送室で着替えてました。でも、これはなんとかなった。やはり一番きつかったのはトイレでした。
別に来客があるからどうとか、見た目とトイレが食い違って他の人が混乱するからどうとかいう話ではないです。単純に「ダメ」なんです。
わたしは「男性ではない」自分に気づいて、その気持ちを実践しようとしていたわけです。そんなわたしが「男性トイレ」に入るってどういうことかというと、とにかく一番拒否していることを自分に強いないといけない。例えば…。例えがわたしには見つけることができません。とにかく、トイレの前で足がすくんでしまうんです。身体が拒否をしてしまう。
同じようなことが、ある集まりのワークショップで起こりました。混声合唱をやるということになって「男声の人はあちら」と言われてそっちに行った時でした。後悔しました。涙が出るほどしんどかった。アンサンブルになった時にホッとしたことを今でも覚えています。
自分が「違う」と気づき実践している時に、「それ」を強いられることがいかにきついことかということを身にしみて感じました。
「自認する性別と反対の性別のトイレに入る」ということは、わたしにとっては性別違和を顕在化させ、具体化させる行為でした。

そうそう。かつて友だちが「○○切るくらいの気合を見せろ」って言ってたことがありますが、「あー、この人、先住民なんだな」と思いました。先に居座り、自分のテリトリーを守る。ジャッジするのはその人自身。きついなと思いました。でも、まぁそんなもんだと思いました。○○切ったらなくなる程度の根拠は、実は「○○切ること」が大切なのではなく、そういうことを言う人自身のフォビアの問題なんだろな。だって、○○を切ろうが切るまいが、わたしがわたしであることに変化はないからです。わたしにとっては「その程度のこと」なんですが、なぜか過剰な意味づけがされるのが、よくわからないです。

てことで、わたしは2007年に女性教職員に「トイレとロッカールームの使用」をお願いして、ふたりの反対で断念したものの、翌年他の人たちが「毎日のことだもん。使えばいいよ」と言ってくれたことに後押しされて、まずはロッカールームを使うようになり、その2年後くらいからはトイレも使えるようになりました。
一度実現しても、もちろん転勤で人が変わります。なので、使い続けることはできるのかなと思っていたのですが、なんか「あー、女性トイレを使ってるんだ」って思ったら、それはそれでそのままになるみたいです。
いろんな意味でラッキーだったなとは思いますが、もうひとつ大切だったのは「管理職」ではなく「女性教職員」に言ったことかなと思っています。そして、一度は断念したことも大切だったかな。断念することで「使えばいい」と言ってくれる人が顕在化した。
たぶん、その経験が、わたしの「やり方」の原点だし、そういう「やり方」の原点にあるのが担任時代の生徒たちの「やり方」からの学びかなと思います。まぁ、そういうやり方ではなかなか社会全体を変えられないっていうのはありますが^^;;。

東九条マダン

朝、二日酔いもなくすっきりと目が覚めました。なにが悲しくて6時半起きなんだとは思いましたが、ふだんより1時間遅いんだから、御の字です。
さてと、昨日できなかった最終準備の開始です。荷物を積み込んでスタート。
会場につくと、すでにあちこちで準備がはじまっています。それに乗り遅れるわけにはいきません。わたしたちも準備スタート。とは言え、二人しかいないので、遅々としてすすみません。と、気づきました。お米を忘れた(;_;)。これはスタートが遅れるな(;_;)。
まぁいいです。とにかく炭をいこして、テントを立てて。と、現役生登場。看板をつくってもらいましょう。と、卒業生も登場。さらに名古屋からの助っ人も登場。そして同僚も登場。いやぁ、ここに同僚が来てくれるのは20年目にしてはじめてです。すなおにうれしい。
さてと。あとは肉をガンガン焼いて、ガンガン売りましょう。
一昨年去年と雨にたたられたけど、今年は晴れ。気持ちのいいマダンです。
それにしても、いい感じに肉が焼けると客が来ない。で、新しく肉を焼きはじめたところでお客さんが来る。サイクルがまずいな。そこのところをなんとかしのぎながら、夕方4時に終了。疲れた…。

夜は当然打ち上げです。
でも、打ち上げの前にお風呂に入っておこう。浴槽につかるといきなり焼肉のにおいがきました。ハードやなぁ。
打ち上げでは、なんでも今度「パッチギ!」をやるという役者の卵さんにいろいろ時代背景なんかを説明したり。
てことで、家に帰ると12時前。やばいな…。