ブルドーザーとのかけっこ

なんか、いつも、ほんの少しタイミングが遅いと感じるわたしです。あと少し早ければ、こんなにきつい思いをしなくてすんだんだろな。
でも、まだ追いつかれてない。
当事者特権は使わない。権力は使わない。そこから出てくる内容こそが普遍性を持つ。わたしはそういう場所で闘うと決めたんだ。だから、そこでやる。
しかし…。
なんか、ブルドーザーの前を必死で走ってる気がする。
まぁ、追いつかれたらキャタピラの隙間に潜り込んでやりすごして、必死で走って追い抜いて、おしりペンペンしてから、また逃げればいいってわかってるんだけどね。

連日やな

今日の午前は出張。人権教育にかかわるレポートの検討をしました。
うーん。
難しいですね。例えば、ADHDの子どもへの薬の投与。肯定的な意見と批判的な意見がある。両方にそれぞれの「理」がある。これ、実は薬だけの問題じゃなくて、例えば「特別支援学校」も同じような問題をはらんでいる。
どういう観点で、なにを睨みながらその問題を考えるのかによって、出てくる答えが正反対だったりします。
なんか、もやもやを抱えたまま、午前の会議、終了。
昼はなぜか月曜日のフィールドワークの講師さんに昼ごはんをごちそうになったりして^^;;。
午後からは明日の「特殊業務」の準備です。まぁ、毎年のことなので、こいつもサックリと終了。
夜は大阪で呑み。年に数回、企業の人たちと呑むのですが、今日はそんなののうちの1日です。今回は、途中、企業の女性たちと立ち話。これがよかった。トランスと女性、簡単に共感しちゃダメだと思います。でも、教わるところもたくさんあるし、重なるところもたくさんあります。
なんだろ…。
安易に「わかるー」じゃなくて、じっくり聞いて「そうなんだぁ」からはじまる。そして「わたしの場合はね」って続く。違うからこそ重なるところがわかる。違うところを学ぶ。重なるところを喜ぶ。そして、仲間がひとりできる。その仲間は「同じ」じゃなくて「違う」仲間。だから、広がる。
なんか、そんなことを感じた立ち話でした。

にしても、こんなに連日連夜呑んでていいのかなぁ…。