潮目が変わってきた?

昨日の夜が遅かったので、当然のことながら朝寝坊。でも、朝寝坊できる朝がうれしいです。
で、今日も山道をクネクネして、帰ってきたらお昼過ぎ。
昼ごはんを呑んで、しばし考えごとをして、さてと出発。今日は京都駅前でカウンターです。
最寄りの駅から電車に乗ると、なんか、目的地が同じと思しき知りあいが乗ってこられます。なるほど…。
現場に到着すると、なんか、カウンター勢がワサワサいます。どんだけおんねん。
知りあいを見つけたのでツツツと寄ると
「ビラまき頼む」
と言われたので、「苦手だなぁ」と思いながらも、ハイハイと引き受けました。
で、持ち場に行ってまきはじめたのですが…。
メッチャ反応がいいです。
「あれ、なにやってるねん?」
「あー、あれがヘイトスピーチですわ」
「あれがか」
「はい、わたしら反対してますねん」
「そうかぁ」
「とりあえず、これ、読んでみてください」
「これね」
「ありがとうございます(^^)」
みたいな会話を何度も何度も繰り返しました。てことは、それだけビラがまけたということです。なんか、手持ちのビラがあっという間にはけてしまいました。
なので、しばらく回転寿司になったりして、カウンター終了。
Bちゃんに
「行こ」
って言われたので、一杯だけビールを飲んで、今日は終了。家に帰ってやることあるからなぁ…。ま、どうせできないんだけど^^;;。

謀議ってほどではないにしろ

今日から三連休。潜在的にやらなきゃならないことがあって、でもけっこう時間はすいていて、でも、そこそこ用事が詰まっています。どうなることやら。
と思った朝ですが、寝坊をして、山道をクネクネしたら、あっという間に午後です。昼ごはんを呑んでしまったら、眠くなってウトウト。あっという間に夕方です。さてと、出発。

夜は大阪で、とある行事のミーティングです。なんか、よく顔を見知った6人ばっかが集まって、呑みながらいろいろ話。
んー。今問題になっていること、今提起したいこと、そんなのをうまく論議できる場にするためには、なにをテーマにし、どんな形で会を運営したらいいのか。なんか、つい「例年通り」と流れてしまいそうなんですが、仮に「イマイチやなぁ」と思うことがあれば、そこは変えればいい。もちろん変えなくていいところまでは変えなくていいわけですが。なんか、「改革ありき」ではなく運営を考えるのはとてもむずかしいですね。
でも、3時間くらいの論議で、ほぼ「到達した感」があったので、ミーティング終了。
その後、なぜかカラオケに行くことになって、気がつくと熱唱してしまっていました^^;;。

っと、ヤバイ。帰れない(;_;)。
と思いきや、兵庫に帰らなくちゃならないHさんが家まで送ってくださったり。うわあん。もうしわけない。でも、ありがとうございます(^^)。

もしかしたらこんな感じ?

今日は文化祭の打ち上げです。
てことで、仕事が終わったら、行きつけの中華料理屋さんへ。ここ、何がどうということのない、まぁ、町中にある「とある中華料理屋さん」なんですが、なかなか評判がよくて、いつも満席です。なんといっても、餃子がすごくおいしいんですよね。なので、うちの職場でこの店を知らないともぐりってことになります。
で、飲みはじめたのですが…。
まぁいちおうわたしは幹事役なので、出入り口近辺に陣取っていたのですが、同じ校内セクションの女性教員とか、なかよしの飲んだくれの女性教員とか、なんとなく女性教員がそのあたりに集まってまして。
なんか、話の内容が楽で。というか、日常のとりとめもない話を楽しく話す能力がすごいんですよね。とにかく、笑い転げながらわいわいと話が続くんですよね。
「なんか、最近、朝、身体が痛くて起きるよのね」
「あー、わかるわかる。ひざが痛くて、なんか、起きるとき人類の進化みたいになるのよね*1
あー、「これか」と。そこそこ、えー年の人が集まる女子会はこんな感じなのかと。
結局、男性教員とはほとんどしゃべらない4時間でした(笑)。

*1:ちゃんと実演つき

しでかしのはじまり

今日はなぜか夜、大阪へ。とある「しでかし」のための謀議です。
まぁ、謀議に参加したのは話しの早い人ばかりなので、「しでかし」の話はさっくりと終了。あとは呑みです(笑)。

にしても、この「しでかし」、かなり大がかりです。規模もさることながら、広報をどうするかとか、クリアしなくちゃならないことは山のようにありそうです。でも、「攻め」は基本的には楽しいものです。
ファイトがわくなo(^^)o。

あ、春分の日近辺のことじゃないです^^;;。

21世紀は…。

教室に入ると、
「今日、9.11やなぁ」
と声がかかりました。ヤツら、わたしのツボを知ってます(笑)。
てことで、ほんの少し話。
でも、たしかにあの日を境に世界は変わりはじめました。それを、単なる「犯人探し」などではなく、冷静に見つめなくちゃならないなと、あらためて思いました。

今日もテーマ曲はドナドナ

遅々として進まぬまま、とりあえずおべんきょしにおべんきょ場所へ。未完成のペーパーを持っておべんきよ場所に行くのは、苦痛というか怖いというか。
センセ、ペーパーを読みながら
「ふんふん…」
ビビります。
「ここね。これで終わっちゃダメなのよ。ほにゃほにゃほにゃと引用したあと、ちゃんとひとこと自分の言葉を入れなくちゃ」
「これ、あなたのオリジナル?だったら、根拠を示さなくちゃ」
ズバズバと突っ込んでこられます。しかも、ことごとく「未完成」で放っておいたところです。まぁ、できたつもりのところをツッコまれるよりはマシかもしれませんが…。
最後はこちらから攻めの姿勢です。
「ここ、完全に未完成で、とくにここに入る一文をどうしても考えられなかったんです」
開き直りとも言います(笑)。
それでも最後は
「思ったよりも進んでるね」
とのお言葉。マジ、しんどかった。でも、充実してたな。

経験から学ぶこと

今日も一回生徒をどなりつけたけど、まぁそれでもなんとか終わりました。
終わってからのミーティング。ひとりひとりに
「できたこと・できなかったこと・気づいたこと」
を話させたのですが…。「できたこと・できなかったこと」は話せるのですが、「気づいたこと」が出てこない。これは深刻だなと。なので
「気づいたことを誰も言ってない。気づいたこと・学んだことはないのか?」
と提起。でも、なかなか出てきません。うーん。これはますます深刻だなと。
「何回か怒られたね。なにを怒られ、その時何を言われたのか言ってみて」
と話すと、ようやくポツポツと出てきました。

うーん。うちの子らに何が欠けているのか。もちろん山のように欠けているところはあります。でも、決定的なのは「経験から学ぶ」ことかな。じゃあ、どうすれば「体験」から「経験」へと変化できるんだろう。たぶんそれは「反芻する」ことかなぁ。それから「観察する」こと。まずはすべてを「意識」の管理下に置くこと。逆に言うなら、「なんとなく」を一切排除すること。
じゃ、それをするためには、具体的には何をすればそれができるようになるのか。
日誌かなぁ…。
放送部の活動日誌、ちゃんとやらそうかなぁ…。

遅々として進まず

明日までに、とりあえずなんとかしなきゃならんのに、まったく進みません。その理由はふたつ。

ひとつは時間がない。あらかじめわかっていたはずなのに、やはり時間がない。というか、これまでとは時間の使い方がまったく違うようです。今までは3つくらいのことを同時に考えて、TTS*1的に時間を割り振りながら、傍目からは同時進行でことがこなせました。でも、どうやら「おべんきょ」はあまりにも大きな「Bジョブ」なんで、処理の時間のほとんどをとってしまいます。なので、それだけの時間をそこに投入しなきゃなりません。で、その時間がない。

もうひとつは、思考が迷走している。調べれば調べるほど、考えれば考えるほど、自分がいかに単純な発想でものごとを捉えていたかが突きつけられます。いや、単純というよりも大雑把かな。逆に言うなら、自分の捉え方の解像度があがったのかもしれません。細かいことが見えはじめて、おそろしくやっかいです。でも、それを含みこまなきゃものごとを描くことはできない。でも、それにとらわれてもものごとを描くことはできない。ジレンマです。細かい解像度で見つめて、そこに大きな切り口を見つける。そこまでいけてないから、迷走します。

で、そんなことを感じながら、今日も放送で走りまわってたわけです(笑)。
ちなみに、明日も走りまわるのかなぁ(;_;)。

*1:タイムシェアリングシステム・懐かしい(;_;)。

「信用できへんやんかぃ!」

今日は文化祭0日目。開会式と準備の日です。とりあえず、メイン会場の放送セットをすべて組んで、ホッと一息。
放課後、軽音楽部のリハの時に「それ」が起こりました。
基本的に演劇をやっている時は特に何もないのですが、2日目の午前の最後、吹部→合唱→軽音と舞台でやる時は、ひたすら放送セットを組み替えなきゃなりません。こういう時が問題で、どのマイクがどこに行って、今使っているのは何番のマイクかってことを常に把握しておかなきゃなりません。
で、軽音のリハをやってる時、ボーカルが大きいので、ボーカルのマイクをいじっていたのですが、まったく音量が変わらない。おかしいなと思ってミキサーの入力をチェックしたら、マイクの番号とミキサーの番号が対応していません。
限られたリハの時間に致命的なミス、しかも超初歩的なミスです。ブチ切れました。
「お前らな!なんちゅうええ加減なことやってるねん!こんな初歩的なミスしてな!信用できへんやんか!ええ加減にせんかい!」

放送セットを組むってことは、誰かがそれを使うわけです。それを使う人は、そのセットを信じて使う。もしも信じられないなら、イチから自分で組んだほうがはるかに信頼できます。そのことがわかっていない。とにかく仕事がええ加減。

ひとつのミスが誰かに迷惑をかけている。そのミスが信用を失うという厳しさ。それを感じながら信頼を積み重ねるということ。そこから必然的に生まれるピリッとした空気。それを実現するために、具体的に、なにをどうすればいいんだろう…。