一夜あけた朝

それでも朝はやってきます。不思議なほど気持ちよく晴れ渡った朝です。
いつものようにやかんを火にかけて、台所の窓を開けます。外から夏の朝特有の冷たい風が入ってきます。その瞬間、
「あ、もしかして、自分、にほん好きかも」
と思ってしまいました。そして、次に出てきたフレーズが
「にほんをかえせ」
でした。
その「にほん」は…。
例えば、昨日出張で行った、わたしにとっての第二のふるさとのたんぼの風景かもしれない。あるいは、みんなが急がされているこの時代、スローフード。おにぎりを売ってるお店かもしれない。いつも変わらず人が集まるお好み焼き屋かもしれない。みんなが安さを求める中、無農薬野菜をつくっている人かもしれません。
よくわからないけど、そんなこんなが自分にとっての「にほん」であり、案外そんなくだらなかったりつまらなかったり情けなかったりするものが好きなのかもしれないと思いました。
でも、あれ?「かえせ」ってフレーズ、どこかで聞いたよなぁ…。あぁ、あれだ!

ちちをかえせ ははをかえせ.
としよりをかえせ
こどもをかえせ

わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ

にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ

なんか「にっぽんを取り戻す」とかいうフレーズがあって、どんな「にっぽん」かはわからないけど、「権力という暴力」を使って「奪おう」としていて、どうやらそれはとてもではないけど好きにはなれなくて、住みにくて、危険な「にっぽん」らしい今、ふたたび「にほん」をとりもどすこと。その闘いは、すでにはじまっているし、今日はその仕切り直しの日なのかなぁと、ふと思いました。
なんか、腹を立てて、怒りまくった次の朝が穏やかなのは、怒りが収まったからじゃなくて、その怒りが内在化し、自分の日常と融合したからなのかな…。

何回繰り返せば

仕事をしながら、ときおり「更新」しながら情況を見守ります。やがて、なにごともなかったかのように「合意した」の文字が。あまりにも茶番です。

当然のことながら、5時半に仕事を切り上げて四条河原町に向かいます。交差点に行くと、すでに100人を越す人々が集まっています。
デモの出発点に向かう道すがら、なんとも言えない「疲れ」に襲われます。なんなんだろう。この疲れは。
デモの出発待ちの時間、人が続々と集まってきます。やがてデモ出発。
道行く人の反応はさまざまです。
無視をする人。写真を撮る人。拍手する人。子どもに「あんたも入らんと」みたいなしぐさをしている人。

昨日もそうでしたけど、「無視をする人」の顔が一番つらいですね。無表情なんです。でも「そこにそれはない」とする「意思の表情」が伝わってくるんです。
なぜ無視をするんだろう。なぜ拒否ではなく無視なんだろう。実のところ、わたしにはわからない。そして、それがわからないかぎり、無視をする人はこちらを向かないであろうこともわかっている。でも、その無視をする人は、その「無視の意志」を持ったまま、例えばこの国が向かおうとしていく先に向かっていくんだろうか。

デモも終盤に入り、ドラム隊はいよいよ激しさを増します。

再び「怒り」がこみ上げてきます。その怒りは、たしか前にも…。あぁ、この日です。忘れもしない「教育基本法改悪の時」です。あの時と同じ思いを幾度繰り返してきたか。そしてこれからも幾度繰り返すのか。
でも、そこで、無表情にはなりたくありません。無視はしない。

艱難は忍耐を生み出し、
忍耐は錬達を生み出し、
錬達は希望を生み出すことを、
知っているからである。
そして、希望は失望に終ることはない。