サバイバルレース(一日目)・意識が飛ぶ

さて、今日から三日間、サバイバルレースです。といっても、免許の更新ではありません。ひたすら発達障害の話と向き合うという、単なる趣味の話です。
にしても、9時から5時まで、間に休みはあるもののずっとおべんきょは、さすがにきつい。しかも、おべんきょ仲間は一人しかいません。これはまずいです。
にもかかわらず、たまに目が閉じる→意識が軽く飛びます。こんなことは滅多とありません。
内容はメチャクチャおもしろいんです。なにせ、発達障害の病理や生理なわけで、小児科の専門医から直接こんなことを聞ける機会はまずありませんから。
なんというか、それが具体的に役にたつかどうかなんてことはおいといて、情報としてそのことを知っていることって大切なんじゃないかなと思うのです。
なのに、意識が飛ぶ(;_;)。
されでもなんとか最後までがんばりきりました。まぁ、金〜日の過ごし方がね^^;;。

家に帰って、今度はレポート書き。
いやぁ、おべんきょだらけの一日でしたo(^^)o。

ひとまずエンディング

今日は分科会です。
「行くの、しんどいなぁ」
と思ったけど、やっぱり行かなきゃ。というより行きたい!あぁ、なんとポジティブシンキング(笑)。
てことで、駅までテクテク歩いて会場へ。
さて、どの分科会にしよう…。
労働か?それとも…。やはり昨日の続きの第1分科会でしょう。パネラーの責任です^^;;。
でも、この分科会にしてよかったです。
労働の教材をつくるにあたって参考にさせていただいた岡山の「みて みて つかって」をつくった人が話題提供者で、お礼を言うこともできたし、「その先」のことも話せたし。あるいは、初参加の人とグループ討論をして気づかなかったことを気づかせてもらったり。
なんかすごく充実した半日を過ごすことができました。

さぁ、あとは昼のビールを呑んで、京都に帰るだけです。

裏両性研開催!

で、交流会。わたし、行っていいのかどうかわからなかったけど、せっかくだから図々しく行かせていただきました。
目の前には佐藤さん。その横は池上さん。わたしの隣は古田さんという、なんかもう…な席に座って、あとはワインを呑みながらゲラゲラ話。
とは言え、セクシュアリティや哲学や社会学や生理学や法学をはずすことは基本的にはありません。てか、他愛ないことまでそのあたりが出てくるからゲラゲラ話になるんですが^^;;。

で、二軒目はこれまたスリリングなメンバーです。
「わたし、表で明るく猥談をしたかったのよ!」
という問題提起に応えて、裏両性研の開催です。
最後に「来年も裏両性研、やろうね!」と、固い約束をかわして、無事解散です。

あんまりしゃべらんでよかったんや

で、午後からのシンポジウムに備えて打ち合わせ。
パネラーは4人。他の人はちゃんとした活動をしておられますが、ひとりジャンルが違います。助言者もコーディネーターも、なんとなくわたしの方を見てニヤニヤしておられます。
「順番、どうしましょ」
「うーん、いつきさんを最後にしたら、ぶっ飛んで終わるからなぁ」
「起承転結の「転」だから3番目かなぁ」
「えー、そんなことしたら最後がメッチャしゃべりにくいですよ」
あのね^^;;。
てことで、3番目になりました。
シンポは開始からいきなりコーディネーターが打ち合わせと違う話から入って会場を和ませてくれます。しかも、パネラーの紹介は他はみんな名字なのに、わたしだけ「いつきさん」。ま、うれしいですけどね。
まぁ、そんなこんなで、和やかに、でもいい論議ができたんじゃないですかねぇ。

久しぶりの両性研

年度当初、いろいろスケジュールを見ていたら、今年の両性研は土日ってことがわかりまして
「これは久しぶりに参加できるな」
と思っていたのですが…。
ある日
「シンポジウムのパネラーをしないか」
というメールが来ました。へ?何をしゃべれと…。最近、
「他にもっとふさわしい人いるんとちゃうん」
という話がたまに来るのですが、ま、考え方を変えれば
「しゃべってみて」
って主催者が考えておられるわけで、それはそれでありかと思いながら引き受けることにしています^^;;。

てことで、会場へ。にしても眠いなぁと思っていたら、
「いつきさん!今年、来たんやー」
との声。大分のKさんでした^^;;。
「そら、来ますがな。わたし、午後のパネラー^^;;」
「えー!」
みたいなベタな会話を楽しみながら、まずは午前の伊藤公雄さんの講演です。
なるほどなぁ。多くの国は90年代の産業構造の変化の中で「働き方」を変えざるを得なかったんだけど、日本は逆に「団塊の世代」の長時間労働でそこを乗り切ってしまったがゆえに、「変化」に乗り遅れたと。さらに、いまだに「あの時の成功体験」から脱することができずに90年代への回帰を求めていると。なるほどなぁ。
他国の経年変化との比較をすると、そのあたりのことがとてもよくわかりました。うーん。わかりやすいなぁ。
それにしても、プレゼンテーションソフトを送って行く時、右クリックでメニュー出して「次へ」をいちいち押してるあたりが、なかなか^^;;。

大移動

で、電車に乗って移動開始。あり?京都…。を通り過ぎて、東へ東へ。到着したのは新横浜。さらに電車に乗って到着したのは東京都内の某地方都市。ここに九州から「デカセギ」にやって来た友だちが暮らしてます。
今日は宴会→お友だちの家に宿泊です。
この人たち、基本的にフリーダムです。なので、いろんなところに遊撃してはちょっかい出して帰ってくるみたいです。ま、そのフットワークのカルサは大切です。
でも、今日のメインテーマは恋愛相談だったりするのもまたかわいらしいですね。
「振られちゃいました」
「話してみ」
「かくかくしかじか」
「それ、振られてへんやん」
みたいな。
どうやら「間」ってやつがとれないみたいですね。まぁ、たぶん純粋なんだと思います。
てなことで、みんなで笑い転げながらのひと晩でした。

吸い込まれ感

今日は岡山でお座敷です。
そう言えば、去年も岡山で何回かお座敷がありました。ちなみに、この夏、もう一回岡山に行くことになっています。岡山、いま熱いです^^;;。
てのはおいといて…。
今、岡山市では「中学校区」単位でいろんなことをしはじめているとのことです。たしかに地域と学校の連携を考えるうえで「中学校区」はけっこういい範囲になるかなと思います。解放教育の文脈でも、地域の教育力を考える時に「中学校区」単位でとらえた実践が多く見られる気がします。
てことで、去年も今年も「中学校区」の人権研修ってことで呼ばれました。

小中の研修って、けっこう空気が柔らかくて話しやすいんです。
基本的に研修は「強制力」を持っています。でも、高校なんかだと他の仕事があったりして、メッチャ出席率が悪い。ところが、小中の場合は他の仕事を入れない体制(含む行事)をとられるので、出席率がけっこう高いんです。では「仕方なし感」も高いかというと、これが低いんです。たぶん「学び」への意欲がすごく高いんでしょうね。
今日のお座敷でも、みなさんすごく聞いてくださっているのが伝わってきます。なんだろ…。会場の空気に自分が吸い込まれる感じ…。
そんなふうになってしまうと、当然のことながらネタも増えます。まぁ、そんなこんなで、制限時間ちょうどに終了しちゃいました。

変な店

で、夜は当然呑みです。
肥下ちゃん、お酒はなんでも飲むけど、実は味がわかってる人です。さて、どこにつれていくか…。ここは酒楽座かな^^;;。
満足してくれましたo(^^)o
ただ、ここ、お腹が減るので、日本一おいしいすじ肉でも食べてもらおうかと。で、お店に到着すると、休みです(;_;)。
しかたないので、前から気になっている「どて」という店ヘ。
中に入ると、なんかよくわからない店です。とにかくカニクリームコロッケとカルビの焼肉を注文。味はなかなかです。やがてなぜかカラオケタイムに突入。肥下ちゃん歌いまくりです(笑)。ならばとわたしも歌いまくりです(笑)。
で、お腹が減ったので、ご飯がほしくなり
「ご飯、ありますか?」
と注文したら、出てきたのはガチのホルモン丼^^;;。
おいおいと思ったけど、最近身体がお米を欲してるので、食べてしまいましたo(^^)o
たまご入れたらもっとうまかったかも^^;;。

√か…。

今日は人権教育研究会の夏季研です。
午前はレポート。今回は新たにつくった「労働」についての教材の発表です。
正直、たいしたことのない内容ですが、おそらく京都の高校では誰もとりくんでいないんじゃないかな。なので、「問題提起」程度の位置づけです。
25分、事前の準備もなくダラダラと話して終了。それにしても、口のうまさは命とりです。それなりの内容に聞かせてしまう自分、質疑応答にも器用に答えてしまう自分が、たまにイヤなります^^;;。

午後からは西成高校の肥下ちゃんの講演です。
冒頭いきなりわたしの写真が出てきて爆笑です。
実は今回、普段話をしておられるであろう「反貧困学習」あるいは「反貧困の学校づくり」とは少し違う切り口で話してもらうよう頼みました。
たぶん「反貧困学習」についての話を京都でやったら、「あー、そんなことやってはるんやー」ってなってしまう。それは同時に「うちでは無理やなぁ」と同義なんですよね。
でもそれは当たり前で、生徒の状況も学校のシステムも、学校を取り巻く環境もまったく違います。だから、同じことができるはずがないんです。
で、今回、肥下ちゃんに話してもらいたかったのは
「なぜそんなことをしようと思ったの?」
ってことです。つまり、根っこ=√です。
これならば、個人的な「根っこ」の違いは当たり前。でも、肥下ちゃんの話しの中にある「根っこ」を聞きながら、自分の「根っこ」を考えることもできるし、そこから自分が何ができるかを考えることで、自分なりのとりくみを考えることができる。
必要なのはマニュアルではなく、作法である。
そんなことを考えたのです。
肥下ちゃん、見事にそんなわたしの思いに応えてくれました。バングラデシュで出会った識字の話からスタートして、教員になる前の話、教員になってからの話、「反貧困学習」「反貧困の学校づくり」に至るまでの一貫した思いを話してくれました。
「あの時の思い」を心の中に沈めて、淡々と考えとりくみ続けること。そこから新たなとりくみが出てくる。そしてそれは誰のためのとりくみなのか。なにを目指すとりくみなのか。それを考えた時「あの時の思い」が常にあるんでしょうね。