会議と会議とぽっかり空いた夜と

今日は朝から会議で出張です。一度職場に行っても、勤務時間とかルーティンワークレベルで考えると仕事ができるのは10分くらい。家からそのまま行ってもいいようなもんです。でも、実際には「いつもの電車」で行ったら、一時間弱は仕事ができます。駅から職場までの往復の徒歩の時間まで考えると、家を出る時間差は約1時間半。5時半起きが7時起きでいい。
んー、ずいぶん考えました。が、朝の一時間の仕事を選んでしまいました(T_T)。
いや、この一時間でできることはたくさんあるわけです。

で、午前の出張へ。地元の教育力を一緒に考えるこの会議は、きわめて実践的です。ほんとにていねいに子どもや家庭、地域とかかわっておられます。でも、だからこそ「わからなくなってしまう」ことがある。だから、地域で実践している人に学びながら、「globally」をフィードバックする人も必要だったりします。てことで、何人かの高校教員もこの会議に参加しています。まぁ、実際には「globally」をフィードバックできているかどうかは自信ないですけど^^;;。

午後も会議。ほんとは出張パターンなんですが、会場がうちの職場なので、ラッキーにもここでもほんの少しではあるけど仕事ができます。ほんとに追いまくられているな(T_T)。

で、午後の会議は、まぁガッコ代表者の連絡会です。でも、みんなとってもなかよく、いろんな情報を交換しています。が、そうなるためには、それなりの時間が必要です。今日の会議はそういう意味では「キックオフ」です。今年一年の方向づけのために、変わらなかった構成メンバーがなんとなくがんばっているのがみてとれます。もちろんわたしもがんばるわけで^^;;。
てことで、いつものように時間ギリギリまで論議をして終了。

さて…。
ホントは今日は夜は大阪に行って、今度講演をお願いしているE井さんと呑み打ち合わせをしに行くことになっていたのですが、今朝キャンセルのメールがあって、ぽっかりと夜があいてしまいました。
んー。
まぁ、今できることは今やって…。明日も明後日も夜はおべんきょだしね。
で、おうちに帰ってゆっくりすることにしますか(^^)。

「気」

今日は夜のおべんきょのために隙間の時間を見つけてペーパーを読もうと。ところが、見事に時間がありません。というか、完全に仕事のタイミングを読み違えてました。てことで、ペーパー読めたのは放課後の掃除監督中。まいったな^^;;。
とにかくおべんきょ場所に向かう間もペーパー読み。
場所につくと、みんなペーパー必死で読んでたから、なんとなく一安心(笑)。

で、今日のテーマは「気」です。
どうやら「気」は流れるようです。みんな「気」からできています。「五官」は「心」を持っていますが、どうにも統制はとれそうにありません。それぞれの「心」は欲望の方向へと行きがちです。
そんな時に「気」ですよ!「気」が統制してくれます。統制といっても、たぶん「制御」とは違うわけで…。たぶん「バランス」「調和」あるいは「整える」感じでしょうか。
でも、内側の「気」と外側の「気」は分断されています。それをどうつなげるか…。
そんな時に「呼吸」ですよ!「呼吸」をすることで内と外がつながります。だから、呼吸を整えるのかな。
そして、「気」は流れます。

考えてみると「気」のつく言葉は多いです。
「気のせい」
ずっと「気」って「気持ち」「気分」≒「自分の思い」「自分の考え」「自分の感情」って思ってたけど、違うんでしょうね。そうか。「自分のせい」じゃなくて「「気」のせい」なんだ。
「足の向くまま気の向くままに」
「自分の思うように」じゃなくて「自然の導くままに」なんだ。
自然の息遣いの感じられるしなやかさを身につけたいな。

そんなことを考えた「おべんきょタイム」でした。

あけてダラダラ

本当は今日は昨日に引き続き大阪でカウンター行動をするつもりでしたが、なにやら中止になったみたいで、ぽっかりと一日あきました。
なにをしよう…。
とにかく疲れた身体と心を休める。
ちょっと買い物。あとは睡眠とマンガと文章読みとビール(^^)
けっきょく「文章読み」はできなかったけど、それ以外はダラダラできたかな。

充実感と空虚さと

わたしはどうやら「一般論」でものを考えるのが苦手なようです。常に頭のどこかに「リアルさ」をおきながら、ものごとを考えるようです。
例えばわたしにとっての多文化とは、ウトロでオモニたちとビールを売りながら、
「お金はここに置けばいい」
「いや、あっちがいい」
「あーだ!」
「こーだ!」
とやりあったり、でも一段落ついて
「まぁ、食べ」
とか言われながら、特別に持ってきてもらったサンチュで肉を包みながらビール呑んで、気がつくとチャンゴ叩いてハルモニがノレをやりはじめて、みんなでオッケチュ厶。そのうち
「えーかげん終わるぞ!」
と怒られて片づけやって…。
みたいなものなんです。
なので、例えば「朝鮮人」というひとつの言葉の中には、必ず固有名詞が入ります。あるいは、できるだけ入れたいから、そういう場所にのこのこ出かけて行って、そういう人と出会って、しゃべって、呑むわけです。
そういうわたしにとって、一般論でしゃべる人はどうしてもどこか違和感を感じるし、ましてや一般論で「殺す」とかいう人には怒りと恐怖と…。なんだろう。
まぁ、ダメなんです^^;;。
てことで、今日は行かなきゃならないだろうと思ってこれに参加してきました。
んー。
細かいことについてはIWJなんかに譲るとして…。
空虚です。「彼ら」はやたら「朝鮮人」と言っていましたが、中身がないです。「朝鮮人」のかわりに、例えば「岡山県民」を入れても、それこそ「在特会」を入れても成立するヘイトスピーチです。そのことが、わたしに空虚さを突きつけます。
でも一方、「stand against racist」というフラッグにたくさんの人が立ち止まってくれました。

わたしはできなかったけど^^;;、留学生や外国人観光客も関心を持ってくださったみたいです。カウンターは、単に「対在特会」というだけではなく、「わたしたち」を見る人々にそれなりのアピールをしていたことを感じました。
その充実感と、でも在特会へのカウンター行動そのものの虚しさへの疲れと、いろんなことが交錯する一日でした。

終わってから呑み。
はじめて出会ったツイッタ上の人々とのやりとりは大きな収穫でした。いろんなことを教えてもらい、話をした夜でした。あまりにも話が弾んで、いつもの通り、食べずに飲んだら寝ちゃったのは、まぁこれまたいつもの通りでしたが^^;;。

それにしても、ほんとに疲れていたのを家に帰った瞬間実感しました。

プレッシャーからの解放

で、そのあとは呑み。
いや、別にいつもあるわけじゃないのですが、今日は年度はじめということで…。
にしても、たった4人なのに、在日朝鮮人・中国人・日本人とバラエティに富んでいます。で、育てられた環境のせいか
、パーソナリティもバラバラ。そのバラバラさがおもしろい!
わけですが、わたしはプレッシャーからの解放感で、なんだか紹興酒をグビグビ呑んでしまい、ごめんなさいごめんなさいでした^^;;。

プレッシャー

去年、何度かレジュメ切って発表をしました。が、まぁ正直、趣味の世界ではあったと、振り返って思います。で、趣味の世界だと、まぁ好き放題言えるわけです。だって、ツッコまれても
「えー、わかんなーい(^^)」
で終わらそうと思えば不可能ではありません。だって、ツッコむ人が「一番知ってる人」だし、
「まぁしゃーないな」
としかならないわけです。
ところが、趣味の世界でなくなると、そうはいきません。
ペーパーを読み込んで、わからないところを調べて、それなりの準備が必要になります。というか、その場では自分が「一番知ってる人」でないといけないわけです。
で、今日はじめてそのプレッシャーをヒシヒシと感じました。今ごろでは遅いやろうという話は、もちろんあるのですが^^;;。
でも、これからこのプレッシャーを感じながら2年ばっか過ごすのかと思うと…。うん、でも、それが必要なんでしょうね(^^)

行動をコントロールする

夜は夜でおべんきょです。
今日は「強化」とか「強化子」とかいう話です。
わたしがいま自分の授業でやっていることが、式を分析的に見ることだとするならば、おべんきょでやっていることは「行動の変化を分析的に見ること」なのかな。まさに、「行動分析」です。で、分析的に行動を捉えることによって、行動をコントロールすることができる。
にしても、出されたお題が難しい。
「増やしたい行動を決めて」
「それを増やすための「ごほうび」を決めて」
「実際やって一週間カウントする」
なんですよね。
増やしたい行動…。ないわ…。
別にビールは呑んでるし、逆にそれを「ごほうび」にしちゃうと「行動ができなかった時」には呑めなくなっちゃうし(T_T)。
うーん。
自分の行動を分析的にとらえるって、けっこうむずかしいかも…。

さぁ、アナリーゼだ!

今年、15年ぶりくらいにちょい勉強できる(はずの^^;;)クラスの授業を担当しています。
うーん。
そりゃ、みんな担当したがるはずです。
いや、楽といえば楽ですが、考えなきゃならないことが、あまりにも違います。
いままでならば、「できないことをどこまで遡って教えるか」がメインだったのですが、それを前提とはしなくてすむわけです。だから、「いま」の内容に集中できます。そしてそれを深く掘り下げることができます。
例えば「a(x-b)y+(x-a)(x-b)」みたいな式があったとして、この式をどう見るか。
いままでなら「あきらめるな」とか「まぁこれはこうなんねん」とか、そもそも扱わないとか(笑)、そんな感じだったわけですが、今年は「これはyの1次式として見るわけで」みたいなことを話せるわけです。
こういうことって、おそらく「なんとなく解ける」から「確実に解ける」へとステップアップするために必要な作業なのかなと思っています。
でもまぁ、そんなことを考えられるのは、もしかしたら、いままで数学が苦手な子らをずっと相手し続けていたからかもしれませんね。

考え違い?

この間から読んでいるペーパーの中にセジウィックホモソーシャル理論とやらが出てきていまして。で、ペーパーの中には詳しい説明がなかったので、かと言って原典にあたる時間もないので、ネットでグリグリと探していたら、原典を引用しながら説明している文章に出会えました。で、
「ふんふん、なるほど。そーゆーことかー。あー、あるある(笑)!」
とか思いながら電車の中で読んで、家に帰ってもぎょりながらいろいろ考えていたのですが…。
突然わたしはとんでもないところで考え違いをしていたことに気づいて、ひっくり返りそうになりました。
そうかぁ。だからあの時あんなことを考えたんだ。
でも、もしも「あの考え違い」がなければ、わたしの人生はぜんぜん違っていただろうなぁ…。

復活!と…。

今朝事務室に行くと、人権のメールボックスに箱があります。なんだろ…。お!電源ユニット!
てことで、先日破滅の音を出したパソコンにさっそく装着。さて、マザーは?石は?メモリは?…。
ふぃーんとか言ったあと、無事起動。助かった〜。これで仕事がまともにできます。にしても、かなりたまってしまいました(T_T)。
そうそう。地下室に捨ててあったモニタもつないでみましょう。なんせ、版組しているのに、いままで17inchのモニタで、見通しが悪いのなんの。で、地下室に19inchのがあったので拾ってきたんですね。画面に引っかき傷があるものの、どうやら使えそうです。うわ!画面、広!さすがは1600×900です。
てことで、環境が整いました。

しかし、このパソコン、マザーが変わって石が変わって、メモリが変わって、電源が変わって。残っているのは、ハードディスクとDVDドライブだけじゃん^^;;