休日

大会が終わって外に出るとG藤さんがすでに来ておられました。
とにかく大分に来たら行きたい場所は3ヶ所あるわけで、今日はそのうちのひとつ、長湯のお友だちK村さんのおうちにやっかいになることにしています。K村さんとの付き合いはもう7~8年になるでしょうか。小学校の教員として積み重ねてこられた実践に学ぶことはほんとうにたくさんあります。で、G藤さんがまたすごい。養護教諭として子どもたちときちんとつながっておられます。さらに、K村さんのおつれあいもムラの子らとかかわりを持ってこられた方で、とにかく刺激を互いに与えまくり受けまくりな一夜になること必至です(笑)。
ちなみに、K村さん宅に行くときは、なにか一品つくるというのがわたしが自分に課しているタスクでして、途中、水餃子の材料を仕入れて、長湯に向かいます。
到着したら、とりあえず皮づくりと白菜みじん切りだけはしておいて、温泉に直行です。ゆっくりお湯に浸かって疲れを癒したら、いよいよ餃子包みの開始です。8人分ですからかなりの量があります。気がつくと、すでに9時。やばいです。それでもなんとか包み終えて、宴会の開始です。サクッとビールを飲み終えたところで、
「うまい酒がある」
と出してこられたのが越乃寒梅。さて、どうだろうと思ったら、何やら地元で売っているものみたいで、かなりおいしい!こんなのもあるんだ。てことで、あっという間に4合瓶があいたりします。
途中、子どもさんになぜか進路指導をしたりしながら、ゆるゆると時は流れていき、気がつくと0時です。
みなさんは明日は仕事、わたしも帰らなきゃならないから、そろそろお開きですね。

全外教大会2日目

朝、同室の人は朝風呂に行かれたみたいですが、わたしはダウンしたまま。まぁ、選択の余地なく「睡眠」ですよね。でも、朝ごはんの頃には復活。今日は分科会の日です。
とりあえず会場に着いたら本部に荷物を置きます。このあたりは事務局の役得かな。
さて、今回はレポートを無理くりお願いした人が何人かおられるので、その人たちのレポートを聞きに行くことにしますか。まずは鹿児島のM本さん。この方、古い知り合いでして、まだわたさが血気盛んだった頃にえらいイチャモンつけたみたいです。つけた側は忘れてるけど、つけられた側は覚えているという、ありがちながらも最低なわたしです。
それにしても、分厚いレポートやなぁと。おそらくもともとは単独の実践だったんでしょうが、その実践が子どもを変え、変わった子どもたちが教員を変えていくということが伝わってくるレポートでした。そんな実践のあちこちに京都のテイストがあふれています。なんか、かなりうれしい。この人と出会い直せてよかったなと思わされました。
で、いったん本部に引き上げて事務仕事。
午後からは佐賀のH口さんのレポートです。保護者とのていねいなつきあいは、高校教員のわたしには決してまねができないなぁと思わされるレポートでした。短時間に深く付き合うわけではないけど、長い時間をかけてゆっくりと付き合い、そのなかでの気づきがさらに付き合いを深めていく。そんな感じのレポートでした。
で、閉会集会。大会総括とかいろんなことがあって、今年の大会も無事終了。一年前からなんとはなしにかかわってきたわたしにとって、ほんとうに感慨深い大会でした。

夜の私的全国交流会

先日H本さんから
「夜は呑みましょう」
という連絡がありました。今年はオフィシャルな全国交流会がないので、いろんなところの人に声をかけてみることにしました。だって、H本さんが地元でもっておられるネットワークと、わたしが全外教の中でつくってきたネットワークの交流をしないと、あまりにももったいない。
てことで、指定された飲み屋までブラブラ。
到着すると、大分の人はまだ誰も来ておられません。そりゃそうだ。地元はまだ片づけ中です。それでもしばらくすると三々五々やってこられます。結局この交流会、大分については事務方を担った方々、大分以外については7府県からの参加、合計19人という、えらい宴会になってしまいました。はじめはちょい堅めだったものの、途中席替えの指示をしながら(笑)、強制的にみなさんを交流させているうちに、かなりぐにゃぐにゃの会になってしましました。
で、終わってから2次会。これまたH本さんの行きつけのスナックでひと盛りあがり。いや、さんざん歌わせていただきましたm(_ _)m
さて、気持ちよく夜を過ごせたところで、ホテルに帰りましょう。明日は分科会だ。

終わりとはじまり・全国在日外国人生徒交流会2日目

起床は6時。某国立の施設なので館内放送で容赦なしです。
ノロノロ起き出して、朝の活動スタートです。つっても掃除ですか(笑)。そうこうするうちに「朝のつどい」の時間です。でも、不十分な掃除の場所をきちんとしなくちゃなりません。そんなことをしていると、つどいの時間は終わっちゃいました(笑)。
で、今日の班別討論スタート。でも、班別討論と並行して、細々とした「最後の片づけ」があります。本来はこういうのは子どもたち自身にさせなきゃならないのでしょうが、交流会での最優先課題は「話し込み」です。そのための時間を最大限確保しなくちゃなりません。なので、この手のことは基本的には引率がやらざるを得ないのです。
で、いよいよ最後のプログラム、全体会です。ここでは、各班が2日間話しあってきたことを、他の班に紹介します。「同じ」在日外国人だからと言って、経験してきたことや考えてきたことは違います。あるいは、同じ経験をしたからといって感じてきたことは違います。それを交流することは、ある経験に対してさまざまな角度から光をあてることと言えるかもしれません。そういうことを積み重ねることによって、ある経験が与える「問い」へのさまざまなアプローチを可能にするんじゃないかと思います。それにしても、全部で7班あって、すべての班が発表を終わったら1時間ちょい経過していました。各班10分近く話をしていたんですね。かなりすごいな…。
で、お外へ出て記念写真。

で、別府へ移動開始です。今日から「全国在日外国人教育研究大会」が開催されています。その全体会で2日間の報告をしなくちゃなりません。
会場に着くと、H本さんがおられます。久しぶりです!てか、今日の夜のコーディネーター役です。そうそう、夜のメンバーを確認しなくちゃね。
てなことで、あちこち動きまわっているうちに、子どもたちの出番です。舞台の上に約100人の子どもたちがずらりと並ぶ姿は壮観です。

で、発表開始。うんうん。何時間もかけて考えただけあって、とても思いの詰まった発表やなぁ…。
そんなこんなで、今年の全国交流会も終了。あとは事後合宿@東九条やな^^;;
と同時に、全外教中九州大会のスタートか。

っつっても一滴

交流会はなにがきついと言って、晩ごはんで呑めない(;_;)。
てことで、生徒たちの交流が終わって、ようやく教員の交流会です。けっこうあちこちからきているのですが、子どもたちがメインなので、引率同士が話をする機会はここだけです。少しだけ呑みながら、みんなで自己紹介。で、1時終了。さすがに疲れた。

今年もやってきた・全国在日外国人生徒交流会1日目

起床は午前3時。コーヒーを淹れて、3時半スタート。東九条に着くと、みんなまだ寝てます。でも、今日は心を鬼にして電気をつけて叩き起こします。なかなか起きない暴走機関車も今日は許しません。簡単に片づけをしていると、Tーマスがトイレで吠えはじめました(笑)。てか、核弾頭とおんなじことやってます。
それでも予定通り4時にスタート。同乗者はMックス、Iチロー、Y
本さんと暴走機関車
途中、K野さんから電話。
「徳山にいるし」
てことで合流。徳島からの5人を乗せたK原号と二台で阿蘇を目指します。運転をはじめてから8時間後、無事熊本ICに到着。選択の余地なくラーメン屋に突入。なぜかいきなり宴会になったのは、たぶん気のせいです(笑)。長時間運転をしたわたしは後部座席でおやすみ。ほどなく阿蘇につきました。
今日から2日間、全国在日外国人生徒交流会があります。
到着したら、熊本の人たちが笑顔で迎えてくれました。うれしいなぁ。てか、みんなおそろいのポロシャツ着てるよ!えらい気合いです。でも、ちょっとうらやましい(笑)。
全体会場に行くと、すでに全体会ははじまっています。と、Tーマス、Iチロー、Mックスはみんなの輪のなかに入っています。さすがはサポーター*1です。にしても、楽しそうやな(笑)。
そうこうするうちに班別討論開始。今年はけっこうなごやかな感じです。続いてルーツ別交流会。孤立した状態で住んでいる在日の子にとって、同じルーツの人と話する機会はとても貴重です。とくに、日本に来て間もない子にとっては、自分の母語で話をする時間はものすごく貴重です。横で見ていて
「やっと息ができた」
という表情をすることがよくあります。出会いの場の貴重さを感じる瞬間です。
もっとも、わたしの担当は「日本ルーツ」です。外国人生徒交流会の中で鬼っ子のようなこの班は、でもとても貴重な存在だと思います。というのは、在日外国人の問題は日本人の問題であるとも言えるからです。もちろん、この班が多くなっては外国人生徒交流会の意味がないのですが^^;;。
でも、交流会がはじまってすぐにルーツ別があると、やっぱり日本人にとってはどんな話が出たかという交流ができないからしんどいな。
で、風呂だの晩ごはんだのがあってメインの班別討論。ちなみにわたしは班別討論には入らないことにしています。もちろん興味がないわけてわはないのですが、あまり深入りしたくないという気持ちもあります。なんでだろう…。
で、夜のリーダー会議。ここがわたしの場所です。もちろんリーダーを相手にするのは「ずるい」という考え方もありますが、個々の局面にあまり深く入らずに全体をボワーッと見渡す観点も必要かなぁとか思ったりするのです。まぁそんなことで、今日の反省をして、一日の活動は終了。

*1:3人は卒業生として、会の運営の補助をする役割。

寝不足のお座敷

昨日はついつい就寝が4時半。今朝は起きたのが9時。で、午後からお座敷です。さてさて大丈夫かな?
なんしかパートナーにおにぎりを握ってもらってお弁当はOK。電車にのって奈良まで移動。
なんでも来年の全性連の大会が奈良であるとか。で、その分科会で話をしてほしいとか^^;;。で、一度話を聞きたいと言われてしまい、お座敷となりました。
でも、やっぱり寝不足でいつになくテンションがあがりません。これで大丈夫なのか、はたまたこれくらいのほうがいいのか(笑)微妙なところです。
で、いよいよ出番。
養護教諭のかたが多いせいか、めっちゃ受容的です。一部、メッチャウケてる人もいます*1。おかげさまで、徐々にテンションがあがりはじめて、エンジンがかかりました。気がつくと、もらった時間いっぱいしゃべってしまいました。
結局、お座敷ってお客さんとのコラボなんですよね。
でも、やっぱり体調管理だけはしておいたほうがいいかな。

終わってから、役員のかたと喫茶店でしばし話。来年のことなんかについて、ちょっと真剣な打ち合わせとか、今日の話のネタばらしとか。

夜には家に帰って子どもと晩ごはん。後片づけをして、パン焼き器のセットをして、一日終了。
さてさて、明日はとんでもなく早起きしなくちゃなりません。そろそろ寝ることにしましょう。ということで、10時半におやすみなさい。

*1:あとで聞いたら養護教諭のコースをうけてる学生さんだとか

読破

後ろ髪を引かれる思いでウトロを後にして、帰り道で「のだめカンタービレ」全巻ゲット。
家に帰って下の子どもに
「どうだ!大人になったらこんなことができるんだぞ!」
と自慢をしたら、素直に
「いいなぁ」
とうらやましがられてしまいました(笑)。
で、当然のことながら読みはじめます。と、とまらない…。12時になってもとまりません。1時になってもとまりません。結局、4時半までかかって23巻+2巻を読破。
明日お座敷があるのに、アホや…。

昨日のツケ→確認

朝起きると、猛烈におなかが減ってます。でも、今日は日直だから出勤日です。朝ご飯を食べるヒマがない。
職場に行くと、放送部員が東京土産の「ごま玉子プリン」を持ってきてくれました。んまっ!ようやくカロリー補給ができました。
日直は午前で終わりなので、昼過ぎに職場を出てウトロへ。
一見静かな風景です。でも、「3年前に床上浸水の被害にあった家」の前には、たしかに家財道具が山のように積まれています。そう言えば、この家、2年ほど前の焼肉の時、二次会でお邪魔したんだよなぁ…。今日も水に浸かったものを運び出している家もあります。なんとなく消毒の臭いがしているのも、きっと気のせいではありません。それでも、ふらふら散歩している風なわたしに
「こんにちは」
とあいさつをしてくださるウトロの人たちって…。

続報

みなさん、暑中お見舞い申し上げます。
すでに新聞やTVなどでご存知かと思いますが、京都府宇治市を中心に、昨日の朝の豪雨で、大きな被害が出ました。京都府宇治市在日朝鮮人集落・ウトロ地区では人的な被害はなかったものの、床上浸水8戸。床下浸水は過半数の32戸です。(集落は約60世帯)
ものすごい雷雨と豪雨。浸水は朝4時と6時の2回、住宅地のひどいところで水深50〜60センチとなりました。あらゆる壁にゴミのラインがいまもくっきりついています。床上浸水の家のまえは、水に浸かり使えなくなった畳や家財道具が山のように積まれています。ウトロ地区には下水道がまったくなく、住民の圧倒的多数は汲み取り便所を使用していますが、その便槽にも水が入ったため、バキューム車で汲み取ってもらいました。市役所による消毒は本日行われました。
3年前にも大きな床上浸水の被害にあった家では、再び床上浸水し、とても住めない状況に、在日1世のご本人は涙ながらに隣の町に住む娘さんの家に引き取られていきました。同じ1世の方のご自宅は、バラックですが、浸水(濁流)は床の上まできて、ベッドだけ残った状態です。週何回か訪問介護を使い、近所の人たちが弁当を差し入れていますが、90歳を過ぎて足腰が痛み、退院後は身動きが不自由なので、とても心配です。
今回の被害は宇治市のほぼ全域におよび、他の地域では行方不明者も出ています。被害は広い地域におよびウトロ地域だけではありませんが、毎回のようにウトロ地域に被害が集中しているのも事実です。宇治市が管理する「伊勢田6号水路」があふれ、ウトロ地域がいつも「プール」の役割を果たすことが繰り返され、これが構造的原因と言えるでしょう。行政の放置責任は厳しく問われなければなりませんし、現在予定されているウトロ地区住環境整備事業の実施によって、安心して住める新しい町に一日も早く生まれかわることが何より必要です。
今回被災された、床上浸水の住民の方々に、ウトロを守る会としてお見舞いのカンパを集めたいといま検討中です。決まればまたお知らせします。

とのことです。