LL2日目

案の定、会場に到着したのは集合時間ギリギリです。きのう中夜祭に参加した人たちは、半分死んでます。まぁこれくらいでちょうどいいんでしょう(笑)。

今日は昼をはさんでセッションが3回。
今回は「集合!トランスジェンダー生徒交流会」というタイトルで話をしろということだったので、ビデオを見てもらったりしながら話をしました。個人的には
「ビデオを見せるのは反則やなぁ…」
と思ってはいたのですが、案外
「わかりやすい」
と好評だったので、まぁええかということにしてしまいました。

それにしても、話をしながら自問自答していたことがあります。
結局、「語る」という行為の中には「チョイス」があるんですよね。で、「語れること」だけを語っている自分がいるのがよくわかります。いうなら、「心の箱」の中からすでに出してしまったものだけっていう感じでしょうか。でも、「まだ出していないもの」とか「あるとすら気づいていないもの」もたくさんあるはずです。そういうのはやっぱり出さない。
おそらく教員という職業柄、さらに関西人という属性上(笑)、あるいは「慣れ」というところから、「語る言葉」はたくさん持っています。でも、その言葉は、実は自分をガードするものなんでしょうね。つまり、すごくガードが堅いっていうことなんだと、なんとなく気づかされました。
それを一番気づかされたのは、「空き」だった最後のセッション、S奈ちゃんの話を聞いた時です。
S奈ちゃんは12歳の時に階段から落ちて脊髄を損傷して胸から下がマヒしてしまいました。本人は
「今回本になったのは研修*1
とか言っていましたが、たしかに客観的な障害の説明については、すごくわかりやすい。でも、いざ自分のことになると歯切れが悪くなる。その歯切れの悪さは、おそらく心の中にあるさまざまなフラストレーションや混乱が言葉にしきれないからなんじゃないかなぁと思いました。つまり、「語る」ことでガードができない。自分の中にある弱さとかもろさとかあいまいさが、その姿から伝わってきます。
本人は
「4年後にもう一度、もっとみなさんに楽しく聞いてもらえるように」
なんて言っていましたが、もしかしたら、その時には「ガードする」術を身につけてしまっているのかもしれない。となると、もしかしたら今回聞くことができたのは、「ダイヤの原石」と出会えたことなのかもしれないなぁと思いました。

なんか、S奈ちゃんに比べて、自分ってもしかしたらダメだよなぁと思いながら、今回のLLも無事終了。体調ももどってきましたよ(笑)。

*1:自分の障害をわかってもらうトレーニン

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