部落問題と向きあう若者たち

今日は人権教育関係の研究会の総会です。
午前はまぁいわゆる総会でして、それはそれ。
午後は記念講演です。今日は内田龍史さんの講演「部落問題と向きあう若者たち」。
最近、というか、前からですが、部落の若者たちのアイデンティティみたいなところにかなり興味を持っていました。なので、自分としては今日の講演には大期待をしていたわけで。
で、話を聞いて「いやぁおもしろい!」と思いましたね。でも、考えようによっては、「部落問題研究資料センター」の「通信」にかつて書いた文章と重なるところがあるんですよね。結局「ピンで立つ」なんだと思います。内田さんのレジュメによると
「「われわれ」に回収されない(個)人の魅力という発信」
ですか。
もっとも、これ、諸刃の剣なんですがねぇ…。
で、いろいろ話を聞いていて「あぁ!」と思ったのが…。
「当事者の肯定感を引きあげるものは
1、家族内で話ができること
2、非当事者とその話ができること
3、承認されたこと
である」
みたいな話。
これ、なんでもそうだよなぁ…。

部落問題と向きあう若者たち” に4件のコメントがあります

  1. BMWでお会いした糸永です。22日に大分で講演をしてもらう内田さんからこのページを紹介していただきました。先日のメールでも書いたようにアイデンティティの問題は私もとても興味があります。「諸刃の剣」という感じも分かる気がします。そのあたりを大分でも深めたいと思います。個人的には、部落やセクシャルマイノリティのことだけでなく、いわゆる社会的な弱者と考えられる方たちのことを思うとき、最近マガジン9条というサイトの辻本さんと中島さんの対談第4回で話題になっていた、「新しい公共」とか、「居場所と出番と絆のある社会」とかいう感覚が今のとこピンと来ているのですが、どうですかね?http://www.magazine9.jp/taidan/010/index4

  2. 糸永さん、コメントありがとうございます。
    メールに返事を返さなくてすみません。ちょいとバタバタしておりまして^^;;
    対談読みました。
    「承認やアイデンティティを与えていく」という書き方に、ちょいとカチンと来ましたが、おもしろいなと思いました。
    この間○教組の研究会の講演で聞いた話ですが、「お金の配布じゃなくてサービスの配布が大切」みたいなことを言っておられました。「サービスの配布」っていうのは、例えば保育サービスであったり介護サービスみたいなものです。なるほどなと思いました。
    それとちょっと共通しているところを感じたのですが…。

  3. 確かにその部分はちょこっとひっかかってましたが、誰がそれを与えるとかいうのはおいといて何というか客観的に見たときの状態としてはこういう感じなのかなと。最近○教組教研で知った、長崎五島のカネミ油症事件の被害者の方が名前を公表して思いを語り始めた様子や、知人から紹介された「それでも人生にイエスという」という映画でカンボジアのHIV感染者本人が語っている様子を見たり、もちろん「対岸の肖像」やいつきさんのこともふまえて、当人や周りの人たちのそれぞれの意識とか関係性とか(その変容とか)を感じたときに、こういう感じが、「居場所と出番と絆のある社会」ということなのかなと思ったわけです。で、そういう解釈で良ければ、それはとても魅力的な社会で、その構築には貢献していきたいなと感じています。何かずれてますかね?

  4. 「政府や行政が担うセーフティネットというのは、やはり富、金の再配分だけで」っていうあたりがあれですが…。
    ◯教組教研の記念講演で、「ものの再分配ではなく、サービスの再分配」みたいなことを言っておられたのですが、「なるほど」と思いました。
    「必要とされる」という経験はとても大切で、でも、それが単なる「能力」で評価をされるのではなく、「存在」としてそう思われる(たぶん≠評価)ことが大切なんじゃないかなぁ…。

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