なじみのみんなとしっくりと

で、「まんまるの会」です。
ちょいとその前にトラブルが発生したけど、そこはそれ、気分をスイッチしましょう。
今日はいつになく人数が少なめ。はじめての人がいないのは、寂しいのは寂しいですけど、まぁ、K医科大学も新患とってないからしゃーないです。逆に久しぶりの人なんかもいて、それはそれでいいかな。
ジンにコーラを混ぜて呑んだら、かなりまわってしまいました。一駅乗り越したけど、今日は歩いて帰りましょう。

恒例のイベント

で、午後からは恒例の滝井参り。
O「最近どうですか?」
い「γGTPがねぇ」
O「あ、いい数値ですねぇ」
い「でしょ〜」
O「夏はダメですねぇ」
い「ほんとですねぇ」
O「まぁ、肝臓関係の値っていうのは、本当に危ない数値っていうのは桁が変わるわけで…」
ということで、大丈夫らしいです(笑)。

「授業改善」のかけ声

最近「特別支援教育」にかかわって「授業改善」を促されていたりします。で、今日はその授業研てことで、同僚の授業を見せてもらったのですが…。
まぁ「わかりやすい授業」っていうのは大切だとは思います。思いますが…。
なんか、授業を見ながら
「これって、結局家庭教師の延長をさせられているんとちゃうん?」
という気がしてきました。
1対1ならわかる授業ができる。2対1でもわかる授業ができる。3対1でもわかるができる。でも、たとえば4対1になった時にわからない子が出てくる。じゃぁ、もうひとり教員を増やせばいいと思うのですが、予算がない。だから教員を増やせない。てことで、教員のスキルアップをはかる。
こういう図式が、「授業改善」というかけ声の中から聞こえてくる気がします。
でも、「クラス授業」ってそういうものではないと、わたしは思います。40人だからこそできる授業をしたい。その中に、わかる子もいてわからない子もいて、その不均衡があるからこそ成立する授業こそが、家庭教師にはない世界なんだと、わたしは思っています。

まぁそんなことを考えながら、まだまだ道は遠いなと。