西成フィールドワーク

この日に約束した西成高校とうちの「若手教員の合同の研修会&宴会をしよう」が、今日実現しました。
とりあえず、午後からみんなで「聖地・西成高校」へ。みんなで
「ここが西成高校かぁ」
としばし感慨にひたります。でも、迎え撃ってくださったH下さん
「なんもないしなぁ」
とええ感じの脱力感です。結局、校内をひとまわりして校長室へ。現在の校長はこの時の講師の方です。この方も、ええ感じの脱力感で、しばし西成高校の歴史について話。
「昔はうちの学校には3つの派閥があって、あるところがひきまわしをしてなぁ」
「それって、◯国委員会ですか」
「そうや」
もう、他の教員にはさっぱりわからないだろう話ですね。
「校長の写真の下見たらわかるけど、任期のおわりが3月ちゃうねん」
「なんでですのん?」
「まぁもたへんかったんやな(笑)」
あまりにもすごいです!
その後、西成のフィールドワークへ。案内してくださったのは、釜ヶ崎支援機構の方です。
労働センターからスタートして、支援機構の建物やシェルターを次々にまわります。
わたしは大学生の頃、釜ヶ崎で夜まわりのボランティアなんかをしたことがあったのですが、なんか、明らかに高齢化しています。てか、自分も高齢化してるんですけどね(笑)。まぁ言ってみれば、同時に進行しているというか。
ひとまわりして感じたのが、釜ヶ崎の運動って、まさに「生き抜くための闘い」なんですね。それが、比喩なんかじゃなくて、掛け値なしにその通りなんです。もしも運動がなければたくさんの死者が出る。例えばシェルターの中にはカーテンがありません。カーテンに閉ざされてしまうと、その向こう側で例えば吐血をしていてもわからない。プライバシーよりも命が大切という世界。
一方、雇用をつくりだすことも大切な運動。「カマからの脱出」だけをめざすのではなく、「カマで生き抜ける」ということも大切。
なんというか、ひとつの価値観だけじゃなくて、さまざまな「現実的な解」を模索しながらの運動のように思えました。

にしても、三角公園のまわりで、さいころがいい音を立てていたのには笑いました。そのあたりは相変わらずなんですよね〜。

西成フィールドワーク” に3件のコメントがあります

  1. > 釜ヶ崎

     そういや、昨日の新聞に、釜に常駐してはるカトリック神父さんの記事が載ってましたね。いつきさんのお書きになっておられることは、その神父さんのコメントとかぶりますね。

     昔(1990)行った時は、いわゆる「暴動」の直後だったので、やたら荒々しい雰囲気でちょっと怖く感じました。ヤ印事務所も一杯あったし。女性が夜一人で歩くのは、たぶん大丈夫でしょうけど、心理的にはコワイ(すみません)ような空気。

     それが、数年前、G研(現学会)で近所で一泊した時見に行ったら。すっごくキレイな街(あくまで、比較の問題ですけど)に変貌していてビックリしました。

    > さいころがいい音を立てていたのには笑いました。そのあたりは相変わらず

     昔は、サイコロだけでなく、でんすけやその他もろもろムニャムニャも色々ありましたよねー。

  2. もしかしたら、カトリックの神父さんって、本田哲郎さんですか。あの人、すごい人です。一度説教を聞いたのですが、すごい迫力でした。内容は忘れたけど^^;;
    1990年って、今から20年前ですものね。てことは、今60の人って40。もう、一番脂がのっている時じゃないですか!そりゃぁ活気にあふれていただろうなぁ(違^^;;)。

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