やっぱり受けとられ方はさまざまだなぁ…

たまぁに自分の名前でググってみたりするんですが、けっこうおもしろいですね。大半はまぁなんということもない内容なんですが、たまに話を聞かれた感想だとか番組を見られた感想だとか、そんなのが出てきます。特に話の感想についてはけっこう考えさせられたりします。
「へぇ〜、そんなふうに受けとられたんだ」
とか感じる時は、やっぱり
「何があかんかったのかなぁ…」
というふうに思います。
例えば、

わたしたちは誰もが冷たい氷の中に閉ざされている。その氷を溶かす方法はふたつある。ひとつは外からの熱で溶かす方法。もうひとつは自らが動き、氷との摩擦熱で内側から溶かしていく方法。わたしは後者を選ぶ。

というフレーズ。これについて感想が書いてあるブログがあって、
「そうきたか…」
と思わず考えてしまいました。
この方、
「どっちも大事だから両方やればいいじゃん」
というふうに書いておられたんですが…。これ、無理です。「後者」の実践のためにえらい時間と労力と肝臓(笑)を使っていますんで…。これにプラスロビーイング活動なんてぜったいに無理です。
ついでに言うと、わたしは
「わたしは後者を選ぶ」
と言っているだけで、
「前者はダメ」
と言っているわけではないんですよね。というより、
「前者しかダメ」と言っている人がおられまして

性的マイノリティが生きやすい社会をつくるためには何が為されるべきなのか。O氏は、政治で解決するしかない、ときっぱり言う。

これへのカウンターなんですけどね。
まぁええか…。

やっぱり受けとられ方はさまざまだなぁ…” に4件のコメントがあります

  1. 両方やろうとしているアホですが何か(笑)
    でも正直、両方とも中途半端なんですよね。
    一時期、両方しっかりやりたいのに出来ない!って悩んだコトもありました。
    今は、かの方のように外からだけする人おり(最近は全然ですが(笑))
    いつきさんのように内からの人がおり、kuroのように外やったり内やったりする人もおりで、まぁ総量としてそこそこの熱量になればええんやないかと思っております。

  2. どうも「外から」の人の方が多いような気がしているんですよね。なので、あえて「内から」を強調してしまうんですよ。

  3.  両方あって良いと思います。でも、分業で良いとも思います。得意な方をやれば、それだけで十分。というか、片方出来るだけでもエライす。私なんか、どちらも出来ませぬ… 皆さまに感謝

  4. 「マイノリティ」=「アクティビスト」では、必ずしもないですよね。でも、そんな図式を、わたしも誰かに強制している気がします。
    部落差別の文脈で言うならば、自分の親や地域の先輩に対して、「水平社運動をしていたわけじゃないけど、それぞれの場所で、よりよく生きようとしてきたこともまた、いまの自分たちから見れば立派な運動だったということに気づいた」みたいなことが最近チョコチョコと言われるようになってきたような気がします。

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