嵐のようにやってきた(笑)

なんか「子どものいるGIDについて調べたい」という学生さんが、関東からやってこられました。
来られたのは朝。学生さんの常套手段として夜行バスです。
で、インタビューを受けたのですが…。
答えにくい…。
基本的にはけっこうわかっておられる学生さんなので、
「なに聞いてるねん!」
というようなことはなかったのですが、それでも既存の価値観の中での質問が出てきます。まぁ論文を書く上での基礎データみたいなところなので、「枠」が一定必要なんでしょうね。
ところが、わたしの感覚は、おそらく既存の価値観からずれている。すると、既存の価値観の中で
「◯◯の点についてどう思われますか?」
と聞かれても
「その◯◯の点そのものについて××と思うので、△△」
みたいな答え方になってしまいます。
「悪いなぁ」
とは思ったのですが、ほとんどの質問項目について、まともな答が出せなかった気がします。
てか、わたしとかこの人とかがインタビューの相手だと、データが歪むと思うけどなぁ…。

嵐のようにやってきた(笑)” に7件のコメントがあります

  1. お疲れ様です。

    >既存の価値観の中で
    学問としては、ここから問い直さないと駄目なのですが、まあ普通、卒論レベルでは、そこまで望むのも酷でしょう。
    (指導教員の頭の中から修正しないと)
    私が指導する学生なら、そこまで求めますが。

    私はサンプルの資格もない(笑)

  2. 子供いないから私もサンプルの対象にはならないな。
    協力してくれる人をお願いしたら、もっと歪みそう・・・。
    きっととんでもない卒論に。(^^;

  3. 基本的に「標準」というのは幻のようなものなんだと思います。現実には、それぞれの人がそれぞれの生き方をしていて、それはほんとうに多種多様なんだと思います。
    ただ、社会の枠組みの中で、現実とは異なる「標準」というのが措定されているような気がします。そして、そこに「あてはまりなさい」という圧力がかかっている(ような気をさせられてしまう)。その過程で「標準」が「標準」の場所を確保していく。
    ですから、データをとっていくと、標準とされている像から少しずつ少しずつずれていくのは当たり前なんだと思います。そして、データの数が少数であればあるほど、個々のデータの比重が増えてしまって、かつ、「インタビューに答えてもイイよ」という好き者(笑)の当事者のバイアスがかかって、結果的にデータが歪んでしまう。のかな?
    ちなみに、この人、卒論でもGIDをあつかっていて、今回修論だそうです。でもまぁ、「世間」との整合性を保ちながらデータをとるには、ある程度の「標準」から設問せざるをえないのかなぁ。

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