この世知辛さはなんだろう

まぁ、公園で素っ裸になったら、それはアカンのでしょう。でもなぁ…。タイーホ→尿検査→結果が白でも家宅捜査→大臣名指しでイチャモン。
しかも、大臣は「言いすぎた」とか言っているらしい。
なんかここ数年感じているんだけど、最近って「失敗を許さない世間」になっているような気がしてならないんです。
かつてわたしが担任をしていた頃の生徒・保護者との会話はこんなんでした(P
親、Iはわたし、Sは生徒)。

  • 1度目の停学*1

P「先生、ほんとうにすみません」
I「いやぁ、人間誰しもおイタはしますから。まぁええ勉強と思っておいたらいいと思いますよ」

  • 2度目の謹慎

P「先生、前にも言ったのに、またこの子こんなことしてしもうて。すみません」
I「まぁ、ちょっとした出来心でしょう。(生徒に向かって)ええか。2度あることは3度あると言うけど、もう繰り返したらあかんで」
S「はい」

  • 3度目の謹慎

P「先生、もう、この子、なんかい言うてもあきませんわ」
I「まぁそんなこと言わんと。(生徒に向かって)ええか、仏の顔も3度までっていうからな。これが最後やぞ」
S「はい」

  • 4度目の謹慎

P「もう、これ以上迷惑かけられません。学校やめさせますわ」
I「こない言うてはるで、どないすんねん」
S「もうぜったいせぇへんし」
I「この子、こない言うてますわ。まぁ、親も教員もだまされるのが仕事ですし、もっかいだまされましょか」

そりゃぁ、許されない失敗はあると思います。でも、何が許され、何が許されないかを知るためには「練習」が必要なんじゃないかとも思います。怒られ許されを幾度か繰り返す中で、ほんとうに許されない失敗を回避する力が身につくんじゃないかなぁ。
一度の失敗でこてんぱんに叩かれたら、次から失敗をおそれて最小限のことしかしなくなるし、失敗したとしてもそれを隠すようになる。その方がよほどまずいと思うんだけどなぁ…。
なんていう考えは、単に自分に甘いだけかなぁ?

*1:正確には謹慎なので、以下「謹慎」。

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