境界線上の存在?

今日は某在日外国人教育関係の会議。
午前が事務局・役員会ということで、まぁ午後からの打ち合わせをするわけです。で、集まったのはわずか3人。こういう日もあります。さくっと打ち合わせをしてお昼ご飯。軽くビールを呑んで午後の会議に備えます(笑)。
午後からはそれなりに人も集まったので、けっこう充実した会議ができました。
それにしても、さすがは全国から集まってくる「運営委員会」です。単なる飲んだくれとか牢名主みたいな人とか、まぁひとくせもふたくせもある人がそろっているのですが、その情報量の多さや考えの深さ、そしてなによりもフットワークの軽さは、なかなかすごいものがあります。こんな人たちと日常的におつきあいができるというのは、ある意味幸せなんだろうなぁと思います。もしかしたら、実は不幸なのかもしれませんが(笑)。
でも、そういう尖ったところがまた、ケンカの種にもなるわけで、なんだか知らないけど、あちこちでケンカになっているみたい。
ところが、不思議なほどにわたしはそのケンカから除外をされています。
これ、なんなんだろう…。まぁ、わたしは尖るところまで深くこの活動にかかわり切れていないというのもひとつの要因かもしれません。考えてみると、「なんでわたしが全国の事務局員やねん」というのは昔からの謎でした。ふさわしい人は他にもいっぱいいるのですが、いろんな人間関係の綾とか、その他タイミングの問題なんかで、たまたまわたしのところにまわってきて、そのまま10年みたいな感じなんですよね。
でも、最近思うのは、もしかしたらそういう存在も必要なのかもしれないなとも思うのです。ひとつのことを深くやることによってわかることと、そうすることによって逆にわからなくなることがある。だから、深くやる人と浅くやる人が混在することで、全体としてのバランスがとれるのかなぁと。
こういう役回り、ええ加減なわたしにピッタリかもしれない(笑)。

境界線上の存在?” に1件のコメントがあります

  1.  私にもそんなお役がまわってくることがあります。「ええんか私で」と思いながらも、少なくともその場所では「つなぐ」ことができるのが自分しかいないとわかって引き受けることも。
     「境界線上」、ええ言葉どすなー。

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