在日外国人教育セミナー

最近、いわゆる「新渡日」の人たちの状況や話を聞く機会が増えつつあるのですが、今日のセミナーは在日朝鮮人の人の話。
やっぱり、自分の出発点はここにあったよなぁと思うと同時に、20年前にはじめたころと何もかわっていない状況をあらためて感じさせられました。
話そのものは、まぁ「何度も聞いた」と言えば言える*1わけです。でも、帰り道に友だちと話をしていたのですが、「何度も聞くことが大切なんだよね」ということなんだと思います。それは、聞くわたし(たち)の態度の問題なんだと思います。「もう聞き飽きた」と受けとめるのか、「やっぱりそうなんだ」と受けとめるのか。日々の生活の中で、ともすれば薄れてしまいがちな思いを新たにしてくれる*2という意味で、「聞き続ける」ということが大切なんだろうな。
てことは、同時に、「語り続ける」こともまた、大切なんだろうな。

*1:もちろん、新しい話もいっぱいあるし「へ〜」と思うこともいっぱいあるのですが

*2:まぁ、そんなふうに搾取しちゃいけないんですけどね

在日外国人教育セミナー” に3件のコメントがあります

  1. 改めて自己紹介(汗)。マネージメントのチカラ皆無の大分のノリヨシです。私の場合、例えば在日の人から何回話聞いても、「そうそう」と確認すると同時に、なぜかいつも新鮮な印象を受けます。じっくり振り返ると、話聴く度に「最近のあの経験と重なってるな〜」とバージョンアップしてるからみたい…。言いたいことわかる?ところで「搾取しちゃいけない」って「利用しちゃいけない」ってことかな?

  2.  昨日、2ヶ月前に出産した在日友に会いにいきました。有名病院で受けたとんちんかんな対応、出産直前に隣の妊婦から「実は私も」とカムアウトされて(相手は日本名)、いまそんな重い話をするなよーと思った、と笑って話す友に、「え、重いの?(そう思っているように見えないのに?)」と思った私の鈍感さ。もうわかったなんてことは何もないのだなあ・・・。

  3. 利用っていうか…。
    利用するだけじゃなくて、そこから「奪い取る」という感じ。
    たとえば、在日の人が自分(たち)のことを語る時、やはり自分の存在を削りながらしゃべっている人が多いんだと思う。その行為に対して、なにが返せるかということなんだと思うんですよ。
    単に「勉強になりました」とか「自らの差別性に気づきました」っていうのは、結局その人から「パワー」を奪っているだけで、なにも返していない。もちろん「思いを新たにする」っていうのも、そういう意味では「パワー」を奪う行為なんだと思います。
    「搾取」じゃない関係っていうのは、もらった「パワー」に対して、相手がエンパワーできるようなものを返していくということなんじゃないかなぁと思います。

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