融和主義の再評価

1時間目の授業を終わらせて、すぐに職場を出発。にしても、やっぱ授業が終わってすぐには出られません。だって、いろいろ生徒への声かけが必要なんでねぇ。
で、旧愛宕郡へ。
午前の部は、地元で活動しておられる方からの講演です。いちおうテーマは「歴史と現状・課題」となっているのですが、講演の大半はまちづくりにかかわる話でした。そりゃぁ駅前の一等地なわけで、ここがこれまで放置されてきた*1というあたりに、まさに「歴史」があるし、いま新しい波が来ているみたいで、このあたりに「現状と課題」があるんですよね。
午後の部は部落史にかかわる秋定さんの講演です。
前から聞きたかった人の講演なんですが、見事です。あっという間にみなさん寝ておられました(笑)。いや、話の内容はとてもいいんですが、語り口と午後の眠気でそうなるんですよね。
わたしはというと、ギンギンに起きてましたよ。
秋定さんって、融和主義の再評価みたいなあたりの話をされると聞いていました。ただ、今回の話は骨格にそのことを置きながら、部落史を全般的に振り返る感じでした。で、佳境は質疑応答の時だったかなぁという気がします。
「わたしたちが部落史を教える時にはなにに留意をしたらいいか」
という質問に対しての答え。

自分の中にある部落とのかかわりを話すことが大切なんじゃないでしょうか。
わたしにも部落との出会いの話はあります。
大学生の頃、友だちの家に行ったら「オレは部落だ」と教えてくれた。そして「誰にもいわないでくれ」と言われた。その友だちとたまたま街で会った時、彼は知らないフリをして通り過ぎていった。自分が部落とまわりの人に知られるのを避けるために、彼はそうしていたんです。やるせなかったです。
在日の人との出会いの話もあります。
そんな話はいっぱいあります。

もしも部落の悲惨な姿を描くならば、融和主義の観点から出された本の中にたくさん書いてありますよ。いっぱいあります。自殺した人もいっぱいいます。そんなことも書いてあります。
でも、そんなことを最近の学生に話をしてもねぇ…。
だから、わたしは科学的な話しかしないようにしているんです。

正確にはおぼえていないし、なんか最初と最後の話が逆転しちゃっていますね。でも、訥々と自分と部落との出会いを語られた話は印象的だったし、そんな話を「最近の学生に話をしてもねぇ…」としながらも、やっぱりそこからしかスタートできないということがとても心に残りました。
ちなみに、わたしもひとつ質問をしました。
「オールロマンス事件*2と同和対策特別措置法*3の間の19年あるんですが、その間になにがあったんですか?なぜそんなに長い空白があったんですか?」
これ、ほんとうに前々から疑問だったんです。
部落の近代史を話をする時、行政闘争の出発点としてオールロマンス事件をあげます。で、京都市ではその後、同和対策がされていったんですよね。でも、これが同対審なり措置法なりに結びつくまでに10年以上の年月がかかっているわけです。その間、いったいなにが論議されていたのか、なぜそれほどまでの時間が必要だったのかということが、実はどの本を見ても書いてないんです。なので、近現代の教材をつくっても、そこのところがすっぽりと抜けたままだったんです。
で、これへの答え。
「京都の部落史を読まれましたか?」
「いちおうは…」
「あそこに書いてあるとおりです。その研究については、実はまだされていません。現在さまざまな研究会でやっているところです」
とのことでした。
てことは、原典にあたるしかないということですね。とりあえず、年表を買うしかないか…。

*1:バブルの頃に地上げ屋が入ったけど、この時は最終的には地元の人たちは自分たちの土地を守りきりました。

*2:1950年かな?

*3:1969年

先読みか

まだまだ先かと思っていた人権学習の日があさって。しかも、明日は一日出張。てことは、雑事をする時間は今日しかありませんよ。てことに、朝、言われて気がつきました。てことで、猛ダッシュで雑事開始。
それにしても、先週末からのバタバタで、完全に曜日感覚がずれています。やばいなぁ…。
とりあえず印刷して、クラス別にわけて、付箋を貼って一段落。放送の下準備をしておいて、ついでにあしたの出張で使う放送セットも準備をしておいて…。てなことを授業の合間にバタバタやっていると、あっという間に1日が終わります。なにやってんだか。
家に帰ってF1観戦。フェラーリマクラーレンのスタートの差はいったいなんなんだろう。さらに、ハミルトンがトラブル?そして、ライコネンが年間チャンピオン!おどろきますわ…。んなことがあるんだなぁ…。ま、フェラーリファンのわたしとしてはうれしい限りですが。それにしても、スパイ疑惑がとりざたされてからのマクラーレンのバタバタはいったいなんだったんだろう…。

行こうと思ったけど…

今日はツーリングに行こうと思っていたけど、やめました。
さらに、10.21だったわけで、円山野音で集会もあったけど、それもやめました。
で、なにをしたかというと…。なにもしなかったんですよね。これが。昼は焼きそばを2種類つくって*1、食べてビールを飲んで。ビールを飲んだら運転できないことをいいことに午後もなにもしない。9時半頃にはウトウトしてきたので寝ちゃいました。
なんしか、金・土・日の疲れをとるのが先決ですわ。

*1:普通のソース焼きそばと五目あんかけ

夜明けは近いか?

朝、起床は6時。6時半の電車に乗って京都に帰ります。途中、めちゃくちゃしんどいです。でもまぁ乗っていれば着くからいいか、と。
で、京都市内某所に着いたのが10時半。
11時過ぎからレポートです。なんしかここでレポートしないと、冬に旅行ができません。なので「万難を排して」っていうヤツなんです。
で、お昼。ふだんなら交流会があるんですが、午後からのプログラムに備えてノンアルコール。もっとも我慢ができない人もいるわけで*1、近くのコンビニで仕入れてきてチラッと呑みました。
で、午後からのプログラムはヒップホップ講座。
あたしゃ身体の動きが硬いんですよね。いや、体も硬いけど、それとは別なんです。今の生き方をするようになって、それでもずいぶんと身体が柔らかく動くようになったんですが、それでもやっぱりダメです。まだまだ「解放」ってヤツは遠いなぁ、と。

*1:含む、わたし

突然やってきた!

その後、支部長さんと交流会の会場へ。道中、講演では話をされなかったご自身の揺れとか葛藤とかプライベートなこととか、すごく心にしみる話を聞かせてもらいました。わたしもわたしなりに返せる自分のことを返したり。
で、交流会では…。松下さんもほどなく来られて、あとはひたすら呑みました(笑)。
で、2次会。お友だちにも声をかけたのですが、みなさんそれぞれスタッフをしておられたのですごくお疲れだったみたいです。で、元気な数人で現地の人の行きつけのスナックへ。まぁ元気にみなさん歌っておられます。かなりうるさい。「静かに話をしようと思ったのに…」などとはじめは言っていたのですが、結局、みんなでうるさくしゃべっていました。と、突如支部長さんが歌いはじめます。
「オレの、オレの、オレの話を聞け〜!」。
ここは一緒に歌うしかありません。だって、あの話をした支部長さんですよ!
「オレの、オレの、オレの話を聞け〜!」。
その瞬間、完全に声がつぶれました。あ〜あ…。

で、恒例の…

せっかく支部長さんと知りあいになれたので、ご自分のムラにつれていってもらいました。高台に5軒。なんでも、もともとはちょっと離れたところにある20〜30軒ほどのムラだったそうですが、施策によって移転する時に手をあげた家が5軒しかなかったとのことです。移転→新築の家には入れると考えがちですが、やはりそうではないんですよね。それとひきかえに周囲のまなざしがくっついてくる。というか、おそらく移転してもしなくても一緒なんですけど…。
現在は高台に入る道があるんですが、かつてはその道はなく、ぐる〜っとまわってようやくその5軒のある場所に入れたそうです。「ここができた当初はまさに陸の孤島で、まわりの人からは「あそこが同和」と言われていました」とのことです。いまはまわりにも住宅ができ、交流もできるようになってきたとのことです。
ところで、家の中にも入れてもらったのですが、「へぇ〜、3間あるんですか」と言うと、「こちらの8畳は自分で建て増したんですよ」とのことです。てことは、2間か…。狭いっす。例えば、一家4人はきついだろうなぁ。けっこう田舎なので土地は広いのですが、「最小限」の住宅なんですね。ふぅむ…。

持つかなぁ

どうも最近下の子どもがケホケホ言っています。先週の日曜日以来風邪気味みたいです。で、わたしもなんとなくのどがイガイガした感じで、いや〜な予感がします。でも、とりあえず今日までは持たさなくちゃなりません。
とりあえず、朝列車に飛び乗って、600kmほど離れたS県へ。昼頃到着して控え室に入ると、みなさんお弁当を食べておられます。いたいた。松下一世さんです。ずーっと前に講演を聞いたことがあるのですが、なんせ小学校のテイストで話をされたので、高校の教員たちは「???」という感じでした。でも、基本的にわたしがめざしているのは「給食を一緒に食べられる高校教員」なので、「いろいろ参考になるなぁ」と思いながら聞いていたのですが…。
で、それが何年前だったのかは忘れたのですが、顔をあわせていきなり「おひさしぶりです」「その節はお世話になりました」と、なにげなあいさつを交わしてしまいました。
午後の1本目は、部落の方の講演。厳しい生い立ちを語られたのですが、それよりもなによりも一番ビックリしたのが、ムラには家が5軒しかないという。あと、心に残ったのが「最後の差別」という話。支部を起こされたお父さんが亡くなり、お葬式の時に、部落解放同盟の名前で花を出されたそうです。ところが、それをみたあるおじさんが、突如「親戚代表で話をするのを辞退させてくれ」と言いはじめた。さらに、しばらくしておじさんを見ると親族席から一般席に移っておられた。その時の気持ちを「おじさんにも怒るわけにもいかず…」と振り返られていました。やるせないなぁ…。そんな話ですが、でも、決してしんみりするわけでもなく、随所に笑いもでてくるような話でした*1
で、2本目はわたし。一昨日の学習のおかげで、約2時間におさめる術がわかりました。なので、なんとかかんとか言いながら、2時間ちょいでおさめました。心配された声の方もなんとかもって、よかったよかった。みなさん、けっこう柔らかい感じで聞いて下さって話がとてもしやすかったです。あと、話の後に「ウチの学校に」っていう方がおられて、「なにをしてあげればいいんでしょう」とたずねられました。たぶん「聞くこと」が最初なんだろうなぁと思って、そう答えました。「担任さんとかどうしましょう…」と言われるので、「ほっといたらいいんとちゃいますか?」と。だって、その方を信頼してその子はしゃべったわけですからね。その後「◯◯さんには話していい?」みたいな感じで、その子をとりまく環境をだんだんとつくっていけばいいと思うんですよね。
てことで、なんとかかんとか言いながら、どうにか持ちました。

*1:まぁ、「笑い」をとらなくちゃならないというのも、ほんとうはなんですけどね…。

今日の4文字熟語

昨日のツケがあったので、今日は試験監督が3時間連続です。さすがに疲れます。てか、3時間、しゃべれないし他のことできないし…*1
無事「考える」時間をこなしたら、午後からは仕事です。
とりあえず、一番急ぎの仕事からやっつけていきます。で、2番目の仕事がレポート書き。今日の夜が〆切なのに、まだ2割くらいしかできていません。しかも、今日は夕方、人と会う約束があります。残された時間は、約4時間。
こういう時に限って、他のことがやりたくなる自分って、どうよ…。
レポートの方は、いままでにいくつか書いてきたものを切り張りしながらつないでいけばなんとかなるかとは思うのですが、やっぱりスクラッチから起こさなくちゃならないところもあります。メールが来たら返事を書き、電話が来たら謝りながら、それでも少しずつ少しずつ画面が埋まっていきます。
クラッチで書き起こす最大の山場を越えた瞬間、いきなりコピペの山です(笑)。
てことで、42文字×40行×6頁のレポートも無事終了。メールで送信。
並行して他の作業もしていたし、そちらの方も終了しています。あとは、担任さんに配ろうと思っていた文書をサクッとつくって*2、配布。ちょこっと無駄話もして*3、時計を見ると、ちょうどの時間です。
あ、今日の4文字熟語は「矢漬*4仕事*5」かな…。
ちゃう…。

*1:実は、「考えること」はできるんですよね。否応なしに「考えなきゃならない」事態に陥るので、それはそれでいいんですよ

*2:こっちが本務だよ_| ̄|◯

*3:これが職場の潤滑油(笑)

*4:やっつけ

*5:く、苦しい^^;;

フラストレーションの発散は(笑)

でも、はしょったところもしゃべりたいところです。なので、N市の高座の後はお友だちと反省会(笑)。
「はしょったおかげで2時間ですみました」
「でも、あそこが長い」
厳しい反省会です。
と、お店の人がやってきて
「本日、7時までビールは300円です。あとですね、女性の方はカクテルかワインが一杯だけタダになります」
\(^o^)/
って、なんでよろこぶんだろう(笑)。
「あの、赤ワインを…」
ばれませんでした(笑)。
その後、高座を聞かれた方が来られたので、はしょったところをひとくさり話したりしながら、反省会は進んでいきます。で、8時過ぎには終了。よし!今日はサクッと帰ろう。

で、午後の部

I市が終わったら、急いでN市へ。今日ははしごですわ。
最寄りの駅について「着きました」とメールすると、「いま、職員会議でもめてるねん」との返事。30分後ろへずらすそうな。それにしても^^;;
おかげさまで、ゆっくりとあたりを散策しながら会場まで歩いていく時間ができました。
会議の後、みなさんお疲れの模様です。ちょっとコンディションがわるいなぁ。でも、「6時間目、体育の後」と思えば、いつも通りです(笑)。こちらのほうもなんとかこなして、本日の日程の半分が終了。
それにしても、午前も午後も、ちょうど2時間程度で終わりました。どこをはしょればいいのか、ようやくつかめてきましたよ。