作文うち

先々週やった人権学習の講演会の感想文がボチボチ集まってきています。てか、それを打って生徒に返すの、あさっての金曜日なんですけど(;_;)
で、いい話だったから、生徒たちがしっかりと感想文を書いているのはわかります。それをできるだけ生徒たちに返したいというのもわかります。でもね、いくら「これいい!」と思ったからといって、一クラスで7枚とか8枚も出すのはやめてほしいんですよ。それも長いのばっかり。
これを7クラス分打ったら、はたしてB4*1で何枚分になるか考えていますか?
で、まぁ打っていたのですが、だんだんイヤになってきました。
というのは、みんなの感想が同じパターン。「話を聞いて泣けた」。そらね、部落のおっちゃんのしんどかった体験談だからそういう反応をするんだろうけど、その涙って、えてして簡単に乾いてしまうのよ。「差別はいけないと思いました」。だれだって思ってます、とりあえずは(笑)。大切なんは、そこと違うだろう…。
そんななか、キラリと光る作文もありました。その生徒にしか書けない感想文を、講演を聞いて触発されて思わず書く。そういう瞬間に立ち会えることがうれしいです。

そうそう。最近の作文で増えたのが「部落ってなんなん?」です。かつては関西では考えられなかったんだけど、そういうご時世なんだなぁ。もはや、伝えなくてもいいことなのかなぁ?

*1:学校では、生徒向けプリントはいまもB4が標準です(笑)

作文うち” に4件のコメントがあります

  1. > かつては関西では考えられなかった
     東京の、私が育った地域で部落関係の教育がほとんど行われなかったのは、よく言われる「寝た子論」以外に、これもあると思うんです。部落の話を聞いても、身の回りで聞いたことがないので、リアリティがない。中学の歴史で少し触れられたんですが、その時の皆の反応も「えー今でもそんな江戸時代の悪弊が残ってるところがあるのぉ?信じられない」という感じ。リアリティの無さに笑ってしまった子も(お気に障ったらごめんなさい)。
     関西も、だんだんそうなって行くのかしら。良いことなのか、悪いことなのか…
     そういや、大学時代、仲間内で
     「皆が忘れることで部落差別はなくなる」派と
     「皆が意識しないと部落差別はなくならない」派の間で議論があったっけ..

  2. 部落の成り立ちが、関西と関東では大きく違いますから、とうぜんだと思います。
    というより、部落が民衆の心の奥深くに根ざしているのは、基本的には関西だとわたしは考えています。それが、その時々の権力者の権力範囲が拡大するに従って、部落のある場所も徐々に広がっていった。
    だから、関東とか東北で「えー、まだ残っているの?」という反応があるのは当然だし、でも、残ると言うよりも、今もあらたに再生産されている場所が、やはり日本国内にあるわけです。
    まぁ、文化圏として考えると、「日本」と現在呼ばれている国の成り立ちから考えると、単一の文化を持っているわけじゃないですものね。
    でもだからといって、「皆が忘れたらいい」というものではないと、わたしは考えているんですよね(と、いきなり結論に飛ばしてしまった^^;;)。

  3. 部落出身の方と結婚した妹、結婚して転居もして・・・息子たちには話す必要はないと考えている様子。寝たふりする親、寝た子(息子たち)は近い将来、他人もしくは社会から起こされてしまう時が来るんでしょうか?先日はこの点を伺いたかったこいけです

  4. いや、なにもなければそれが一番しあわせなんですけどね…。
    ただ、何かあった時は最悪の結果になることすらあるんじゃないかと。だって、「何かある」時って、たいていは「悪い方向」でしか知らされませんから。
    わたしの先輩の教員が言った言葉です。「教えたことによる責任があるというなら、同様に、教えなかったことによる責任もある。でも、教えなかった時の責任は、とりようがない」。

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