えらいところで…

デイパを選んでいる一軒目の店で、いきなり電話。この間からの懸案事項についての電話でした。
とりあえず、お店から出て軒下で電話。いきなり「いつきさんは、トランスジェンダーをどう定義するのか?」えらい難しい話ですがな。答は、「性別を越境して生きることを選択した人のこと」でした。と、向こうから「選択、ですね」。「はい、選択です」
このあたりからはじまって、30分ほど話。印象に残っていることを少し書くと…。

  • 「ブレンダと呼ばれた少年」をめぐって

わたしはあんまり考えていなかったんだけど、電話の相手の人が一言。「あそこから得られるものは、人に生き方を押しつけてはいけない、ということですよね」。思わず、ひざをポン!

ジェンダーを獲得することで自らのジェンダーを確認するのか、ジェンダーを利用して日常生活の中で必要なパスをするのか。なんぼなんでも、日々24時間トランスとして闘い続けるのはあまりにもしんどすぎます。だれも知らないところでは、ふつうに(笑)生きたいなぁと。そういう時に、ジェンダーを利用すると、以外とふつう(笑)に過ごすことができます。まぁ「理論だけでは日常生活は過ごせない」という、堕落した人生を送っております。

たとえば、「女性は尽くすもの」みたいな考えがあったりしますよね。でも、これって、「女性ジェンダー」をはずして考えたら「依存体質」なわけです。「男はガツーン!」って、「男性ジェンダー」をはずして考えたら「サディズム」とか「権力志向」だったりします。問題は、そうした体質・嗜好etcを「女/男」に振りわけてラベリングしたものがジェンダーなんじゃないかなぁと。
わたしには、「依存的」なところや「マゾヒスティック」なところがあるかなぁ。大切なのは、それは「わたしの」特質と考えるか、それをジェンダーと結びつけて「だからわたしは◯◯だ」と考えるかなんじゃないかなぁ。

う〜む。眠くなってきたので、続きはまた、かなぁ。

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